夏の角館旅行では、きりたんぽランチを食べたり秋田蘭画で名をはせた小田野直武のお墓・実家などを見るだけでなく、武家屋敷巡りも楽しみの一つでした。
この一帯の中でもひときわ目を引くのが石黒家と青柳家、、というのは有名な話ですが、石黒家は、重厚な武家屋敷だけでなく、昭和10年にモダンな文化住宅も建てています。
(旧石黒(恵)家)
新しい都市住宅のまさに走りで、この一帯を覆いつくす武家屋敷からの脱却を図った野心作。
障子やガラスの意匠性がとくに目を引くこちらの昭和モダンの建物は、伝統的建造物指定を受けています。
メインストリートが武家屋敷攻めだったので、ちょっと目新しく、箸休め的に(気分転換についでに)見物してきたつもりが、武家屋敷よりかえって印象に残りました。
お風呂も公開中で、可愛らしいタイルが印象的。
浴槽の中は青緑。。。。とくれば、
これは近代美術館のあの絵を思い出さずにはいられません。
==> 小倉遊亀の「浴女 その一」--artscapeのサイトへJUMP
小倉遊亀さんがあの絵を描いたのは昭和13年。
年代も大体同じです。
そして台所がシステムキッチン。
レンジフードもあります。
ただ扉が観音開きでなく引き出し方式で、当時はこれが主流だったのでしょうか?
昨今またこの引き出し方式が増えている感はありますが。
ただ、システムキッチンだけでなく、下右の写真のように、
昔ながらの釜炊き場も奥に設置されていました。
順当に考えると、当初こうした昔ながらの台所を設置したものの、途中からリフォームでシステムキッチンを導入というシナリオなのでしょう。
昭和10年にシステムキッチンがあったとは思えませんから。
それにこの一角はひときわ新しく思えますし。
となると、かまどから一気にシステムキッチンへ移行したようですが、写真で見るこの落差。
大変革だったことが如実にうかがわれます。
ただ一つ気になるのは、かまどを残していたこと。
もし後からシステムキッチンを加えたなら、普通、見た目的にも古い方は撤去しそうなところ。
作ったのはいいけどシステムキッチンはきれいすぎて使うのが忍びかった、
あるいはどうも電気釜の味がいまいちで、ついかまどに回帰したとか??
・・なんていうストーリーを頭の中で展開していた私です。
なお外観はこんな感じで、ガラス窓の枠板に変化が施されるなど(右手)細部にもこだわりが見えます。
全体的に重厚な伝統的家屋とは一線を画し、カジュアル系。
ちなみに本家石黒家の昔ながらのお屋敷はこちら。↓
こういう風景が当たり前の界隈で、あの近代的文化住宅を作るとは、なかなか進歩的なご主人だったのですね。
この家には当時お子さんがいたと見え、子供用のテキスト、下駄の展示も。
下右の写真は押入れ用として作られたのかと思いきや、場所が台所なので、米びつ用のスペースだったのかなぁなどと思いました。
中に椅子をぴったり入れていますが、これは当初の利用目的ではなかったのじゃないかしら。
そうそう、冒頭の石黒家と青柳家ですが、この地でうかがったところによると、石黒家の方が昔ながらの地元のご一家で、青柳家はその後にこちらに移られたとのこと。
こちらの石黒家の方のお話を聞くにつけ、そうした古くからの名家の誇りを大切にされている様子。
一方で青柳家の方は後からの入植者とはいえ、広大な敷地面積を占有しており、
武家屋敷開放に際しても、かなり大々的に宣伝している模様。
両家の間にちょっとしたライバル心などありそうな・・・そんな印象も受けました。
旧石黒(恵)家は、わたしが所持していたガイドブックにはなく、歩いていて偶然見つけたのですが、本家とは異なり、こちらは無料でした。
場所は、石黒家本家のすぐそば、
あの国籍不明のチャーミングな建物で目を引く角館平福記念美術館のお隣です。