昨日のブログの続きなのですが、

今年100歳で天寿を全うされた日本画家・堀文子さんは、

展覧会場の年表によると69歳でアレッツォ郊外にアトリエを構えたそうです。

 

 

なぜアレッツォ?と考えて、ふと若いころの年表に戻り、

”22歳でピエロ・デッラ・フランチェスカに心酔した”という記述に注目しました。

 

アレッツォといえば、ルネサンス初期の画家

ピエロ・デッラ・フランチェスカの故郷サンセポルクロとは目と鼻の先。

 

サンセポルクロには、彼が描いたかの有名な「キリストの復活」の絵があります。

Salvastyleでその画像が見られます。)

 

 

新約聖書のどの福音書にも、キリストが復活した瞬間の描写は

見受けられない、と聞きます。

 

それゆえに、キリストの復活する場面の絵は、受胎告知などに比べて

そう多くはありません。

復活後の絵は別にして。

 

しかしピエロは彼なりの解釈でこの大作に挑んだのです。

 

 

さらにアレッツォ市内のサン・フランチェスコ教会では

同じくピエロ作「聖十字架伝説」も見ることができます。

 

 

恐らく堀文子さんは、ピエロのそばにいたかったのでは?

 

いやきっとそうに違いない、そうでなければわざわざアレッツォを選ぶはずはない、、、

私は勝手にそう確信しました。

 

 

私がアレッツォに行ったのは2015年のこと。

「聖十字架伝説」を見るため、そして

「芸術家列伝」の著作で知られるルネサンス期の画家ジョルジョ・ヴァザーリの

私邸を見るためです。

 

残念ながら、サンセポルクロまで行く時間は取れませんでしたが。

 

 

アレッツォ市内にあるサン・フランチェスコ教会で見た「聖十字架伝説」は、

壮大な絵巻物のようなテンペラ画でした。

沈んだ色合いのなか、独特の静けさを伴う人物たちが物語を織りなします。

 

 

 

 

皮切りは、天井画部分(左手の半アーチ型の1枚)部分。

 

 

 

アップにします:

アダムとイヴのあのアダムの埋葬場面です。

 

人々が、大天使ミカエルから頂いた木の種をアダムの口に入れます。

(あるいは、埋葬場所のそばに木を植えました。)

そこから生えた木から、やがてキリストの十字架がつくられることになります。

 

 

 

神聖な木の前で礼拝するシバの女王。

 

 

 

コンスタンティヌスの夢。

天使が聖十字架を指し示す夢を見たコンスタンティヌス。

これがきっかけで、やがてキリスト教を公認することになります。

 

 

 

ちょっと目を見張ったのは伝説からの逸脱部分。

明らかに受胎告知と思われる絵があったのです。

ストーリーは事前予習をしたものの、受胎告知は含まれていなかったはず。

 

物語から逸脱して新約聖書の主要な場面を別途挿入したことで

この伝説にぐっと信憑性が付加された、

あるいは聖書のお墨付きを頂いた、、そんな印象を受けます。

 

 

 

堀文子さんが暮らしたというトスカーナ。

雄大な自然とピエロ・デッラ・フランチェスカの聖なる作品群が融合する場所。

 

堀文子さんの展覧会では、トスカーナ地方の家並みを描いた絵もありました。

 

ピエロが静謐な筆致で描いた聖十字架伝説や

キリストの復活との対面をこの地で果たしたことは疑いようがありません。