11月末の週末、横浜そごうで開始早々の

「薄井憲二バレエ・コレクション特別展バレエ―究極の美を求めて―」展に行きました。

(12月25日まで)

 

 

私の人生初のボリショイバレエ体験は、祖母に連れられて行った

ナタリア・ベスメルトノワの公演。

優雅な姿には忘れがたいものがありますが、

残念ながらベスメルトノワ関連の展示は見つかりませんでした。

 

映画で活躍されたバリシニコフの展示はありましたが。

 

 

また、ピカソが描いたバレエ・リュスのプログラムや

マティス、シャガール、フジタ、ダリ、コクトーらが描いた関連デッサンなどが

一角を占めていて、兼ねてから抱いていた思いを確認できた気がします。

 

 

それは、バレエ、とくにバレエ・リュス(パリで活動したロシアバレエ団)というのもが

単に舞踊好きの人たちの間にとどまっていただけでなく、

当時(20世紀前半)美術界全体に大きな影響を与えた、という点です。

 

 

4年前に国立新美術館で「ロシア・バレエ 魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」が

開催された時にもそれは感じたのですが、その影響の範囲は

普通に考えるバレエの影響力をはるかに上回り、かなり広かったようです。

 

 

そしてそれは文学の世界もしかり。

 

今読んでいるプルーストの「A la recherche du temps perdu(失われた時を求めて)」にも

バレエ・リュスやバレエ・リュスの舞台演出を担当した

レオン・バクストの名前がさりげなく挿入されていました。

(文末に内容を記します。バクストはプルーストと同時代です。)

 

 

これは私見ですが、バレエ・リュスの至高の芸術性ゆえの影響力と

いうのは言うまでもありませんが、

当時貴婦人を中心としたサロンで、文学・美術・音楽の専門家たちが

垣根なく交流しあっていた、そうした素地も寄与していたのでは、と思うのです。

 

 

以前読んだパリのサロンの実話には、画家の家に集まった文人たちが議論をかわし、

ふらりと寄ったドゥビュッシーが自作の曲を何気なくピアノで弾いて帰っていく、

といった場面が登場します。

 

 

ジャンルを超えてお互い刺激をしあって、それが個々の作品に反映される、

そんな豊かな時代の空気がバレエ・リュスを取り巻いていた、

そう見ることもできるのではないでしょうか。

 

 

==== プルーストの文中に登場するバクストとバレエ・リュス ====

 

 

麗しい少女たちの色彩の違いが、それぞれの姿の面の見え方まで変えてしまう、、、

というくだりで、

 

「・・(それは)バレエ・リュスで使う小道具にも言え、昼間に見たら丸く切り抜いただけの紙切れにすぎないものを、かのバクストの天賦の才が、舞台装置を淡い紅色に照らし出すか、月明かりのように照らしだすかによって、それが宮殿正面玄関に堅くはめ込まれたトルコ石になったり、庭の真ん中にやわらかく咲くベンガル・ローズになったりする。」(岩波・吉川一義訳)

 

 

 

(原文)

「le génie d’un Bakst, selon l’éclairage incarnadin ou lunaire où il plonge le décor, fait s’y incruster durement comme une turquoise à la façade d’un palais, ou s’y épanouir avec mollesse, rose de bengale au milieu d’un jardin. Ainsi en prenant connaissance des visages, nous les mesurons bien, mais en peintres, non en arpenteurs.」

 

 

 

「薄井憲二バレエ・コレクション特別展バレエ―究極の美を求めて―」展

写真撮影コーナーにて。

 

 

バレエバーが置かれ、会場の雰囲気を味わいながら、アン・ドゥ・トロワ・・・

ができるスポット

 

 

撮影用にほんの気持ちだけ、、といったかたちで用意されたコスチューム。