最近発見された天正遣欧少年使節のメンバー伊東マンショの肖像画に関して、続きです。
先日書いた通り、天正遣欧少年使節は、イエズス会により派遣されました。
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが16世紀半ばに日本に布教に来たことは社会科でも習うため、イエズス会は日本でも有名な修道会ですが、修道会は他にもあります。
例えば、サレジオ会。
碑文谷にあるサレジオ教会は、松田聖子さんが最初の結婚式を挙げたことで
有名になりました。
私自身カトリック信者ではないのですが、新年に訪問させていただいたことがあります。
邪魔にならないように写真を撮らせて頂きました。
内部がとても豪華だったもので、許可を得て。
黄金色とブルーの色彩で統一され、細部に様々な宗教モチーフがちりばめられています。
犠牲の象徴羊のモチーフも。
ぶどうもたわわに実っています。
ラヴェンナで見たサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂をどことなく思い起こさせます。
素朴さと抑え目の華やかさが混じったところが、どこか中世の教会風なのです。
ステンドグラスも美しく、マリアの物語や、イエス・4キリストの物語がわかりやすいかたちで絵として
写し取られています。
キリストの洗礼、エリザベート訪問、受胎告知、などなど。
色合いは軽やかですが、重厚感のある素晴らしい教会でした。
松田聖子さんの結婚式のときは、さぞ華やいだ雰囲気だったことでしょう。
一方で、イエズス会の教会としては、例えばローマにイエズス会創始者のひとり
イグナツィオ・ロヨラの発案で建てられたジェズ教会というのがあります。
こちらは豪華絢爛な教会です。
外見からはなかなか想像がつかないのですけれど。
クーポラや天井の群像がイルージョニスティックになっていて、
吸い込まれそう。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリという画家の手によるもので、
以前BSの番組でも特集が組まれていました。
枠からはみ出して人物が描かれているので、天から降ってきそうに見えるのです。
16世紀後半、完成後に初めてこれを見た信者たちは、目をひん剥いて驚いたのではないでしょうか。
バッティスタ・ガウッリという画家のことは知らなかったのですが、素晴らしい腕の画家ですね。
13世紀までは、人形のような聖母子が描かれていたというのに、その後ルネサンスを迎え、
バロック時代にかけ、300年間の間で、絵画の技法が飛躍的に向上したのを痛感します。
とはいえ、13世紀頃は、イエスを人間のように描くことはご法度で、あくまで人間ではない存在として定型で描くべしという風潮だったので、絵画の技法が上がったというよりもまずその前に、イエスの外見を人間として描く、というその精神的な革新があってこその、技法改革だったはずです。
テクニックとしては仰視画法が用いられ、リアリティに富んでいます。
細部をずっと見ていると首が疲れるのですが、
こちらではすばらしいし仕掛けがありました。
それはーー
鏡。
丁度天井画が写るように大きな鏡が配置され、
上を仰がなくてもじっくりと天井画鑑賞ができるようになっています。
こちらは見れば見るほど発見があり、お勧めの教会です。
内部には、おなじみのIHSと書かれたクリストグラム。
ジーザス(Jesus)のギリシャ語 "ΙΗΣΟΥΣ"の短縮形が組み合わされています。
(IHSは、ラテン語の組み合わせ文字=バックロニムという解釈もあるようですが。)
さて、そんなイエズス会が日本国外に派遣した4人の少年たちは、
様々な場所で歓待を受けます。
この伊東マンショの肖像画は、実は下絵であり、4人の少年を網羅した作品へと
結実するはずでした。
ところが、それは結局実現しませんでした。
(続く)
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