◆ アメリカ軍による実在した「日本人狩り」許可証の展示も
杉本博司のロストヒューマン展は、
いろいろ考えさせられる内容だった。
人類はさまざまな理由で滅亡の危機にある。
文明の名の下で行われてきた様々な行為が
過度な方向に向かい、
しっぺ返しを受けるかたちで。
そうした思想を裏付ける言葉と、それを暗示する品々が
劇場型インスタレーションというかたちで提示されている。
個人的に印象的だったのは、
開放され、自由になりすぎた人類の行く末を語るパート。
(クレディリヨネのLiberte<自由>と書かれたポスターが使われていた。)
自由とは、不自由さあってこその自由であり、
不自由さがなくなったただの自由に
人はもう意義を見出せなくなり、
そして破滅へと向かう、というシナリオ。
この一見矛盾とも思える論点は、
今日丁度読んでいた米原万理さんのエッセーとも呼応した。
「北風と太陽」の童話に参照しつつ、米原さんはこう語る。
童話では、太陽に軍配が上がるけど、
無自覚のうちに暑いから、と上着を脱がせてしまうということは、
人が意思で動いたことにはならない。
むしろ北風という敵が登場することで、
人はそれに歯向かおうと試み、
最終的に必死でコートの襟を合わせ風に立ち向かう。
つまり、意思を伴う行為に帰結する。
米原さんいわく、閉塞感を感じていたソ連の民がまさにそれで、
共産社会の報道を、はなから信じたりせず、
自分の目と耳で事実をかぎ分けようとしていた。
ソ連政権がまさに<北風>だったのだ。
ところがロシア体制になって締め付けが緩むと、
どことなく人々は油断し、
支配側に接近した思考をもつようになる。
報道される内容をも鵜呑みにしたりする。
甘い水に幻惑され、
みずからの思考が停止状態になってしまうのだ。
不自由という逆境あってこそ
自由に対して貪欲になれる。
それは芸術も同じ。
例えばゴシックという制約があることにより、
人はその範囲内で、最大限を探求しようとした。
規制なき解放感の中では、
緊張感は失せ、締まりのない雰囲気をまとうようになりがちだ。
「ロスト・ヒューマン」の展示では、選ばれた品の中に
Jup Hunting Llicense(ジャップ・ハンティング・ライセンス)
もあった。
日本人狩り許可証だ。
Good for the duration of season シーズン中有効
とあったものの、そのシーズンには期限がない。
下には
Open season , no limitとある。
背筋が寒くなった。
日本人狩りを正当化した許可書が存在したという事実;そして
日本人狩りを無限に可能にする許諾書が、
あんなペラペラな小さい紙片1枚だったという事実。
本展は、ことさら悲惨な方向に人類の未来を導こうとするものではない。
歴史を紐解けば、
考えも及ばないような悲惨な罪を
人類はすでに犯し続けてきた。
未来は岐路に立つ我々次第。
読んで、見て、感じて。
頭をフルに使う、知的な展示だった。