先週末は、国立公文書館主催の講演会へ。

登壇者は、元文部大臣の赤松良子氏と、作家の森まゆみ氏のおふたり。

赤松氏といえば男女雇用機会均等法の立役者。

社会を大きく変えたこの法律の制定にあたり、
どのように会社のトップたちを説得したか、など
驚きの事実も多々あった。


今回の講演会は女性の社会進出に関するもので、
赤松氏は、男女雇用機会均等法、
森氏は、平塚らいてうの話。

両方とも聞きごたえのある内容だった。


特に赤松氏の話を聞くにつけ、
あのとき労働省婦人局長が別の人だったら、
日本における女性の社会進出は、もっと遅れていたはず、
そう確信した。

それほど当時としては一大革命だったのだ。


赤松氏が寝る暇も惜しんで法律の策定に取り組んだそのわけは、
仕事上で差別を受けた女性からの相談が後を絶たなかったためらしい。


ハネムーンから帰国した女性が
出社したら席がなかった、などという漫画のような事態が起き、
裁判沙汰になった、そんなこともあったそう。


入社の際に結婚退職に同意する文書に調印していたから
会社は全面的に闘う姿勢を見せた。

(ずらずら書かれた書類に判を押させられ、その中に結婚退職の一文が
しれっと盛り込まれていたのだろう。)


法廷闘争の末、
結婚で強制的に退職させることは公序良俗違反だとして、その女性は勝訴した。


憲法は、すべての契約においてSupersede(優先)されるのだ。


とはいえ赤松氏は、はた、と考えた。

勝訴したからいいというものではない。
裁判を起こさなければ女性は働き続けられない、
そんな悲惨な現実がある。

法律から変えない限り、それは続く。


ただ、いきなり法律を策定しても、
反感を買うだけだ。

まずは大上段に構えるのではなく、
根回しをして、企業人のマインドを変える必要がある。


そこで、彼女がしたことは、企業訪問!
各界の上層部に自ら面会し、
理解を求めたそうだ。


結局男女雇用機会均等法はできたものの、
”努力目標”ということで強制力のあるものではなかった。

けれど、このほんの少しの前進が、
とてつもなく大きな一歩だったのだ。


御年87歳。
でも、原稿を一切見ることなく、エネルギー全開でお話は進んだ。

濃密な時間があって、それが脳裏に深く刻まれていることが
うかがわれた。


すでに引退されているが、赤松良子氏の名前はつい最近聞いた。

ホテルオークラで8月に開催されたコレクション展においてだ。

父の赤松麟作氏の作品《夜汽車》が展示されていた。
赤松麟作氏は黒田清輝に師事し、
佐伯祐三が赤松氏に師事した、などとも聞く。



壇上の赤松良子氏は想像よりはるかに小柄だった。

このからだのどこにあのパワーがあったのか。

女性にとっては、まさに救世主といった存在だ。