★ツール・ド・のと400

2024年元日午後4時10分頃、能登半島地震が発生しました。

私は以前、この能登半島を一周する自転車レース《ツール・ド・のと400》に

3回チャレンジしました。

初挑戦は2000年。2回目は翌年の2001年。3回目は2003年の計3回。

そして、今回の大地震で、そのコースや地域の多くが甚大な被害を受け、

崩壊してしまいました。

当時、私は《ツール・ド・のと》の感動を記録に残したいと思い、初挑戦の

後で体験記を作成しました。A4サイズで7ページ。

今、手元には紙ベースの印刷したものが 残っています。

今回の地震を受けて、当時お世話になった方々への感謝の気持ちを新たに、

能登半島地域の復興への願いを込めて、この体験記の《復刻版》を作成しました。

ここでは、ワード原稿をそのまま掲載します。

読みずらいかもしれませんが、必要に応じて印刷してお読みいただけたらと

思います。

 

★原本2000年版《ツール・ド・のと400》表紙

原本2000年版表紙

★ツール・ド・のと400『チャンピオンコース』の紹介

1日目149km、2日目164km、3日目123km。

3日間の走行距離436km。

連日山越えのコース。最大高低差250m。

 

★《ツール・ド・のと400》復刻版・表紙

ツール・ド・のと復刻版表紙

 

★《ツール・ド・のと400》復刻版

 

◇9月15日(金)晴天・猛暑    

松任 ⇒⇒⇒ 輪島149km

 

 私のゼッケンは『123』、とても縁起の良い番号に思えた。

朝7時20分、前泊した「松任シティホテル白山」を出発。スタート会場の松任海浜公園までは車で10分。健脚のつわものどもが自信満々に待機していた。スタート前の最終調整に力が入ってタイヤに空気を入れすぎたのか、あちこちで「パーン!パーン!」とパンクの音。まるで、大会の打ち上げ花火のようだ。会場アナウンスは、歯切れの良い女性の声。さわやかに元気よく、参加者に呼びかける。

 日焼け止めクリームをたっぷり塗って、不要な荷物をあずけ、自分の自転車を受け取って、スタート準備完了。開会式、主催者のあいさつ、競技上の注意があって・・・

8時30分、さあスタートだ。10秒前からカウントダウン、「10・9・8・7・6・5・4・3・2・1」バァーーーン。ついにスタートだ。ペダルに足をかけて・・・

しかし、とても前に進みそうもない。なぜって、850人が順番にスタートしなければならないのだから、全選手がスタートするのに10分以上はかかってしまう。前の選手が動き出すまでちょっと気が抜ける。

スタート前

 スタートしてすぐに一般車道に出る。車道は一列走行、赤信号はきちんと止まる。交通ルールに従うため、松任市内~金沢市内を抜けるまでズーッと一列縦隊。3kmくらいの長さでヘビのようになって走る。スタートして1時間くらい過ぎるころ、ようやく列が離れてバラバラになる。

 この日は朝からギラギラの良い天気。気温はグングン上昇、予報では34℃まで上がるという。私も櫻井さんも初めての参加なので、コースの様子がわからない。スタート後の長い渋滞でイライラしたこともあって、郊外に抜けて解放されたら一気に加速して、元気よく走った。今日のコースは、1日の最後に大きな山越えがある。それまでは、いくつかの小さなピークを越えていく全長149kmのコースだ。最初のチェックポイントまでは約82km。時速20kmで走行して4時間でたどり着く計算だ。折からの猛暑に加え、慣れないレースにちょっと張り切りすぎてバテ気味の私は、途中で自動販売機を見つけて冷たい清涼飲料水をたっぷりと飲みながら進んだ。

 

 バテ気味とはいえ、1日目ということもあり、観光気分も加わって、時々自転車を降りて写真を撮る余裕があった。サドルバッグに納めるために、使い捨てカメラ『写るんです』を用意した。風光明媚な能登の海をカメラに納めた。途中『押水』休憩所で一服して、午後1時頃チェックポイント『志賀』へ到着。ここは昼食会場でもある。用意されているメニューはカツ丼・カレーライス・スパゲッティミート・フルーツ各種。櫻井さんは、すでにグロッキーで、食べ物がまったく喉を通らない。オレンジを2~3切れ食べただけだ。私は何とかカツ丼を胃袋に詰め込んだ。日陰の心地よさに、再出発する気持ちになれない。なんせ、この時間帯は最も熱い陽ざしが体に焼きつくからだ。熱くなった体が冷めやらぬうちに、いやでも出発しなければならない。

 

 出発前にサポート車をつかまえてハンドルの調整を頼んだ。どうも、走行しているうちに、ブルホーンハンドルが下がり始めている。見てもらったが、修正不能。ハンドルを締めつけているネジが動かないのだ。六角レンチがなめてしまう。しょうがなくDHバーだけ上向けに修正してもらった。

1時50分再出発。次のチェックポイント『門前』までは約46km。これといった大きなピークはない。1時間ほどで、すんなりと行けるはずだ。『門前』チェックポイントでは、地元で採れたリンゴがサービスされていた。氷水の中にヒエヒエのリンゴが用意され、一口かじると甘い果汁が口の中に広がった。「うま~い!」。こんなにおいしいリンゴは初めてだ。3~4切れ口にほおばって味わった。

写真リンゴサービス

 さて、ここから先が本日の難所『円山峠』だ。峠に入るまで徐々に上っていく。私はすでにエネルギー切れ状態で、ゆるい上り坂でも苦しい。途中で自転車を降りて休憩した。『円山峠』は、標高0m~250mまで一気に上るという強烈な坂だ。下りになることは全くない。行けども行けども上り道。ひとつのカーブが終わると次のカーブ、またひとつ終わると次のカーブ。ハンドルをしっかり握って、一歩一歩ペダルを踏み込む。疲労し切った太ももの筋肉は、すぐにもつりそうになっている。もう、ほとんどペダルを踏み込む力が残っていない。ダウン寸前だ。踏み込めないなら、引き上げるしかない。太ももの裏側の筋肉を使って、ペダルを後ろに引き上げてこぐ。

 

 辺りは、夕方の空気に包まれ始めている。山の中を抜ける道は、夕陽をもさえぎって、ひんやりしている。体力が限界に達したからか、それとも気温が下がったのか、私の体はザワザワと寒けを覚え、青ざめていくように感じた。前方に目をやると、黙々と山道を上る選手たちの姿が見える。まるで時間が止まっているかのように、ゆっくりと、そして静かに、薄暗い世界があった。ひっそりと静まり返った夕方の山道には、ペダルを踏む音さえも響かない。

 

 もう、だめかもしれない・・・何度そう思ったことか。このまま力尽きてリタイアしてしまうのか。救護車に収容されるのはいやだ。なんとしても今日1日だけでも完走しなければ悔しい。明日はどうでもいい、とにかく今日は全ての力を出し切って、倒れるまで走り続けよう。・・・息絶え絶えに上り続けて、地獄の坂にも終わりが見えてきた。前方に山頂らしき地点が見える。坂の上に休憩する人々がいる。「あー、ついに山頂だ!」自転車を降りて体を休め、ボトルの水を飲む。こんなにつらい上りの連続は初めてだ。

 さ~て、ここから先は一気に下る。ここまで上りつめた分、下りの連続だ。DHバーに体を沈めながら、エアロポジションをとって猛スピードで下る。時速60km~70kmは出ているはずだ。ア~、気持ちいい!下りは最高だ!風を切って走る心地よさ。苦あれば楽ありだ。この坂を下りれば、ゴール地点のある輪島市内に入っていく。

 

 輪島市内は、ほぼ平坦だからたいしたことはない。市内の信号をいくつか通過すると、向こうからアナウンスの声が聞こえる。「お帰りなさ~い。お帰りなさ~い。坂はきつかったネー」。疲れ切った体も最後の力が湧いてくる。ポップ・ミュージックの大音響と、元気のいいアナウンスがゴール地点で迎えてくれた。「やったー!ついにゴールだ!」。ゴール時刻は夕方5時30分だ。なんとか149kmを走り抜いた。本日最後のスタンプを押してもらって、冷え冷えの缶ビールを受け取り、グイッと一気に飲みほした。「うま~い。最高」。アルコールが体にまわって、くらくらした。一息ついて、荷物を受け取り、自転車をあずけて、櫻井さんの到着を待った。

 西の空にピンク色に輝く大きな太陽が沈もうとしている。しばらくして、櫻井さんもようやくゴールした。2人で疲れを休めていると、場内アナウンスで本部に呼び出された。「ん?なんだろう」・・・。行ってみると、どうも、本日の宿の手配が誤っていたらしく、私たちの宿は、ここからはるか車で2時間以上も離れた能登島(明日のゴール地点)の民宿になっていた。事務局で急きょ輪島市内の民宿を手配しなおすという。あ~あ、まいったなあ。疲れているので気持ちもめげてしまう。手配に時間がかかり、民宿が決まって、宿に入ったのは夜7時30分だった。

 

 まずは、風呂に入って汗を流したい。疲れ切った身体に熱いお湯が気持ちいい。入浴後ようやく夕ご飯にありついた。とりあえず、ビールで乾杯!でも、2人とも疲れすぎていて、ビール1本を飲むのもやっとだった。櫻井さんは、目の前の海の幸にほとんど箸がつかない。茶わん蒸しとソーメンを少し食べただけだ。私は、食欲はいま一つではあるものの、輪島の海の幸を味わうことができた。ごはんも一杯食べて、明日のエネルギーとしては十分だ。夕食を食べながら、2人ともしゃべる気力もなく、テレビのシドニーオリンピック開会式の様子をぼんやりとながめていた。

周囲で夕食を食べている他の参加者のナント元気なことか。しかも、60代と思われる年配の人ばかりだ。ビールを飲んで元気いっぱい、大声で楽しんでいる。

 食事を終えて部屋に戻り、ゴロンと横になっていると、太ももの筋肉が急につった。イタタタタターーーーーッ。こんなんで、明日も走れるんだろうか?もう2人ともヘトヘトだった。夜9時、疲れ切って眠りに入った。

 

◇9月16日(土)晴天・猛暑

輪島 ⇒⇒⇒ 能登島164km

 

 6時20分起床。6時30分朝食。一夜明けて、櫻井さんもようやく食事がのどを通るようになった。私は食欲バンバンで、おいしく朝食を食べた。しかしながら、櫻井さんは本日のレースは棄権するという。昨日の疲れがとれないのだ。私も疲れはとれないが、なんとかスタートぐらいはできそうだ。櫻井さんがリタイアするので、私も何となく気分的にのり切れないけれど、とにかくスタートだけはすることにした。とにかく、行けるところまで行って、力尽きたらその時点でリタイアしてもしょうがない。もしくは、制限時間オーバーで途中収容されてもしょうがない。まあ、とにかくスタートの準備をしよう。

 昨日のゴール地点が今日のスタート地点だ。自転車を受け取り、荷物をあずけて、準備完了。スムーズなスタートをするには、ゼッケン番号にこだわらず、なるべく前に並んだ方がいい。今日のコース設定は、全長164km、最初から最後まで数十個の小さなピークがあり、アップダウンの連続だ。大きな山越えは真ん中にある。とにかく長いのが、一番の難関だ。

 

 8時30分。スタートの号砲。昨日とは違って、特に渋滞することもなく、スムーズな走り出しだ。私は、昨日のレース展開を反省して本日の作戦を練った。身体はまだ疲労しているし、1日の距離は長い、おまけにアップダウンの連続となれば、持っているエネルギーをバランスよくつかわなければ1日を走り切ることは不可能だ。とにかく、平坦地でもペダルになるべく力を入れないことだ。無駄なエネルギーは一切使わない。自分の足の重みだけでペダルを回そう。わずかな上りでも、一番軽いギアでゆっくりのんびりと進むことだ。決して力んで筋肉を必要以上に疲労させてはならない。それが後で致命的な要因となるからだ。目標の平均時速は20km。

写真千枚田

ゆっくりと進む私を、次々と選手たちが追い抜いて行く。「あせるな、あせるな。ゆっくり、ゆっくり、マイペースだ」と自分に言い聞かせながら進んだ。どんなに追い越されても気にしないことにした。「そうだ、これはレースじゃあない。サイクリングなんだ。ゆっくりと景色をながめながら走ろう」。まるで、一人で知らない町へやってきてサイクリングしているような感覚だった。コースは海岸沿いを走る最高に快適なコースだ。気持ちを紛らわすために、左手に広がる能登の海をぼんやりとながめながら、ただただペダルを踏み続けた。幸い朝から曇り空で、気温も上がらず、絶好のサイクリングコンディションだ。急な上り坂は、登山の要領で「一歩、一歩、また一歩と、止まるようなテンポで歩くように進むことだ」。最初のチェックポイント『木ノ浦』までは約40kmだ。力を使わない分、体力に余裕を残してチェックした。

 

 次のチェックポイント『内浦』まで更に約40km。再びゆっくりと進むしかない。景色は、相変わらず海岸沿いを進む美しいコースだ。入り江が幾重にも重なり、ジグザグに伸びるコースの向こうには、前を行く選手たちの姿が遠く小さくかすんで見える。私は、昨日のサイクリングで、サドルの当たる部分が股ずれになり、サドルにお尻を乗せるとヒリヒリと痛んだ。朝から少し痛みはあったが、だんだんとひどくなるのがわかった。お尻の位置を動かしたり、時々お尻を上げて立ちこぎしながらペダルを踏んで、だましだまし走り続けた。平坦地を走る時は、DHバーのひじ掛け部分に手の平を乗せて走るのが楽だ。姿勢を起こして乗れるので腰に負担はかからないし、手の平もハンドルを握りっぱなしでは痛くなってしまう。

 

 ところが、ここでアクシデントだ。走行しているうちに、そのひじ掛け部分のパッドがカタカタ音をたててゆるみ始めた。走れば走るほどゆるんでくる。しまいには、もうはずれて落ちてしまうのではと思うほどクラクラしている。これでは、手を乗せたり、つかんだりすることはできない。固定していたネジがどこかで落ちてしまったのだろうか?私は、このパッドがいつ脱落するか心配でしかたなかった。そそうな話だ。ハンドルは下がる、パッドはゆるむ・・・これじゃレースに集中できないじゃないか。

もっとしっかりしてくれよ!本番で役に立たないようじゃ話にならない!踏んだり蹴ったりだ。自転車が不完全なまま、とりあえず休憩地点を目指して走り、『鉢ケ崎』休憩ポイントでひじ掛けを補修してもらった。ひじ掛けは、構造上ネジは内側から取り付けてあり、脱落する心配はなかった。マジックのパッドをはいで、ネジを締め付けて完了した。気分新たに再出発。安心して次のチェックポイントを目指した。

ブルホーンハンドル

 『内浦』チェックポイントに到着して昼食をとる。用意された弁当とツミレ汁をいただいて腹ごしらえをした。疲れた体には何といっても汁物がおいしい。体調もいいし、食欲もあった。このころから一時天気が良くなって、前日同様焼きつくような陽ざしが照りつけていた。 出発前に再度ハンドルの角度調整をみてもらった。しかし、やはりブルホーンハンドルの締め付け不能だった。それどころか、腕で強引に引き上げると簡単に動いてしまうのだ。これはもう、どうしようもない。気がついた時に自力で持ち上げるしかないのだ。ハンドルの調整をあきらめて出発。

写真・軍艦島

 さて、ここから先『穴水』チェックポイントまでが本日の最大の山場だ。大きな山越えが2~3あって、しかも『穴水』での制限時間が厳しいのだ。ここを制限時間内にクリアできないと、ゴール地点に到着するころには夜になってしまうため、大変危険だからだ。『穴水』までは43kmほどだが、かなりの時間を要するものと考えられる。とにかく黙々とこぎ続けると、山越えの一歩手前に『能都』休憩所があった。いよいよピーク『立ケ谷峠』だ。長い長い上り坂が延々と続く。「一歩、一歩、そうだ、歩くように。歩き続ければそのうちに山頂にたどり着く。ゆっくりでいい、時間をかければ山頂は必ず見えてくるんだから」。意識を失いそうになりながら、自分に言い聞かせる。周りの人は、途中で息切れして自転車を降りたり、力一杯ペダルを踏んでも前に進まない様子だった。ここまでに力を使い果たしているのだ。脱落する選手たちを横目に、ジワリジワリと追い越しながら、私はピークに到着した。

よーし、次は下りだ。一気に下りて次の『桜峠』だ。次々と立ちはだかる山越えだが、何とかかんとか乗り越えて、ここを降りればチェックポイントの『穴水』だ。しかし、制限時間が近づいていることに気が付いた。山を下りて平坦地に出てからもグイグイ飛ばさなければ間に合わない。これまでためていた力で、一気にスピードを上げて走り抜けるしかない。あとどのくらい走ればチェックポイントなのか、まったくわからないから気持ちの上で焦りがあった。心配もそこまで・・・前方にチェックポイントが見えてきた。私がチェックしたのは、制限時間わずか5分前の16時40分だった。ギリギリセーフ。

 

 チェックしてしまえば一安心だ。ちょっと一息。しかし、あまりのんびりとはしていられない。次の制限時間ポイントが待ち構えている。すぐにスタートして、次のポイントに向かった。次は小さな山の山頂『中島』制限ポイントだ。制限時間は17時30分。どうにかこのポイントも制限時間ギリギリに通過した。ここは休まず、ゴールへ向かって走り続けた。ゴールまで約20km。20kmならば、もう射程距離だ。しかも、ここから先は大きな山越えはないはず。制限時間の18時30分までにゴールすれば良いのだ。

しかし、時速20kmで走ったのでは間に合わない。スピードを上げて走らなければ。前半抑えていた分、体力は十分残っていたし、疲労感もなかった。前を行く人たちをどんどん追い越してゴールを目指した。いよいよ能登島、2日目の完走が見えてきて、走りながら1人苦笑いをした。ゴールはすぐそこだ。どんよりとした東の空に、大きな虹がかかった。夕方の赤い虹だった。まるで、私たちがゴールするのを祝福しているかのようだった。

ツインブリッジのと

今年完成したばかりの美しい橋『ツインブリッジのと』を渡って能登島に入った。ゴールはすぐそこと思ったら大間違い。いくつもの丘を越えて、反対側の海岸へ下りなければゴールはない。これでもか、これでもかと次々に現れる丘に向かって、ただひたすら進むしかなかった。ドラマチックなほどに真っ赤な夕焼け空が西の空に広がっていた。とても美しい夕焼けだ。思わず写真に撮りたいと頭に浮かんでしまった。しかし、自転車を降りている時間の余裕などないのだった。ようやく、島の反対側へ下る最後の坂にさしかかった。「あ~~、もうこれで上らなくていいんだ」と思った。坂を下りて、しばらく平坦地を走って、ついに今日のゴール地点だ。

 

 ゴール地点では、昨日と同様に、元気なアナウンスで「おかえりなさ~い。おかえりなさ~い。」と迎えている。大音響の音楽の中へ吸い込まれるようにゴールした。制限時間の20分前。18時10分だった。ついに走った!164km。ほんとうに、よくやった。缶ビールをもらってグイッと飲みほした。昨日よりも疲労感はなく、余裕の表情だ。ビールもまるでききゃあしない。しばらく体を休め一息ついて、民宿行のバスに乗った。

 民宿『花藤』。昨日誤って連れてこられるところだった宿だ。昨日もここだったら最悪の条件になるところだった。とりあえず、ひと風呂浴びて夕食についた。夕食のごちそうは、昨日以上に豪華だ。お刺身の船盛がドーンと出され。一人ひとりの食膳には、海の幸のオンパレード。本日走らなかった櫻井さんも、今日は十分味わうことができる。とりあえず、今日の私の完走を祝して乾杯。ビールを2本飲んだ。部屋は他の参加者と相部屋で、私たちを含めて6人部屋だった。テレビではシドニーオリンピックを放送していた。柔道の『ヤワラちゃん』こと田村亮子選手と滝本誠選手が男女そろって金メダルを獲得したニュースでもちきりだった。10時にテレビを消して全員就寝。しかし、私は体がほてったり、気持ちが静まらず、朝までほとんど眠れなかった。朝方近くに1時間も眠れただろうか?夜中内、歯ぎしりや寝言が聞こえていた。

 

◇9月17日(日)小雨のち曇り晴れ・強風

輪島 ⇒⇒⇒ 能登島164km

 

 昨夜はほとんど眠れなかったので、体調は不完全だった。夜中から朝にかけて、けっこう雨が降り続いた。体調は良くないものの、朝ご飯はおいしくいただいて、おかわりして2杯食べた。

 本日も8時30分スタートだ。櫻井さんも今日は万全の体調で臨んだ。なんせ、ゴール地点に奥さんと娘さんが応援に駆けつけることになっているのだから。私は、昨日の疲労が若干あるものの、睡眠不足のほかは万全だった。スタートの頃は、まだ小雨がパラついて路面は濡れてすべりやすくなっていた。スリップに十分注意しなければならない。しかし、走行するには涼しくて心地よい気温だった。

 本日のコースは、前半と真ん中に大きな山越えがあって、その後はズーッと平坦な道が続く。私の作戦は昨日同様、ゆっくりと力を使わないで走り続けることだ。それにしても、3日目ともなると、なんと足の重いことか・・・。平坦地でもペダルが重く感じられた。雨で路面が濡れているせいばかりではないようだ。しかし、初日の山越えのことを思えばどうということはない。力は十分に残しているのだから。そんなことより、股ずれの方がつらい。できることなら、サドルに腰を下ろしたくなかった。昨日よりも、そして走れば走るほど痛みは増していくばかりだ。痛みをごまかしながら『氷見』に入った。砂地の会場は、シューズやペダルのビンディングに砂が詰まって具合が悪い。あまり感心しない。

 

 本日の最大の敵は何か。それは風だった。途中から吹き始めた強風は、常に向かい風で私たちの行く手を阻みつづける。海岸沿いに吹きつける風、山の谷間を吹き抜ける風。下り坂になっても、昨日みたいに一気にスピードは出ない。下り坂もペダルを踏まなければならないのだ。『氷見』を出ると次は『志雄』チェックポイントまで約30km。ポイント直前に大きな山越えがある。天気も回復し、青空の下、陽ざしを浴びながら、そして風に吹かれながら、山へ向かっていった。喉が渇いて、途中の自販機でコーラを買って飲み、ボトルの水を満タンにした。山越えはさほど気にならなかった。私にとって、山越えはもう敵ではない。つらいことは全くない。苦戦する皆さんを横目に見ながら、余裕で上がるのだ。

山頂手前では、地元の子供たちがドリンクサービスをしていた。でも、坂の途中なのだ。これではハンドルの手を離してドリンクに手を出すわけにはいかない。もらおうとする人たちは、たちまちバランスを崩してしまう。おまけに飴を配っていた。こんな息の切れた状態で飴など口に入れようものなら、喉に詰まらせるかもしれない。私は何も受け取らず、そのまま下り坂に向かった。坂を下りれば昼食会場の『志雄』チェックポイントなのだ。

 

『志雄』では、サービスドリンクが切れていた。サービスとはいえこんなことでは困ってしまう。全員にいきわたらないような準備では話にならない。私の後からも次々と入ってくるというのに・・・。しかたなく弁当と海鮮汁を食べ、汁をおかわりして食べた。

 相変わらずの強風の中、ゴールに向かって出発だ。あと残すところ約54kmだ。風さえなければ2時間30分でゴールできるはずだが、この風の中では思うようにいかないだろう。『志雄』を出ると、とても大きな国道を走る。ゆったりと上下しながら田園地帯を貫通する。そのうちに田んぼの中の農道を延々と進み始める。風・風・風・風・風・・・行けども行けども風がやむことはない。そして、いつまでたっても田園風景が続く。こんな道を1人で走ることはできない。もう、いやになってしょうがないのだ。誰か自分と同じペースの人を捕まえて、ついて行くしかない。そうしなければメゲてしまいそうだった。

 

しばらくしてゼッケン『120』を捕まえた。マウンテンバイクの50歳代位の男性だ。後ろにつくと、ほぼ同じペースだ。とりあえず、この人の後ろについて行くことに決めた。120番にピッタリとついて、ただひたすらこぎ続けた。多分このペースで行けば、ゴールは16時10分頃だろうと読んだ。風にあおられ、喉が無性に渇く。ボトルの水をたびたび口に運んだ。早くこの田園地帯を抜けてほしかった。こんな吹きさらしの場所はうんざりだ。ようやく工業地帯に入り、街へと入っていった。

松任市内に入ると交通が激しく、自転車の脇を勢いよくダンプトラックが飛ばしていく。おそろしい。市内は信号が煩わしい。国道から北陸自動車道が見えてきて、いよいよゴールが近づいてきた。最後に海岸沿いのサイクリングロードを走る。朝からの強風で能登の海は大荒れだ。波しぶきが道の方まで飛びかかる。メガネは波しぶきで真っ白。荒海を抜けて松任海浜公園に入った。

 

 ついにゴールだ!ゼッケン120に続いてゴールした。会場はすでに15時30分からさよならパーティーが始まっていた。私のゴール時間は16時11分。制限時間の19分前だ。完走証を受け取って、最後のスタンプを押してもらって、激戦の3日間が終わった。走りに走った、全長440km。先にゴールした櫻井さんが、奥さんと娘さんといっしょに出迎えてくれた。櫻井さんは15時50分ゴール。しかし、海岸沿いのサイクリングロードの砂でスリップして転倒、腕と太ももをすりむいて、胸のあたりを打ったようだ。大きなけがでなくてよかった。

ゴールさよならパーティー

3日間のレース。沿道のいたるところで、おじいちゃん・おばあちゃん・おとうさん・おかあさん・男の子・女の子が、手をたたいて、手を振って応援してくれた。「ガンバレー!ガンバレー!」と声をかけてくれたのは、とってもうれしかった。

 さよならパーティーの抽選会は、何も当たらなかった。私たちは自転車を車に積んで、今夜の宿泊ホテルに向かった。シャワーを浴びて一息ついて、みんなで夕食に出かけた。割烹で海の幸に舌鼓を打ちながら、祝杯をあげ、レースの余韻に浸りながら、楽しい酒に酔った。夜10時にホテルに戻り、ベッドに横たわると朝までぐっすり眠った。「あ~、明日はもう自転車に乗らなくていいんだ」と思うと緊張の糸が切れ、体中の力が抜けた。

 

コース図

★《ツール・ド・のと400》復刻版・裏表紙

 

 

art-makoの美術展示室「色のイマージュ」をご覧いただき、

ありがとうございました。

これからも、いろんな作品・写真などを展示していきます。

またのご来場をお待ちしております。

 

★ちょいチョイスCD

八神純子/スーパー・ベスト

八神純子CD

八神純子/想い出のスクリーン

赤く赤く ああ 燃える炎に

あなたの横顔が浮かんで消えた

遠く遠く ああ せつない程に

目を閉じればいつか想い出のスクリーン

 

愛しているのなら 愛していると

言葉にすれば よかった

少し素直な私を

もう一度 Um 見つめて

 

蒼く蒼く ああ 暮れる夕暮れ

哀しい気持して ふと立ち止まる

夢の夢の ああ 夢の中から

届いた手紙を 今想い出のスクリーン

 

愛しているのなら 愛していると

言葉にすれば よかった

少しやさしい私を

もう一度 Um 見つめて

 

愛しているのなら 愛していると

言葉にすれば よかった

少し素直な私を

もう一度 Um 見つめて