前回は、絶対やってはいけないアプローチとして、
文学・映画・音楽等々から、社会を読む、ということをお伝えしました。

今日はその続きですが、
同様に、絶対にやってはいけないアプローチは、
文学・映画・音楽等々を、作家の心理から考えるということ、です。

そりゃ、文学・映画・音楽等は、なんらかのメッセージではあります。ただ、作家のインタビューを読んだり、伝記を読んだりして、作家の心理の全体像と、作品の関係が分かったところでどうしたの言うのでしょうか? だいたい、映画をはじめ、複数のスタッフが制作しているような場合、そうした心理は無理があります。

では、本質をとらえるには?
すなわち、感動について、私たちはどういう言葉を発するべきか?

このことについて、あまりに、人は無防備と言わざるを得ないと思います。

真剣に考えてください。

ひとつのアプローチとしては、自分の内面を語るという方法です。それによって、自分がどのような変化をこうむったのか。確かにそれは、ありでしょう。
でも有名人やプロの評論家が言えばまだしも、素人が言ったところで、「あなたの内面なんて興味ない」って言われますよね。

ここで紹介するアプローチは、(メッセージとは知りつつも)、文学・映画・音楽等の表層について徹底的に語ることです。小説なら、言葉たちの具体的な配置や、テーマの連なり、表情をまさぐるのです。これをテマティスムと呼びます。その意味で、徹底的に作品の細部に注目する態度です。決して、社会だの、作家の心理だのに逃げないのです。

「テーマそのものの定義を設定する以前に、創造する意識と読む意識の困難かつ甘美な一体感と戯れつつ豊かな自己増殖を示すこと」

ちょっと分かりづらいですね~ 
それくらい批評の世界って、遅れているんですよ。
だから、人は、めったに「批評」なんて言葉を口にしてはなりません。

蓮實重彦の批評を読むことをおすすめします。下記のいずれも、みなさんが見たこともないアプローチで作品世界に迫っている傑作です。

『夏目漱石論』 夏目の作品世界を、横たわること、鏡と反復、報告すること等々のテーマでまさぐっています。

『大江健三郎論』 大江の作品世界を、数の祝祭と捉えています。

『監督小津安二郎』 次の10のテーマで小津の世界を「日本的」だのという凡庸な紋切り型から、解放させます。
1 否定すること、2 食べること、3 着換えること、4 住むこと、5 見ること、6 立ちどまること、7 晴れること、8 憤ること、9 笑うこと、10 驚くこと


次回は、では、
「絶対やってはいけないアプローチ」に、インテリどもは惹かれるのか? です。