1904年 鹿児島県に生まれる。
1929年 当時25歳の時に東京美術学校(現在の東京藝術大学)の洋画科を卒業。
吉井さんは100歳まで生き、自然と美術に囲まれて没しました。
吉井さんは、
「私は都会的な華やかなものより、地味で素朴なものの中に私の求める色彩や詩情をみつけて心ひかれるのである。」という言葉を残しています。
以前にもこの言葉を載せたことがあると思うのですが、この言葉の意味ついて追求しませんでした。
少し今日は触れていこうと思います。
吉井さんは、鹿児島で生まれたということになると、
東京などのビルや高くて大きな建物やたくさんの人々、たくさんの交通機関や、電線の量などとは少し違く、自然の多さ、空の広さ、人々の近さなど、生まれ育った街、人生を美しいものとしてみているのではないでしょうか。
色の載せ方ですが、淡い色を重ねて行くことで濃淡の表現をしているのではないでしょうか。
人物像を多く描いていますが、その細かさは人一人一人の顔にもよくみられます。
一人一人の質感や自然の力目玉までもを細かく描いていることに関してこういったところからも、吉井さんの言葉を思い蘇らせられることがあると思います。

