結構、歴史上でも多いし、うっかりうっかりーで、私も滅私奉公とっこして自己犠牲なってたってこともあるけれど、「私」の取り方でずいぶん変わるなあと。
滅私奉公は、経営者側でも上司でも働く側でも要求されることはあるけれど、
大我で動き小我を滅す。
どこの論語だ。これ。
と、やりつつ。勘違いが多いのが、自分の心身を犠牲にして、家族や家庭を犠牲にして、ご奉公。って人多いんだけど、違うの。それ、私を滅してるわけじゃなく、ただの自己満足。に、なるわけでね。
小我っていうのは「自分や自分の周囲だけの利益だけを受け取ろうと動く」
大我っていうのは「町全体国全体、すべてを見据えて、それらの利益になるように動く」
最近、目標や目的っていうのは多いけど「最終的にどこを見て動いているのか」ということ。
「認めてもらう」も、小我。そこにどうしても自分であり、自己が入るわけでねー。
秀吉さんと家康さんの違いでいうと、それぞれの歴史家さんでも意見分かれるけど、
結局は、秀吉さんは小我で動いていた。そして、家康さんは大我を見て動いていた。
「自分」が天下人になるために動いていたから、目的達成して、求められるものが大きくなったけれど、あくまで「自分」が中心だったから壊れたわけで。
「天下」のために動いていたから、全体を見て、システムを作っていくことで、江戸時代というシステムができあがっていたわけで。
私が付きまとう人は、仕方がないけど、視野が狭い。自分自身の意見に沿う人しか知らんとか、議員になれなかった時に思わず「自分の支持者以外は国民じゃない」とか言ってしまう人もいる。
皆の安心といいつつ「自分の安心」しかみてないからよね。
滅するのもプライベート犠牲にして、寝食忘れて、命も捧げるような人を求める職場は、使い捨てとしかみてくれない。そして、自分自身も使い捨てとしかみれない。使い捨てる職場は、だんだん壊れて行って発展しないからねー。
従業員や家族の生活を大事にする経営者のほうが、滅私奉公してくれる人は多いかな。この人のためなら、頑張れると。お金を払って雇ってるんじゃなく「その人の生活を生きることを助けている」と、見えている相手だけじゃなく、その向こうを見据えられるのが「大我」を持っている人。
お客様は神様ですレベルの「勘違い」でもあるよね。
あれ、歌うことは「神に捧げること」なわけだけど、聴きに来てくれるお客様を「神様」と思って歌っている。ということだから。食パンを売るのに「神様にいつもお供えするつもりで売っています」はありなんだけど、お客様の方で「私は神様なんだから敬いなさいよ」というのは違う。
やってもらったら感謝というお礼はきちんとしなさいよ。エネルギー交換でお互いに負担がかからない方法という神様はいても、100縁投げて、さあ、苦しゅうない、敬えという神様はいない。敬われるだけの事をして、敬うだけの価値があるから敬うのであってねー。
天の視点を意識するのと、自分を敬えは違うの。
話が大きくなりました。会社の利益のために動くにしても、お客様のサービスのために自分を犠牲、プライベートを犠牲は違うと思う。それを要求するのも違うと思う。それは、人を大事にできてない。
男子脳と女子脳は違うは「守るもの」の違いでもあるよね。女子は「家族や血筋、目に見える周り」を優先するのに対して、男子は「集落全体、社会全体、の大きな枠を守ろうとする」
女性は、自分の中で命をはぐくむ役割ももつから、どうしても、自分も守るをしないとダメって場合が多いわけでね。女性の職場が殺伐としがちなのって「自分を優先して、自分を優先してくれないとむきゃーってなる人の声が大きくなるから」その場合、あくまで「その人」を優先するのであって、その場にいる人たちを優先するわけじゃないから。
役割が違うからこそ、うまくいくパターンも多いんだけどね。
自己犠牲ってのは、ただの自己満足。そして、全体の利益を見ている人と、自分の名誉や利益しか見ていない人だと、行きつく先が違うことの方が多いし、後者は一代限りなんだよね。
自分のできる範囲は、それぞれ違うから、自分と同じようにこうあるべきだと、うまくいかないこともある。大我と小我を理解したうえで、役割として使い分けられる人の方が強いことも多いかなあ。
サメ[ト力強い人はそこを理解したうえで、家族は自分が守るから安心して戦ってらっしゃい出来る人。還る場所を作れる人やね。
守るものは人それぞれ違うわけで、何を守りたいか。というのを、自分の中で明確にしていかないと、滅私は出来んのよーとは思う。境界線引けなくなる人が多いのはそこ。
滅私奉公は、経営者側でも上司でも働く側でも要求されることはあるけれど、
大我で動き小我を滅す。
どこの論語だ。これ。
と、やりつつ。勘違いが多いのが、自分の心身を犠牲にして、家族や家庭を犠牲にして、ご奉公。って人多いんだけど、違うの。それ、私を滅してるわけじゃなく、ただの自己満足。に、なるわけでね。
小我っていうのは「自分や自分の周囲だけの利益だけを受け取ろうと動く」
大我っていうのは「町全体国全体、すべてを見据えて、それらの利益になるように動く」
最近、目標や目的っていうのは多いけど「最終的にどこを見て動いているのか」ということ。
「認めてもらう」も、小我。そこにどうしても自分であり、自己が入るわけでねー。
秀吉さんと家康さんの違いでいうと、それぞれの歴史家さんでも意見分かれるけど、
結局は、秀吉さんは小我で動いていた。そして、家康さんは大我を見て動いていた。
「自分」が天下人になるために動いていたから、目的達成して、求められるものが大きくなったけれど、あくまで「自分」が中心だったから壊れたわけで。
「天下」のために動いていたから、全体を見て、システムを作っていくことで、江戸時代というシステムができあがっていたわけで。
私が付きまとう人は、仕方がないけど、視野が狭い。自分自身の意見に沿う人しか知らんとか、議員になれなかった時に思わず「自分の支持者以外は国民じゃない」とか言ってしまう人もいる。
皆の安心といいつつ「自分の安心」しかみてないからよね。
滅するのもプライベート犠牲にして、寝食忘れて、命も捧げるような人を求める職場は、使い捨てとしかみてくれない。そして、自分自身も使い捨てとしかみれない。使い捨てる職場は、だんだん壊れて行って発展しないからねー。
従業員や家族の生活を大事にする経営者のほうが、滅私奉公してくれる人は多いかな。この人のためなら、頑張れると。お金を払って雇ってるんじゃなく「その人の生活を生きることを助けている」と、見えている相手だけじゃなく、その向こうを見据えられるのが「大我」を持っている人。
お客様は神様ですレベルの「勘違い」でもあるよね。
あれ、歌うことは「神に捧げること」なわけだけど、聴きに来てくれるお客様を「神様」と思って歌っている。ということだから。食パンを売るのに「神様にいつもお供えするつもりで売っています」はありなんだけど、お客様の方で「私は神様なんだから敬いなさいよ」というのは違う。
やってもらったら感謝というお礼はきちんとしなさいよ。エネルギー交換でお互いに負担がかからない方法という神様はいても、100縁投げて、さあ、苦しゅうない、敬えという神様はいない。敬われるだけの事をして、敬うだけの価値があるから敬うのであってねー。
天の視点を意識するのと、自分を敬えは違うの。
話が大きくなりました。会社の利益のために動くにしても、お客様のサービスのために自分を犠牲、プライベートを犠牲は違うと思う。それを要求するのも違うと思う。それは、人を大事にできてない。
男子脳と女子脳は違うは「守るもの」の違いでもあるよね。女子は「家族や血筋、目に見える周り」を優先するのに対して、男子は「集落全体、社会全体、の大きな枠を守ろうとする」
女性は、自分の中で命をはぐくむ役割ももつから、どうしても、自分も守るをしないとダメって場合が多いわけでね。女性の職場が殺伐としがちなのって「自分を優先して、自分を優先してくれないとむきゃーってなる人の声が大きくなるから」その場合、あくまで「その人」を優先するのであって、その場にいる人たちを優先するわけじゃないから。
役割が違うからこそ、うまくいくパターンも多いんだけどね。
自己犠牲ってのは、ただの自己満足。そして、全体の利益を見ている人と、自分の名誉や利益しか見ていない人だと、行きつく先が違うことの方が多いし、後者は一代限りなんだよね。
自分のできる範囲は、それぞれ違うから、自分と同じようにこうあるべきだと、うまくいかないこともある。大我と小我を理解したうえで、役割として使い分けられる人の方が強いことも多いかなあ。
サメ[ト力強い人はそこを理解したうえで、家族は自分が守るから安心して戦ってらっしゃい出来る人。還る場所を作れる人やね。
守るものは人それぞれ違うわけで、何を守りたいか。というのを、自分の中で明確にしていかないと、滅私は出来んのよーとは思う。境界線引けなくなる人が多いのはそこ。