エネルギー「豆」って、なかなか斬新なヒーリングだなあ。といいつつ、今年のあなたの中にある鬼退治、無事できたでしょうか。
ぷちぷちしゅわしゅわという感想は頂いています。
・・・・ま、たまに、恒例の「竜巻できた」とか「滝で来たんだけど」とかいう方はすみません。吹っ飛ばせ。カルマ。
アストラルサイド鬼ごっこは、とりあえず、無事、鬼化解除ー。
カルマを落とすって言っても、挑むべき課題がなくなるんじゃなくて、課題に迎える準備が出来上がるってことも多いかもしれない。
どんなかなあっで、ヒーリングする時は、私自身にもかけますが、うん、なんか圧力的なエネルギーが来て、一瞬ごふっとかやりつつ。私もなんか外れた。
同じ思いでも「そう思ってる」から、「そう思ってた」という感じで、現在進行形から過去形になった思いもあったりね。あくまで「ネガティブな思い」だけど。
愛してるとか、そういう純粋な思いは消えない。でも、それがうまく出せない、邪魔なネガ部分を、もうそう思わなくてもいいんだよ、大丈夫だよってなるようにもっていけたかな。と。
・・・・・で、夢の中で「あなたは私の影なのよ。んふんふ」とか言われた時に、がっつり「いや、あんたが、私の影なんだからね」とか、スパーンと言い放てたあたり、強くなったなあじゃなくて、うん、自分を卑下してまで相手を立てる必要はない。本当かどうかなんて関係ない、ってことでもあるん。私が主役!!大事な人相手なら、別に脇役でも構わないわけだけれども。
もちろん、相手に対して、あんたは私の影だ!とはいっても、「あなたはあなたの人生の主役を全うできるなら、そうではない」ともいえる。
主役って言っても、物語のように、リーダーになる、偉い人になるじゃなくて、自分で自分自身の人生を生きる。生き切る。あなたの人生の物語はあなたであり、自分の人生の物語の主役は自分なわけだしね。同じ物事でも、敵方味方、傍観者、色々な視点で色々な思いで一つの出来事って起こってるわけだしね。
相手を尊重するために、自分を落とす。じゃなく、自分を尊重して相手も尊重すること。が大事なんだろね。逆もしかりー。独眼竜政宗で、側室の子と正室の子で身分が違うから、という側室に正室が言った言葉で「背負った宿命や役割が違う」ということ。
おね様の言葉も深かったな「どんな美しい花でも根には泥がついているもの」
私の中での変化だけど、人には言いつつね「自分を卑下していたからこそ、飲み込んでしまった思い」ってあるんだと思う。その思いは、はたから見てると、思ってはいけない思いじゃなくて、思っていいんだけど、卑下しているばかりに、思ってはいけないって、箱に入れてしまってしまった思いなんだろうねー。
逆に誰かを落とさないと、自分に自信が付かないよって場合も、相手を落とさなくても、自分は自分やで。素晴らしいんやで。と、思えれば上々。
卑下する人と、相手を落とす自信過剰が組み合わさってる場合もあるわけでね。
ループから抜けられないっていう時は、それのどっちかやってるってことかもしれないねー。
相手を尊重できる。自分を抑えて相手を立てられるってのは、いいことっていうことが多いんだけど、自分はだめな子だから、頭悪いからとか、身分が低い、学歴が低いで、卑下するなら、いいことじゃないし、いいところじゃないよねー。
・・・いや、うん、わたしもね、自己卑下強くて、ついつい、自分で自分を痛めつける所あったから(これが、現在進行形である、ってところが、あった、になったあたり、節分ヒーリング効果)
でも、自分を大事に思ってくれる人からみたら「心配で仕方がない」にはなるんだと思う。
自分が主役で考えるとさ、その物語で関わってくれる脇役である周りの人達に、どんな役回りをしてもらいたいか。だよね。ハッピーエンドの幸せほのぼの映画にしたいのか、ハードボイルドで生きるのも大変にしたいのか、悲しい映画にしたいのか。コメディにしたいのか。
大事な人を傷つけて悲しませてでも、自分を落として、立てないといけない相手かい?ってこともあるよね。
わかんないんだもん。で、シャッター降ろすんじゃなくて、わからないならわからないなりに、わかろうとする姿勢を持った上で、わからんってこともあるけど、わかろうとした努力はちゃんと身についていて、後でわかるってこともあるしね。
空海さんの「あなたも私も一緒なんですよ。同じなんですよ、この門はあなたを迎えるために、変わらず開いているのです」というのも深いっていうか、そりゃ悟りの境地いわれるけれど。
その人の「心」なんだと思うよ。うん。
天野月子さんの花冠で「踏み外す足を許しあえないなら、どうして門は開いて招き入れるの?」というのがあったけど、空海さんの教えと重なる感じはあるんだけどねー。
ん、で、節分ヒーリングで何が外れたかっていうと「同じものや、歌を聞いても、なんか見方が変った感じがする」受け取り方が変った感じ。
同じ物事でも変わるっていうのは「受け取り方が変わって、見え方が変わる」んだよねー。
そこが変らないと、舞台が変わっても同じことになる。同じことをする。
自分の思いに素直になったらいいのかな。とも思います。相手の思いに遠慮して、自分を抑えてるなら、もっと素直になってもいい。素直な思いでぶつかっていけば、相手も素直な思いで応えてくれることも多いのかもしれない。
ぷちぷちしゅわしゅわという感想は頂いています。
・・・・ま、たまに、恒例の「竜巻できた」とか「滝で来たんだけど」とかいう方はすみません。吹っ飛ばせ。カルマ。
アストラルサイド鬼ごっこは、とりあえず、無事、鬼化解除ー。
カルマを落とすって言っても、挑むべき課題がなくなるんじゃなくて、課題に迎える準備が出来上がるってことも多いかもしれない。
どんなかなあっで、ヒーリングする時は、私自身にもかけますが、うん、なんか圧力的なエネルギーが来て、一瞬ごふっとかやりつつ。私もなんか外れた。
同じ思いでも「そう思ってる」から、「そう思ってた」という感じで、現在進行形から過去形になった思いもあったりね。あくまで「ネガティブな思い」だけど。
愛してるとか、そういう純粋な思いは消えない。でも、それがうまく出せない、邪魔なネガ部分を、もうそう思わなくてもいいんだよ、大丈夫だよってなるようにもっていけたかな。と。
・・・・・で、夢の中で「あなたは私の影なのよ。んふんふ」とか言われた時に、がっつり「いや、あんたが、私の影なんだからね」とか、スパーンと言い放てたあたり、強くなったなあじゃなくて、うん、自分を卑下してまで相手を立てる必要はない。本当かどうかなんて関係ない、ってことでもあるん。私が主役!!大事な人相手なら、別に脇役でも構わないわけだけれども。
もちろん、相手に対して、あんたは私の影だ!とはいっても、「あなたはあなたの人生の主役を全うできるなら、そうではない」ともいえる。
主役って言っても、物語のように、リーダーになる、偉い人になるじゃなくて、自分で自分自身の人生を生きる。生き切る。あなたの人生の物語はあなたであり、自分の人生の物語の主役は自分なわけだしね。同じ物事でも、敵方味方、傍観者、色々な視点で色々な思いで一つの出来事って起こってるわけだしね。
相手を尊重するために、自分を落とす。じゃなく、自分を尊重して相手も尊重すること。が大事なんだろね。逆もしかりー。独眼竜政宗で、側室の子と正室の子で身分が違うから、という側室に正室が言った言葉で「背負った宿命や役割が違う」ということ。
おね様の言葉も深かったな「どんな美しい花でも根には泥がついているもの」
私の中での変化だけど、人には言いつつね「自分を卑下していたからこそ、飲み込んでしまった思い」ってあるんだと思う。その思いは、はたから見てると、思ってはいけない思いじゃなくて、思っていいんだけど、卑下しているばかりに、思ってはいけないって、箱に入れてしまってしまった思いなんだろうねー。
逆に誰かを落とさないと、自分に自信が付かないよって場合も、相手を落とさなくても、自分は自分やで。素晴らしいんやで。と、思えれば上々。
卑下する人と、相手を落とす自信過剰が組み合わさってる場合もあるわけでね。
ループから抜けられないっていう時は、それのどっちかやってるってことかもしれないねー。
相手を尊重できる。自分を抑えて相手を立てられるってのは、いいことっていうことが多いんだけど、自分はだめな子だから、頭悪いからとか、身分が低い、学歴が低いで、卑下するなら、いいことじゃないし、いいところじゃないよねー。
・・・いや、うん、わたしもね、自己卑下強くて、ついつい、自分で自分を痛めつける所あったから(これが、現在進行形である、ってところが、あった、になったあたり、節分ヒーリング効果)
でも、自分を大事に思ってくれる人からみたら「心配で仕方がない」にはなるんだと思う。
自分が主役で考えるとさ、その物語で関わってくれる脇役である周りの人達に、どんな役回りをしてもらいたいか。だよね。ハッピーエンドの幸せほのぼの映画にしたいのか、ハードボイルドで生きるのも大変にしたいのか、悲しい映画にしたいのか。コメディにしたいのか。
大事な人を傷つけて悲しませてでも、自分を落として、立てないといけない相手かい?ってこともあるよね。
わかんないんだもん。で、シャッター降ろすんじゃなくて、わからないならわからないなりに、わかろうとする姿勢を持った上で、わからんってこともあるけど、わかろうとした努力はちゃんと身についていて、後でわかるってこともあるしね。
空海さんの「あなたも私も一緒なんですよ。同じなんですよ、この門はあなたを迎えるために、変わらず開いているのです」というのも深いっていうか、そりゃ悟りの境地いわれるけれど。
その人の「心」なんだと思うよ。うん。
天野月子さんの花冠で「踏み外す足を許しあえないなら、どうして門は開いて招き入れるの?」というのがあったけど、空海さんの教えと重なる感じはあるんだけどねー。
ん、で、節分ヒーリングで何が外れたかっていうと「同じものや、歌を聞いても、なんか見方が変った感じがする」受け取り方が変った感じ。
同じ物事でも変わるっていうのは「受け取り方が変わって、見え方が変わる」んだよねー。
そこが変らないと、舞台が変わっても同じことになる。同じことをする。
自分の思いに素直になったらいいのかな。とも思います。相手の思いに遠慮して、自分を抑えてるなら、もっと素直になってもいい。素直な思いでぶつかっていけば、相手も素直な思いで応えてくれることも多いのかもしれない。