変ってほしいから、変われいってるのに、変わってくれないとか、自分が変れば周りが変わるなんて、ありえない。とか、色々とあるけど、要求してたり要求し合ってる。そこにwin winの関係も感謝も見返りもないから、変われないし、相手もやってくれない。ということが起こってるのかも。
いや、母上がどっちかというと「自分が思い通りに動いてくれないとありえない」とか、私も「当たり前って何の当たり前?」と応酬するか、はいはい(聞いてない)とか、自分のできる範囲でしかしない。とかやるんだけどね。
いや、要求ってさ、「相手がやってあげたい範囲とか、できる範囲」ではなく「自分がやってほしい範囲」で「やってもらって当たり前」と思ってるから、相手のやってあげられる範囲を超えて要求とかよくあるんだよね。
やってくれてる人がいる。は、それだけの感謝や見返り。達成感や結果があるから頑張れるから。
相手に対して、そういった頑張りに対して、ちゃんと報酬を払えるかどうか。だねー。
達成感にしても「自分が思ってたことに合致しないと認めない」とかなると、相手も頑張りを否定された感じで、頑張りに対しての感謝や見返りではなく、ひたすら疲労と徒労感だけ残る結果になったり。
ホ・オボノボノとかで、ありがとう・ごめんなさい・許して下さい・愛してます。をちゃんと言ってるのに実践してるのに、変わらない変化しないは、単に要求して押し付けて、相手には与えずに、自分悪くないもんとか、何かがずれてるから。
自分の思い通りじゃないから、相手が悪い。という思考になってないかどうかだよね。
支援にしても「自分の中の水準」で、こうじゃないから「こうあるべき」と押し付けるのは違って、ちゃんと相手の文化や相手の思いを組んで、必要な支援を選んでしていく。が大事なわけだけど。
変わらないは、単に自分の水準や「自分がこうしてあげたから、こうなれた」を実践しようとした結果、相手を見てないから、大失敗とか、よくあるからねー。
相手の要求のままに聞いてあげるも違うんだけど。そこは「自分が出来る範囲、余力があってやってあげられる」わけだし、それを超えたら当たり前だけど、どこかがカスカスになる。
支援といっても、それぞれの、その先にある目的が違えば、どんどこずれていくわけだしねー。
要求を頑張って聞いてる人も、普通にお願いを「要求」ととらえてしまうことも、よくある。
「やらなければならない」という強制が入るから、拒否反応がでるんだろうねー。
やりたくなかったらやらなくてもいいんだけどねー。
必要だなあと感じて、提案はするけど、そこは聞くか聞かないかは相手の自由。で、いいんだと思う。
その場合、自分の利害は組み込まないことも多いかも。聞いても聞いてくれなくても、損はしないは大事だしねー。
自分が要求されてたから、自分も相手に要求するとかしてたら、延々とループになる。そのループを断ち切るかどうかは「相手に感謝を伝えるつもりでお願いをする」「相手にちゃんと見返りを用意したうえでいう」自分が変わるは、そこなんだろうねー。
相手は鏡で、相手も同じことを思ってるから、要求のキャッチボールになって、お互いにひーひーいう羽目になってるんだと思う。要求をお願いや感謝に変えるだけ、やってもらって当たり前とか、やるべきから、解放することで、やってもらうことが当たり前じゃなくなって、感謝が生まれるんだよねー。
職責とかでやって当たり前もあるけど、感謝があるのとないのとで、やる気が違うもんだしね。
お客様には当たり前でも、社長が感謝してるところは、社員が頑張れてるし、お客様に感謝されたら、更に頑張れる。そういう幸せループになってる所は、回ってるけど、それがうまく回ってないと、何かが負担かかってたりするのかも。
いや、母上がどっちかというと「自分が思い通りに動いてくれないとありえない」とか、私も「当たり前って何の当たり前?」と応酬するか、はいはい(聞いてない)とか、自分のできる範囲でしかしない。とかやるんだけどね。
いや、要求ってさ、「相手がやってあげたい範囲とか、できる範囲」ではなく「自分がやってほしい範囲」で「やってもらって当たり前」と思ってるから、相手のやってあげられる範囲を超えて要求とかよくあるんだよね。
やってくれてる人がいる。は、それだけの感謝や見返り。達成感や結果があるから頑張れるから。
相手に対して、そういった頑張りに対して、ちゃんと報酬を払えるかどうか。だねー。
達成感にしても「自分が思ってたことに合致しないと認めない」とかなると、相手も頑張りを否定された感じで、頑張りに対しての感謝や見返りではなく、ひたすら疲労と徒労感だけ残る結果になったり。
ホ・オボノボノとかで、ありがとう・ごめんなさい・許して下さい・愛してます。をちゃんと言ってるのに実践してるのに、変わらない変化しないは、単に要求して押し付けて、相手には与えずに、自分悪くないもんとか、何かがずれてるから。
自分の思い通りじゃないから、相手が悪い。という思考になってないかどうかだよね。
支援にしても「自分の中の水準」で、こうじゃないから「こうあるべき」と押し付けるのは違って、ちゃんと相手の文化や相手の思いを組んで、必要な支援を選んでしていく。が大事なわけだけど。
変わらないは、単に自分の水準や「自分がこうしてあげたから、こうなれた」を実践しようとした結果、相手を見てないから、大失敗とか、よくあるからねー。
相手の要求のままに聞いてあげるも違うんだけど。そこは「自分が出来る範囲、余力があってやってあげられる」わけだし、それを超えたら当たり前だけど、どこかがカスカスになる。
支援といっても、それぞれの、その先にある目的が違えば、どんどこずれていくわけだしねー。
要求を頑張って聞いてる人も、普通にお願いを「要求」ととらえてしまうことも、よくある。
「やらなければならない」という強制が入るから、拒否反応がでるんだろうねー。
やりたくなかったらやらなくてもいいんだけどねー。
必要だなあと感じて、提案はするけど、そこは聞くか聞かないかは相手の自由。で、いいんだと思う。
その場合、自分の利害は組み込まないことも多いかも。聞いても聞いてくれなくても、損はしないは大事だしねー。
自分が要求されてたから、自分も相手に要求するとかしてたら、延々とループになる。そのループを断ち切るかどうかは「相手に感謝を伝えるつもりでお願いをする」「相手にちゃんと見返りを用意したうえでいう」自分が変わるは、そこなんだろうねー。
相手は鏡で、相手も同じことを思ってるから、要求のキャッチボールになって、お互いにひーひーいう羽目になってるんだと思う。要求をお願いや感謝に変えるだけ、やってもらって当たり前とか、やるべきから、解放することで、やってもらうことが当たり前じゃなくなって、感謝が生まれるんだよねー。
職責とかでやって当たり前もあるけど、感謝があるのとないのとで、やる気が違うもんだしね。
お客様には当たり前でも、社長が感謝してるところは、社員が頑張れてるし、お客様に感謝されたら、更に頑張れる。そういう幸せループになってる所は、回ってるけど、それがうまく回ってないと、何かが負担かかってたりするのかも。