チャネリング、アストラルトラベル、その他もろもろいろいろとやってると、どっちが現実でどっちが夢で。ただの願望で、妄想で。と、整理しないといけないことはよくありますわー。

現実にその人言ってることに対して焦点あてるのはそこ。
本当に、自分が関係していて、つらかったなりなんだったなりは、やっぱり閉じてる部分や、「夢ならよかったのに」とかいう思いも含めて、ふさがってるもの多数なので、なかなか開けないんだけどねー。

こうありたかった。も、でてくるからねー。
で、面白いなあって思うのは≪いや、そんなわけないし≫と思った方が本物ってことが、よくあるよくある。見えたものが正解ではなく、実感として沸くほうが正解で、大変な人生送ってきた人ほど、最初は拒否反応はある。

でも、その人生を認めて、その人生の責任を負う覚悟ができた時に、その人やった・・ということはあるなあ。たとえばの話、殺人鬼だったとしても、殺してしまった人の恨みも全てを背負う覚悟ができた時に、その人だった。と認めて、向き合えることはある。

それが、まだ浮「、向き合えないっていう人も多いんじゃないかなあと。

過去やってきたことを、またできるんじゃないか。とは、おもうけど、もういやじゃってことが、意外に多い。自分の中の本来の思い、信念、願いを握りつぶして生きてきた人も含めて、もう一回それをやれって言われた時に、嫌だって感じるのは、本来の思いも、信念も願いも捨ててしまって、向き合わないといけないから。だと思う。

それでも成し遂げたいことに、見合うかどうかだよね。

一番わかりやすい指標は「その人のために命捨てられるかどうか」
大事な物を見極める時の基本的な所。すでに自分捨てまくりとか、自分の命が最下位という人には、ちょっと向いてない指標だけど、自分の命を懸けて助ける価値がある人かどうかということ。

命はみんな一緒だから、すべての人のために、すべての生き物のために捨てられるは、極端だけど、命を捨ててまで、その人の願いをかなえることは、それに値するかってことかな。っと。

いや、うん、できるからって、本当に捨てたらだめだけどね。

自己犠牲強いと、確かにうっかりやりがちだけどねー。
もちろん、その人にそれだけの価値あるの>家族だもんねーとか、色々とあるけれども。

ん、価値とかそういうのではかるってのもいやーんなんだけど。それぞれに大事に思う人、指標ってのはある感じはする。で、そこは譲れるよ協力できるよ。ということはある。

価値やすばらしさってのは、それぞれ持ち合わせてるからね。

大事だから葛藤するし、大事だから・・・・だし。うまく言葉がうかばないなあ。

我慢するだけの価値があるかもあるよね。

目指す方向や方法が違うでも、対立するもんだし。でも、行きつく先が一緒の時は、気が付いたら、一緒ってこともあるだろうしねー。どの方法でもあの方法でも、ゴールが一緒ならそれでいいんだと思うんだけどねー。