肩書きが増えたり、有名になったり、本を出しましたーって人がいたり、色々な方面で活躍する人が増えてるなあ。とか、思いつつ。

それを、ぱこーんと手放す人も増えてきたりね。

肩書きを含めた「皆の期待」とか、「社会的な期待」って、有名なるなり関わる人が増えるなり、関わる方向が、セレブになるなり、ステージが変わっていくと「そこのルール」っていうのが、ものすごいでてくるから、「自由な発言」がしにくくなるんだよね。

仲間内や友人関係よりも、政治的な部分って一番難しくて、肩書きが高い位置にあればあるほど、自由が効かない人のほうが多いかも。元〇〇な人が、某国で「自由闊達に発言」した結果、国際問題に発展。とか。国内なら、あの人のは「妄言」と一蹴できても、国際社会的にみると、「その人個人の意見」が「それがその国の意見」にとられかねないこともあったり。

スピでも、チャネルって、人によって受け取り方や「文章が変わる」し、同じ事受け取っても、受け取り方が変わるし、ちょっとした精神面でも受け取り方が変わっちゃうから、見えるから正しいってものでもない世界だしね。

見えている部分だけじゃない広がりを、どれだけつかんでいけるかが、ネックかもしれない。その人「個人」を信用するか、「その人の背景」を信用するか、もしくは、それに期待するか。政治関連だと、相手は背景を期待するケースが多いし、背負うものが大きくなればなるほど、なにかあった時の反動も、いい事悪いことどっちも大きい。

影響力があるっていうのは、それだけ、間違った事をした時に、間違った前程で広がりやすいわけだし、火消しがしにくいし、違った時に「どれだけ修正していけるか」という土壌を作っておけるか。駆け引きの都合上「謝ったら負け」なんて状況もあったりするけど。

日本は、とりあえず謝れ、だけど、外国だと「謝ったら負け」だから、絶対謝らないんだからねって土壌が多いよね。

肩書きをすっとばして、その人を見て、更に背景を見て判断する。まで、してくれる人は稀かもー。大抵、肩書きと背景。ついでに「その人個人」が多いかな。

自分が、どこを見ているかも大事だし、じゃあ、相手はどこを見てくれているか、何に期待してくれているか。も大事。それで、行動や手札も変わる場合はあるしねー。

影響力ある大きな手札(肩書きを使った札)ほど、最後の最後までとっておいて、小さな手札でしっかりと土台積み重ねていく。というやり方もありますし。小さな手札=個人そのものの繋がりね。

道端の乞食と思って軽視していたり冷たくしていたら、その国の王様であったでござるとか、神様だった。とか、故事でもよくあるけど、どこで何が繋がってるかわからないからこそ、わからないよね。逆に、乞食にめっさ優しくしたり、家を与えたり仕事与えたりとか、したり・・でも、乞食が神様だったり王様だったりした時に、その功績や心は汲んでもらえるわけで。

ご隠居と思っていたら水戸のご老公でござった。とか(笑)

肩書きとかで大事にするんじゃなく、人を大事にっていうのは、そういうことなのかも。

肩書きは確かにわかりやすいし、それでその人を判断しやすい場合も多いけど、その人自身をみるか、その人の背景をみるか、それでも随分変わるよなあって思う。

例えば、仕事先で、ただのしがないパートと思っていた相手が、実は、自分の旦那さんの会社の大口取引先の上役だったり、それに通じる人というミラクルが、身近なことでもあったりするよね。優しくしていて仲良くしていたら、覚えよろしく旦那さん昇進もあるし、いじめていたら、旦那さんの職場の信用失墜なんてことも。

もちろん「旦那さん個人で、きちんと信頼関係結んでる場合は、奥さんの失態ですんで、そこまでには至らない」って場合もある。

個人として関わりたい場合、あえて、自分の背景言わないことのほうが多いかも。

大人になればなるほど、肩書きが増えれば増えるほど、発言に対して、それだけ「責任」が増えていく場合が多いし、自由な発言をしても、いい方向にエンジン全開できちゃう土壌を作ることも可能だったりするし。それだけ、「責任」をもって「自由」に発言できているか。っていうのは、すごく大事。

大人の世界めんどくさーい(本音)

特に駆け引きなると、自分たちがそう思っていても、相手は別な部分見てる場合だってあるしねー。

真実や幸せで言えば、だんだんシンプルになるんだけど、まだまだ、人間社会自体は複雑だなあって感じます。