命をかけて向かった沖縄旅行 150 | 心臓病児と家族のオフロードレース

心臓病児と家族のオフロードレース

お腹の赤ちゃんの心臓がおかしいと言われてから、ガタガタ道のオフロードレース。途中棄権できたらどんなにいいか…
しかし、棄権をすることは出来ない。命の灯火を消してはならない。ならば思い切り輝かせよう!!家族の想い。幸せと葛藤。そんな伝えるべき体験を!!

あまり長くは生きられないかも…
そんな事は、最初からわかっていた。

予後も悪く、いろいろな事が起きた。

24時間、目が離すなく、息をしているか不安だった。

新しい合併症が出てから、
「5年後10年後は想像できません。」

そう聞いて、産まれる時に聞いた告知依頼の息苦しさを感じた。

一年の半分は入院する身体になり、
今後、さらに入院が増えると告げられ、
QOLの話になった。

「週に一回でも学校に行けるように、他の日はじっと安静にしていることを考えよう」

そう言われ、

なんじゃ、そりゃ!!

と思った。

別に学校に行きたがっていない。
唯一の楽しみは、休日に、家族で食べたいものを食べに行くこと。

それ以外は、怠くてずっと寝込んでいる。

それなのに、
楽しいことを全て諦めて学校にいく??

学校にいくってそうなに、人生で大事なことなの?

一人で生きたいのに、付き添い必須で叶わなくて、1時間しかいけなくて、

それってクオリティオブライフにあってる?

他の医師からは
「動けば動く程悪くなる病気。入院したくなければ安静にしてるのが一番。」

という話を聞いた。

意味わからない。

そんなの生きてて、楽しい??

何もしないで、入院する日をまつ毎日。
意味かわからなかった。

怒りと悲しみが混ざり、私に火をつけさそた。

娘とうちの家族にあったQOLを実現する‼️

医師に伝えた。

【 毎日、子供たちの夢や願いを叶える‼️  】

そう決めた。
そこからは、毎日毎日、どんな無理をしてでも叶えた。

感染から守るために、ひきこもった10年を捨てた。

その最初の願いが、「沖縄に行きたい」

飛行機の気圧でどうなるか怖くて、なかなか行けなかった旅。

入院ばかりで予定が立てられなかった旅。

何も考えずに、すぐに予約した。
二週間後‼️

しかし、そんなに簡単ではなかった。

直前まで入院して、前日に点滴を切った。

航空会社には酸素ボンベやバギー持ち込み、医師の意見書の手配。

紹介状片手に向かった旅。

早朝、空港に向かうも、
点滴をきったとたん具合が悪くなる娘は、気持ち悪いと言い吐き気を感じた。

吐くまではいかなかったので、
搭乗を決意‼️

もう、いってしまおう‼️
何かあったら、沖縄の病院で何とかしてもらおう‼️

そして、、、、行った。

初めてみた、蒼い海🏖

家族にとって、とても大事な場所になった✨

そして、不思議なことに、
行ったら、、、
浮腫みがとれたり、慢性的な重い下痢が軽減した。

動きまくり心配だった、
帰宅後の初の外来では、アルブミン数値をキープしていた。

心だけは元気にする。
死んでもいいからやる。
そういって、叶えたことに間違いはなかった😭

小学4年生の3月のことだった。