あまり長くは生きられないかも…
そんな事は、最初からわかっていた。
予後も悪く、いろいろな事が起きた。
24時間、目が離すなく、息をしているか不安だった。
新しい合併症が出てから、
「5年後10年後は想像できません。」
そう聞いて、産まれる時に聞いた告知依頼の息苦しさを感じた。
一年の半分は入院する身体になり、
今後、さらに入院が増えると告げられ、
QOLの話になった。
「週に一回でも学校に行けるように、他の日はじっと安静にしていることを考えよう」
そう言われ、
なんじゃ、そりゃ!!
と思った。
別に学校に行きたがっていない。
唯一の楽しみは、休日に、家族で食べたいものを食べに行くこと。
それ以外は、怠くてずっと寝込んでいる。
それなのに、
楽しいことを全て諦めて学校にいく??
学校にいくってそうなに、人生で大事なことなの?
一人で生きたいのに、付き添い必須で叶わなくて、1時間しかいけなくて、
それってクオリティオブライフにあってる?
他の医師からは
「動けば動く程悪くなる病気。入院したくなければ安静にしてるのが一番。」
という話を聞いた。
意味わからない。
そんなの生きてて、楽しい??
何もしないで、入院する日をまつ毎日。
意味かわからなかった。
怒りと悲しみが混ざり、私に火をつけさそた。
娘とうちの家族にあったQOLを実現する‼️
医師に伝えた。
【 毎日、子供たちの夢や願いを叶える‼️ 】
そう決めた。
そこからは、毎日毎日、どんな無理をしてでも叶えた。
感染から守るために、ひきこもった10年を捨てた。
その最初の願いが、「沖縄に行きたい」
飛行機の気圧でどうなるか怖くて、なかなか行けなかった旅。
入院ばかりで予定が立てられなかった旅。
何も考えずに、すぐに予約した。
二週間後‼️
しかし、そんなに簡単ではなかった。
直前まで入院して、前日に点滴を切った。
航空会社には酸素ボンベやバギー持ち込み、医師の意見書の手配。
紹介状片手に向かった旅。
早朝、空港に向かうも、
点滴をきったとたん具合が悪くなる娘は、気持ち悪いと言い吐き気を感じた。
吐くまではいかなかったので、
搭乗を決意‼️
もう、いってしまおう‼️
何かあったら、沖縄の病院で何とかしてもらおう‼️
そして、、、、行った。
初めてみた、蒼い海🏖
家族にとって、とても大事な場所になった✨
そして、不思議なことに、
行ったら、、、
浮腫みがとれたり、慢性的な重い下痢が軽減した。
動きまくり心配だった、
帰宅後の初の外来では、アルブミン数値をキープしていた。
心だけは元気にする。
死んでもいいからやる。
そういって、叶えたことに間違いはなかった😭
小学4年生の3月のことだった。