決して諦めない英雄たち。 51 | 心臓病児と家族のオフロードレース

心臓病児と家族のオフロードレース

お腹の赤ちゃんの心臓がおかしいと言われてから、ガタガタ道のオフロードレース。途中棄権できたらどんなにいいか…
しかし、棄権をすることは出来ない。命の灯火を消してはならない。ならば思い切り輝かせよう!!家族の想い。幸せと葛藤。そんな伝えるべき体験を!!

この頃、同じくICUのベッドには、大変な仲間達がいた。

一人は、同じ生後4ヶ月くらいで同じ病名の男の子だった。

鎮静をしていた時に、顔が良く似ていて、

間違えてその子のベッドに向かったことがあった。

ご両親と話すと、

その両親も、間違えて
うちの子のベッドに行ったことがあるらしい。

それほど、寝姿はよく似ていた。
二人とも、ギリギリだったから顔が同じように真っ白だった。

この子は、術後、心肺停止になり脳の大部分がやられてしまった。

以前、あまりのショックで放心状態のご両親の姿を目にしたこともあった。

理由を聞いて納得した。
先が見えない、そんな感じだった。
皆んな同じ。

でも、彼らも私達同様、決して諦めなかった。
諦めずに、道を探し続けた。

彼らはその後も入院を共にした。

入院中も脳に刺激を上げるべく、
いろんなチャレンジを続けていた。

医師の反対を押し切り、気功でもなんでも試した。
成長してからも、毎回ちがう人のリハビリをいれて、ちがう刺激を与えると試行錯誤した。

毎年、海外旅行にも連れていっている。

やはり、苦難に耐えられるべき親を選んでいるのかもしれない。
そう信じられるくらいのバイタリティーだった。

そして、もう1組、
毎日休憩室で会う両親がいた。

私達と同じように、重い状況を抱えている雰囲気を出していた。

話しかけてみると、
生後7ヶ月の女の子のご両親。

RSウィルスにかかり、肺炎で入院したのがきっかけで、拡張型心筋症が発覚した。

拡張型心筋症とは、
心室が広がって、
全身に必要量の血液を送り出すことができなくなり、その結果として心不全を引き起こす。

拡張型心筋症の一般的な原因として、ウイルス感染と一部の内分泌疾患がある。

この病気になったのは、
RSウィルスが原因か、その前からなのかはわからないということだった。

人工心肺装置が外せない状態が続いたという。

人工心肺装置は、血栓などのリスクがあるので何日もつけられない。
期間が決められており、ギリギリまでつけて外せたといっていた。

しかし、拡張型心筋症は、手術では治らない。
海外での臓器移植しかない。

しかし、この子は小さすぎて移植の道はないと言われた。

しかし、彼らも諦めなかった。

この病院は、海外移植が出来る病院ではないので、
すぐに、それが出来る病院を紹介してもらい、
話を聞きにいっていた。

移植に至るまでの現実はむごい。

募金活動、
募金することでの周囲からの非難の声、
渡航の飛行機内での悪化、
現地で脳死の子をまつ待つ長い日々。

我が娘も、やるなら、心肺同時移植と言われた。
けれど、移植するとなると、様々な問題が立ちはだかる。

長い期間、人工心臓補助装置を身体に差し込み、動いていいのはベッドの中のみ。
常に、血栓や感染にさらされる。
親が付添入院し、家族バラバラに長い間暮らす。
その合間に募金活動。

移植が成功しても、免疫抑制剤を飲みつづける為、今同様、リスクに気をつけた生活が必要になる。

「移植するなら、始めてからが戦いだよ。」
と色んな医師から私は言われてきた。

海外でやるとなると、うん万倍のリスクと苦労になるのだ。

この家族は、赤ちゃんが小さすぎること、この月齢の脳死患者も少ないので提供者が見つからず難しいとされた。

この頃赤ちゃんが渡米したが、飛行機の気圧で体調が悪化して亡くなった。
骨をジップロックに入れて、返されたという。

彼らは、そんな話を教えてくれた。

奥さんはとびきり元気で明るい人。
私もふざけるのが好きな性格で、気があった。

お互いが、支えとなった。

パパもパパ同士、支えとなった。
仕事をするのもバカバカしくなっていた共感者。

そしてこの子は、数日後すぐにICUを出て、HICUに移った。

うちは、後から追いかけるように移ったのだが、
その赤ちゃんは心不全になり、

苦しくて眠ることも出来なくなっていった。

ずっと、うーうーと、うなっていた。

抱き枕を抱きながら、少しでも楽になるように努力した。

しかし、悪化のスピードは凄かった。

その間も、私達は励まし合った。
そして沢山ふざけて、沢山笑った。

その赤ちゃんは、とうとう医師から、
「起きていること自体が心臓の負担になります。
鎮静をかけるか決断してください。
もう目をあけなくなります。」

そう言われた。

そして、ご両親は涙ながらに決断をした。

すぐにICUに移され、鎮静をかけて眠った。

最後に思い切り抱っこをさせてもらったと言っていた。

それから、5日後くらいだろうか…

お母さんが、私と娘のいる個室に来た。

「亡くなったんだ。」って。

出会えて、わずか2ヶ月後のことだった。

あの子は、生後9ヶ月でお空にいってしまった。

生後7ヶ月まで健康だと思って育ててきた赤ちゃんが、突然怒涛の2ヶ月を生き、
お空にかえってしまったのだ。

とてもじゃないけど、受け入れきれなかったと思う。

それから、一年半後の2010年の夏。
彼女は国会にいた。

「改正臓器移植法案」
日本でも、15歳未満の臓器提供が家族の同意で認められるようにした法案だ。

この為、国内での子供の臓器移植が可能になった。

この決議の日に、彼女は国会で涙を流していた。

そして数年後、この子にそっくりな女の子と男の子を出産した。

この法案が通り10年たった今でも、
日本国内での脳死した子の臓器提供は進まず、
海外でやるしかないのがほとんどだ。

日本では死後の世界があるという文化があり、それも影響しているという説もある。

また、脳死したばかりで悲しむ親に移植は切り出せないという医師が多いようだ。

しかし、海外でも、日本でやれるなら日本でやれよ。と受け入れてくれなくなってきた。

移植の額も、法外な金額を請求されるようになり、1億5千万円〜2億が相場だったのが、4億円請求されたというニュースを目にするようになった。

今ではトランプ政権になり、更に厳しい状況とも聞いている。

移植が出来る病院の看護士さんからは、
移植出来たら、すごく元気になる!と聞いた。

だから、それにすがりたい気持ちもある。

しかし、自分で各所に電話して調べたけど、
心臓だけでなく、心肺同時移植となると、更に厳しかった。

残された人生を自由に生きることと、
家族バラバラになり、
寂しく先の見えない病院生活を繰り返しながら
どうなるかわからない事に賭けるかを、
天秤にかけては、迷う。

国内での移植が進んでくれることを願っている。

当時、このように、
私は仲間と共に頑張っていた。

娘の開いた胸の菌の培養は続けられた。
いつになっても、菌はいなくならなかった。

毎日何度も、悲惨な洗浄と消毒が繰り返された。

この大変さは、いつか昔話にできる!!!

そう信じた。
そう言い聞かせて、頑張って前を向いた。

生きようとする生命力を輝かせる子供達。
それを必死に守る親達。

英雄そのものだと思う。

どうにもならない病気に立ち向かうのには、勇気ととんでもないパワーがいる。

恐れと共に生きながら、それでも屈しない。
屈したくない。

そうやって生きる姿が、ここにはある。