¡Mira!(ミラ)
首都ハバナの路上では5分に一回のペースで聞こえてくる。
スペイン語で「見ろ!」の意味だ。
キューバ人は何かあるごとに"Mira"と言い注意を引く。
キューバ人"Mira"言い過ぎ。
キューバ人自己主張強過ぎ。
キューバ人他人の話聞かなさ過ぎ。
初めはこんな風に思っていたけど、時が経つにつれて、これはキューバの今を表しているのかもしれないと思うようになった。
キューバは社会主義という今まで僕が生きていた世界とは全く異なる政治体系だった。
例えば、
・一般的に国民は皆平等とされている。
(配給制だけど、一応階級があるみたい…あまりブログには書けないが、キューバの社会主義は理想から遥か遠くに行ってしまったように感じた。)
・外部との情報をシャットダウンするために、一部の職種を除いた国民はインターネットも使えない。
・携帯電話も持てる人は限られている。
(2009年頃からプリペイド式の携帯電話を持つことが許可されたが、キューバ人の平均月収15ドルに対して、携帯本体は300ドルぐらい。)
まだまだ主流は公衆電話
・国民の大半は公務員であり、職を選ぶことも難しい。
・政治に意見を言うことも許されない。
(だからキューバ人と政治の話をする時は、いつも小声で、慎重に。)
・外国人と話をするのも基本的には禁止。
…など。
商業広告がないこの国では、革命をはじめとしたプロパガンダがあちこちに掲げられている
しかも90年代初頭のソ連崩壊、更にはアメリカとの国交断絶が原因で圧倒的に物資が少ない。
語弊があるかもしれないが、僕の目には国が完全に国民をコントロールしているように映った。
もちろん社会主義は街の治安が守られていたり、教育や医療も無償で受けられる(完全無償ではないみたいだけど…)など、良い面もいっぱいあるんだけどね。
そんな社会主義に抵抗するかのように、キューバ人は自分という存在を全面に押し出す。
あるキューバ人は言った。
「俺はキューバが大好きだけど、この国の政治体制は嫌いだ。俺らはチェスの駒じゃなくて、人間なんだよ。もっと一人一人を見て欲しい。そしていつか、世界を旅したい。」
そして今日もハバナでは、"¡Mira! ¡Mirame! (見ろ!俺を見ろ!)"という声が響き渡る。
それぞれの、大きな希望を胸に。