今夜も…、お逢いできて嬉しいです!
今回のテーマは、お約束通り「教育」
です。普通の視点で教育を論じるつも
りはありません。本来、教育とはどう
あるべきか?について、わたしなりの
意見を述べたいと思っています。
わたしが大学生の頃、アルバイトで家
庭教師をやっていました。当時は、銀
行の掲示板に「家庭教師」をやります
という張り紙を貼らせてくれたので、
コスト0円で生徒さん達が集まりまし
た。その頃は、ファミレスでもバイト
をしていたので、合格した生徒さんが
家族でファミレスに食べに来てくれて
「先生、おかげ様で希望校に入れまし
た。本当にありがとうございます!」
なんて御礼を言ってくれたりするもの
だから、一緒にバイトをしている受験
生のお子さんを持つお母さんから頼ま
れたり、家庭教師でトリプルヘッダー
するほど忙しく教えていました。最初
に面接をする時、必ず生徒さんに訊い
た質問があります。あ、当時、わたし
が募集した生徒さんは、「思ったよう
に内申が取れないと思う中学3年生」
限定でした。
「国語、数学、英語、科学(第1分野、
第2分野)、社会(歴史、地理、公民)、
保健体育、技術家庭科、美術、音楽。
何故、この9教科(当時の教科です)
を学校で習うんだろう?」
案外、みんな答えられないんです。最
初の面接の時だけは、必ず親御さんに
も同席してもらったので、お父さんや
お母さんにも訊いてみますが、皆さん
案外答えられないんです。もちろん、
片親の子も居ましたから、お母さんだ
けの子も居ました。「生きて行く上で
必要だから」これが一番多かった答え
です。わたしは、「本当に生きて行く
上で必要でしたか?」と訊くと、ほぼ
「そんなコト、無いですね」という返
事が返って来ます。わたしが、
「どうしてその教科を習うのかが解ら
ないモノを、一所懸命学ぼうとは思え
ないよね?」
と言うと、たいてい生徒さんが
「何でその9教科なんだろう?考えた
コトも無かった…」
と言うんです。わたしは、
「地球に住んでるからだよ。地球に住
みながら、楽をするためにその9教科
を習うんだ」
と答えます。それで納得する子、食い
下がってドンドン訊いて来る子に分か
れますが、学校の成績が悪い子ほど、
食い下がって来ます。
「国語は、主に母国語、つまり日本語
を指す。物事を考える基本となる言語
を習得するためだ。数学は、論理を学
ぶためだから、記号が意味するモノを
理解しているかどうか。もちろん数字
とは何か?を考えるコトも大事な要素
だね。数字と記号の関係性を捉えるコ
トが出来れば、ほとんど出来たも同然
だ。図形の問題もその図形の持つ隠れ
た数字が見えれば解けたも同然となる
よね?英語は世界共通語だから、習得
しておくととても便利だし、科学はま
さに地球で暮らしているから必要にな
るモノだね。生き物や天体、地学が第
2分野で、化学や物理が第1分野だね。
社会の地理は地球の位置を知るコト。
みんな日本は小さい島国と習うけど、
国の領土としては、領海と言われる海
の面積も合わせてカウント出来るから
日本は世界で6番目に大きいんだ。メ
ルカトル図法は中緯度の国が小さく見
えるから、学校では嘘を教えている。
歴史もしっかり調べると学校で習うコ
トは嘘ばかりだ、って解る。例えば、
文化史として習う和歌集。実はこれこ
そが政治だった。何故なら、当時の日
本人にとって、霊を鎮めて気持ちよく
生きて行くために、霊を鎮める強い言
霊(ことだま)を発するコトの出来る
歌人達の歌を集めて、鎮魂するコトが
政治そのものだったからだ。医学は祈
祷(きとう)だった。信じられないだ
ろう?公民は、高校で政治経済をやる
ための準備みたいなもんだけど、最終
学歴が中卒の子のために、税金を払い
なさいと教える教科だ。だけど、先生
も、年貢から税金に変わったのは何故
か?を答えられない人も多い。貢ぎ物
から、社会インフラの必要最低限の資
金分担をする制度に変わったんだ。つ
まり、現在の政治家達はそんな基本も
知らないで政治家だと言ってるくらい
デタラメなんだ。キミがしっかり学ば
なければ日本はダメになるって思わな
いかい?保健体育では自分の体のコト
を学び、技術家庭科では男子は木工や
金工と少し料理や裁縫も、女子は料理
と裁縫と刺繍とかをやる。美術は美し
いモノを美しいと言える感性を育み、
音楽は実は日本以外では『音学』と書
いた方がいい程、音についての学問な
んだ。何故なら、元々音学であった理
由は奴隷や召し使い達を主君に仕えさ
せるためのモノだったからだ。悲しい
感じの曲を聴かせて大人しくさせたり、
陽気な曲でキビキビ働かせたり…。だ
から、中世の貴族達はお抱えの音楽家
を抱えていたんだ。その悲しい感じの
曲調を短調、陽気な感じの曲調を長調
と言うよね?聴かせる曲で、奴隷達の
感情をコントロールしていたんだ。そ
れに対して日本の音楽は、一緒に作業
を合わせるような使い方が主流だった。
相撲の土俵を作る時には相撲甚句を歌
って気持ちを合わせたり、火消し達が
木遣りを歌って存在を確認し合ったり
…。だから日本では音を楽しむと書い
て音楽という」
だいたい、この辺まで話すと、親御さ
ん達は、「なるほど…。先生に何でも
訊いて、学校の先生におまえが教えて
あげなよ。学校の先生もビックリする
よ!」とか、言い出します。実は日本
の教育って、何故学ぶのかすら教えて
いないんです。学校の先生達だって、
何故9教科を学ぶのか訊いたら、答え
られない人達ばかりでした。だから、
小学生の頃から自分で考えていたおか
げで、家庭教師の時に、とても役に立
ちました。よく、生徒さんからその時
に訊かれた質問は、
「美術が美しいモノを美しいと言える
感性を育むモノだと言うコトは解った
けど、どうしてあんなに裸ばかり描く
の?ヌード・モデルを描くのなんて、
イヤらしいオッサンばかりな気がする」
というようなモノでした。
「美術で大切な考え方の一つが『美』
と言っても、それが『永遠』の美かど
うかが問われるんだ。裸は永遠の美を
象徴しているんだ。何も着ていない状
態って、古くならないんだよ。僕の好
きな画家で杉山寧さんていう人が居る
んだけど、彼は自分の息子さんのお嫁
さんが子供を抱っこしている絵を発表
しているんだ。その絵では、モデルさ
んが洋服を着ている。襟の形が、時代
を感じさせるんだよ。裸だとモードは
関係ないから古くならないけど、服は
モードを反映するから、時代を感じさ
せてしまう。だから、ヌードが多いん
だ。でも、キミの言うコトもよく解る。
例えば、周りの人達は中世ヨーロッパ
の服を着ているのに、明らかにその絵
の主役達だけ、公園なのに裸で寝そべ
って居たりする絵があるよね?あれは
その画家の願望かも知れないから、僕
にもよく判らない。あははは」
だいたい、お子さんより、お父さんが
驚きます。そして、言わなくていいコ
トを言って奥さんを怒らせます。
「女性の裸を見たい時には、キミの美
を永遠にしたいから…って言うのは、
使えそうですね!」
奥さんはだいたい2つのパターンに分
かれます。
「裸を見たい女性が居るの?えっ!」
というパターンと、吐き捨てるように
「イヤらしい!いつでも出て行ってい
いよ!」
というパターンです。
この時、どちらのパターンでも、生徒
さんの反応は、呆れたような感じにな
ります。その後、だいたい爆笑になり
ます。
こんな感じでスタートするので、親御
さん達は最初から全面的に協力してく
れます。その際、最後に訊く問い掛け
が威力を発揮していた、と思います。
「キミは、正解のある問いと、正解の
ない問いとではどちらが多いと思う?」
皆さんは、正解の在る問い、と、答え
が人の数だけ在る問い、と、どちらが
多いと思いますか?
生徒さんの答えで多いのは、
「問題には答えがあると思う」
というモノでした。親御さんは、
「正解のない問い、だと思います」
というモノでした。そして、生徒さん
は驚くのです。そして、わたしが言い
ます。
「圧倒的に、答えのない問い、或いは
人の数だけ答えのある問いが多いんだ。
だから、正解のある問題なんて、解く
のは難しくないと思わないか?」
これで、だいたい、解ける問題は難し
くないと思い始めるので、受験の問題
と向き合う姿勢は出来て来るんです。
いいですか。何故、学校でその教科を
学ぶのかを知らず、問いとは何か?を
知らず、何を学んでいるのでしょうか。
わたしが会社を起こして仕事を始める
に当たって、まず最初に当たった壁は
その顧客と契約をしていいモノか、或
いはしてはダメなのか?という問いで
した。
学校的に言えば、仕事に成る可能性の
有る所と契約するのが仕事の始まりだ
と考えるでしょう。ところが、独立し
た途端にぶつかる問題は、相手の与信
調査を起ち上がったばかりの会社が、
しなければならない、という問いでし
た。わたしは、その仕事を断りました。
で、相手先の条件を考えるコトになり
ます。まずは、自分が働いていた証券
会社と損保会社(どちらも東証一部上
場です)から仕事を取って来ました。
次に、時計の有名ブランドを扱う商社
を顧客にしました。その時計のブラン
ドは世界的に有名なモノだったため、
最初の顧客3社を取引先として会社案
内に載せただけで、いろいろなお客様
達が出来て行きました。
社会に出てから、「正解」のある問い
なんて、ほとんどありませんでした。
つまり、学校の勉強は如何に無駄であ
ったのかをつくづく実感したのでした。
文部科学省が「教育」をするに当たっ
て先生達への虎の巻である「指導要領」
を作っていますが、「教え育む」ため
に「指し導く要点」を作り、効率よく
教えよう、という目論見からして教育
には反していると思います。
何故なら、教育のための「学習」とは
「真似び(真似して)習う(繰り返す)」
コトだからです。まずは真似たくなる
ような師が必要です。そして、何度も
繰り返したくなるような手本が必要で
す。今の学校教育に欠けているモノが
教育には必須なのです。
それに、言葉のニュアンスとして、教
育、指導、と来れば、教え育み、指し
導くのですから、教師は偉い人、生徒
は従順な人、のような世界観を作り出
してはいないでしょうか?
ヨーロッパの教育は、生徒が何にどの
ような問題意識を持って取り組むか?
を重要視します。ですから教師は生徒
に、自分で考えるクセを付けるような
指導を行います。つまり、先生は生徒
のサポーターなんです。
日本はどうでしょうか?逆なんです。
自分で考えないように、教えます。暗
記するコトを、まるで「それこそが」
勉強であるかのような教え方をする訳
です。暗記なんて、学習には一番必要
のないモノの1つです。だって、辞書
や百科事典、スマホで調べれば出て来
るんですから。暗記していて便利なモ
ノなんて、九九と漢字だけです。漢字
は読めないコトには辞書も引けません
から、読めるコトはとても大切です。
九九は、反射的に出て来ると割り算や
他の計算も大体の数字を掴み易くなる
ので、暗記した方がラクですよね?
実は読み書き算盤(そろばん)以外で
暗記が必要なモノなんてありません。
例えば地理だって、メルカトル図法か
ら習いますが、モルワイデ図法をはじ
めとする等積図法を学べば、大陸の位
置関係を学び、島を学ぶコトによって
暗記科目では無くなります。そして、
日本の地図では日本が真ん中に有りま
すが、世界の地図では、日本は大抵1
番右側に描かれています。日本が「極
東の島国」と言われる理由が解ります。
1番東に在るからです。ちなみに英語
では「far east」と言いますよね?こ
れは、イギリスから見て、の話です。
イギリスを中心と考えるから、日本は
東の端っこ「極東」というコトになる
訳です。そう考えると、学生の頃から
ディープステート・イルミナティの連
中の影響を受けているコトに気付くで
しょう。
歴史だって、必ず「勝者」の側から見
た歴史を教わる訳です。それに気付い
た頃、ガンダムの世界観の凄さに震え
ました。立場によって正義は違うモノ
だという世界観。ジオン軍と地球連邦
軍の正義は違うんです。富野由悠季監
督の凄さに気付きました。きっと本来
学校の歴史を学ぶ前に知るべきなのは、
歴史とは勝者が上書きして行くモノで
立場によって、「真実」は違うコト。
だから実際に起きた「事実」を学ぶ必
要があるコト。実はガンダムでそれに
気付くまで、真実と事実の違いを正確
には判っていませんでした。だから、
学問に終わりはないのだ、という事実。
学ぶ相手は「先生」だけではない。む
しろ、先生以外から気付くモノの方が
大切であるコトを痛感した事実でした。
家庭教師をやっている頃に、それに気
付き、生徒さん達にもその話はしたの
で、わたしの生徒さん達は、みんな、
ガンダムには詳しくなっていました笑。
わたしは、9教科全部教えました。現
在の成績表を見て、内申をどこまで伸
ばすのかを決め、都立高を受験する子
は、国数英の実力をアップしながら、
内申を上げる対策を打ち、私立高を受
験(第1志望校)の場合は徹底的に過
去問題を解くような指導法を取りまし
た。みんな、志望校に受かりました。
いや、ひとりだけ、志望校に落ちた子
が居ます。彼の内申と、彼の実力なら
その志望校は安全圏でした。ところが
当日、体調を崩し、思うように出来ず
に実力を発揮出来なかったため、志望
校を落ちてしまいました。ところが、
彼の家から近い所に、同じ学校群(当
時の制度で)でランクは1つ上の高校
が8名だけ、二次募集を行うコトにな
り、学校の先生からは私立校の滑り止
めで合格していた高校に行くように勧
められたそうですが、わたしは親御さ
んや本人と話し合いを何度も持って、
元々お父さんは、その高校に行って欲
しいと思っていたコトも解り、本人も
実力が足りないと思い込んでいたので
実力は足りているコトを伝え、とにか
く出願だけはするように言いました。
そうしたら、何と、出願したのが7人
で、出願した時点で全員合格が決定し
たのです!一応試験はあったのですが
何と、一次募集の学生達を含め、点数
だけならベスト10に入る好成績だった
そうです。つまり、彼は緊張し過ぎる
と実力が発揮出来ないビビり癖がある
のだ、というコトが判ったのでした。
彼は、大学にも行くつもりだ、と言っ
ていたので、極度の緊張は何が原因か
を話し合いました。大学受験の時にも
同じ理由で実力が出せないと苦労する
だろうと思ったからです。いろいろと
話し合った結果、こんなコトを伝えま
した。
「等身大の自分で居るコトを心がけて
ごらん。相手に自分をより良く見せよ
うとして、過大告知するのは相手に失
礼だろう?逆に自己卑下して自分自身
を過小評価させるような態度を取るの
は自分に対して失礼だ。相手にも自分
にも失礼のないように生きるには、い
つも等身大の自分で居続けるコトしか
無いと思う。俺が就職活動で見つけた
ありのままの自分で居るための方法論
だ。キミが今、自分で思うよりもっと
実力はあるぞ。それが証拠に〇〇高校
のベスト10入りする好成績で入試を突
破したんだ。自信を持った態度で居る
のが大変でも、等身大の自分が本来の
自分なんだから、ありのままで居るの
が誰に対しても1番失礼の無い姿なん
だよ」
実は、その子とそれから7年後にバッ
タリ顔を合わせた時、大学受験で実力
を出せて志望校に合格出来たのは、等
身大の自分を心掛けるようになったお
かげでした、と言われて嬉しかったの
を思い出します。
わたしが教育に疑問を持ったのは、小
学1年生の時でした。親父は、
「モノを教えるというコトは、相手か
らも何かを教わるというコトだ。例え
ば、俺がおまえに何かを教える時、お
まえは俺に、今の教え方がうまく伝わ
ったかどうかを教えるコトが出来る。
つまり、教育ってのは、『お互い様』
を教え合うモノだ」
と言っていました。ところが、幼稚園
に行かなかったわたしの初めての集団
生活で、或る先生がこう言ったのです。
「先生は教える人、生徒は教わる人」
言葉の定義がまるっきり違うのです。
わたしは親父に聞いた「教育」の方が
好きだったので、学校の先生を疑うコ
トから始めました。
現在「御上先生」(みかみせんせい)
という日曜劇場の番組があります。そ
の中で「教科書検定」に関しての話が
ありました。文科省が検定で認可した
教科書しか使えない、というところが
教育の本質を壊しています。つまり、
バカばかりが集まる文科省レベルの役
人が日本を矮小化した概念を刷り込む
ために、嘘で固めた「教科書」を使っ
て、事実とは違う事柄を「教える」の
が「教育」だと習うのです。中国では
大和(やまと)の国(日本)を「倭国」
と書いて歴史書(魏志倭人伝)で残す
ような国です。倭国とは、取るに足り
ない小さな弱小国という意味です。彼
等は自分達こそ世界の中心の国(中華
思想)と思っている程度の奴等なんで
す。こういう在日の連中が、日本人の
税金を好き放題に使って、マッカーサ
ーと組み、洗脳するコトを教育と名付
けたのです。それを信じさせるために
学費を高くして、ありがたいモノのよ
うに「指導」するというニセモノぶり
です。
皆さんはどう思いますか?わたしの親
父の言った「お互い様を教え合う」モ
ノと、学校の先生が言った「先生は教
える人、生徒は教わる人」という概念
のどちらが教育だと思いますか?
自分の中に生まれた意見を、第三者に
しっかり伝えるコトが出来れば、とて
も教養のある人に成れませんか?
わたしは、一番の被害者は「医者」だ
と思っています。病人を治すために、
ヒポクラテスの誓いを立てながら、一
切病気を治すコトは出来ず、患者さん
を一生薬漬けにして、健康からどんど
ん遠ざけ、医者にかかって病院で死ね
ば解剖から免れるというトンデモない
方便を信じ込まされて、世の中の病人
を救っているという勘違いで生きて行
くエコノミック・マシーンにさせられ
ている人々を医者と呼ぶからです。
彼等は、小さい頃から優秀だと信じ込
まされて育ちます。だから自分が騙さ
れているなんて、これっぽっちも疑っ
ていないでしょう。だから、製薬会社
の嘘にも気付きません。たぶん、一番
騙しやすい人種に育て上げられてしま
います。残念な人々だと思いませんか?
もっとも外科の先生達の技術力や、手
術で治せる治療に関して、大変な進歩
があるコトは認めます。少なくとも2
回は、わたしの命は医者に救ってもら
いました。でも、そんなに素晴らしい
技術力を持った医者達でさえ、ウィル
スの存在は有ると信じる程度にバカな
のです。非常に小さい細菌は存在しま
すが、人工物でしかウィルスは存在し
ません。自然の生命を考えれば、すぐ
に解るコトなのに…です。ウィルスの
定義を考えれば、おかしいコトに気付
きます。非生物なのに凄い速さで増殖
する。何故?生物ならば自己保存のた
めに増殖しますよね?非生物が何のた
めに増殖するのでしょう?つまり人工
的な兵器だから寄生した細胞を破壊す
るために増殖するだけなのです。ロッ
クフェラー医療を成立させるアイテム
として、ウィルスの存在は外せないモ
ノなので、在るコトになっているモノ
なんです。
いろいろな意味で、少し熱くなってし
まいました。政治家、医師、学校の先
生。世の中で「先生」と言われる職種
ほど、教養から遠い所に居る人だと、
わたしは思っています。
「教育」とは、教え育むモノの筈です。
一方的に教えても、それは教育とは呼
ばない筈です。気付きを与えてはじめ
て教育というのではないでしょうか?
気付く、とは、片方が気を投げかけて
相手の気と「付いて」、それが相手か
らの気として返って来たモノを受け取
ってはじめて、「気付く」のではない
でしょうか?気と気がくっ付くから、
気付くんです。
だとしたら、気付きのない一方通行の
「教える人と教わる人」の関係は教育
とは一番遠い所にあるモノではないで
しょうか?
わたしはとてもラッキーな人間です。
嫌な所もたくさんありましたが、親父
があの人で良かったなあ‥と思うコト
が今でもたくさんあります。自分の中
で中心となる哲学の大切な部分のヒン
トは、親父の影響が大きいと思います。
お互い様を教え合う教育を作って行き
ませんか?その方が、今より数段希望
の光が見える未来に向かうような気が
します。現在のままの教育が違ってい
るコトだけは確かだ!と思うのです。
そのためには、今の学校の授業形態で
は何も変えられません。インプットを
増やすには、アウトプットが必要です。
みんなが授業に参加するためには何が
必要なのか?を真摯に考える時代が到
来したと思います。参加型の授業では
教師の資質が問われます。今までの先
生の作り方では、教育は語れなくなり
ます。板書を写す授業から、内容に参
加して行く授業へと変革させるには、
文科省の利権を廃し、教師を新たなカ
リキュラムで作り直して行く以外に、
方法は無い、と思います。
今回も長文にお付き合いいただき、誠
にありがとうございます(^○^)。