前回、三国志でいちばん好きな孫策について語りましたが(3/29の記事 私の三国志歴⑤ ~孫策について~)
、今回は孫策とセットで好きなあの人の話です。
ズバリ、周瑜。
孫策好きだったら必然的に好きになりますよねー。孫策に次いで2番目に好きです。ていうか孫策と同率一位でもいい。
周瑜は人気も高いだろうし下手なこと書けないと思って内容を吟味してたら数日たってましたw
※三国志初級から中級者向けの記事と思われます。
ほんとに詳しい人に見られたら笑われる(・_・;)
紹介文というよりは、思い入れを語る記事ですので、詳しく知りたい人は他で調べてください^^;
史実に基づいて書きたいとは思っていますが、内容が必ずしも正しい史実であるとは保証しません。
あと、多大な…とまでは行かないと思いますが多少の偏見、贔屓、願望混じってます。自覚はしてますのでお許しください。
周瑜(公瑾)
呉といえば彼!な人物なので、三国志少しでもかじってる人には説明いらないかも^^;
レッドクリフのおかげで一般的な知名度も上がったでしょうね。ひょっとしたら孫権よりもw
(私の中で、三国志全然知らない人でも知ってるであろう三国志の人物は、せいぜい【諸葛亮>曹操・劉備>関羽・張飛>>孫権】までくらいだと思うんですよね)
私の足りない知識で、そのうえ私視点で簡単に紹介させていただきますけど…。
演義で最も損をする人物のうちの一人だと思います。
孔明に手の内で転がされてるような。まるで引き立て役ですよね。
孔明の「曹操が攻めてきたのはあなたの奥方狙いですよ」を聞いた途端に抗戦を決断するエピソードなんて一番ひどい。曹操にとっても不名誉だw
【周瑜の家柄と孫策との出会い】
家柄は三公を輩出するほどの名家(の分家?)ですが、父や兄が早世し幼くして当主になります。
子供のころに同い年の孫策に出会い、意気投合。その結束は金属をも断ち切る――いわゆる「断金の交わり」ですね。
孫堅が単身赴任で頑張ってる間、孫家の母子は周瑜の家の一部を借りて暮らしていた。
その後、黄祖との戦いで孫堅が戦死し、孫策とは離れ離れに。
しかし孫策が袁術に兵を借りて旗揚げした際、兵を引き連れ財をひっさげて、孫策のもとに馳せ参じます。
孫策の時にも書きましたが、この家柄で素性のあやふやな孫家に仕えるっていうのがすごいですよねー。
確かに孫策とは友人、親友なんですけど、形式的には部下になるわけですから。
孫策の父の孫堅の活躍や忠烈ぶりも当然周瑜の耳に入ってるはずで、それに加えてやっぱり孫策には魅力があったんじゃないでしょうか。
【孫策軍として】
「お前が来たからにはこの先は安泰だ(超意訳)」と孫策に言われます。
学識も高く、頭脳明晰、そして謙虚。孫策と周瑜は、まさしく動と静のイメージがあります。互いの足りない部分を補い合い、良い部分をさらに伸ばすような二人のコンビネーションは絶妙ですね。
船がなくて困っているときに、川辺に生えている葦で筏を作って川を渡るって作戦を周瑜が立てたという作品を複数見ました。これ、原本はどこからなのか知らないんですが、ほんとにあった話なのかな。
一時期、周瑜は孫策の元を離れ、叔父のいる丹陽に帰り、袁術の配下として働きます。それなりに期間が開くんですよね。孫策と周瑜のタッグが見れる貴重な短い期間の間に、二人が離れてしまっているのは少しもったいない気がしてなりません^^;
ただまぁ、これは袁術を牽制するため(孫策が力を持ち過ぎていると思わせないため)だったみたいですから、この離別自体が二人のタッグといえなくもないんですが。
時期を見て周瑜は、袁術に口実をつけて東に向かい、そのまま孫策軍へと帰還。
二人で皖城を攻め、仲良く美人姉妹(二喬)を娶る。名実ともに義兄弟となります。
周瑜は謙虚で分をわきまえる人だから、基本的に孫策は君主に対する態度で接していて、でもほんの時々友達に戻るような、君主:友達=8:2、もしくは9:1くらいの関係が私の勝手な理想。ツンデレの黄金比率に似てるなw
【友、そして君主である孫策を亡くして】
孫策軍における周瑜の功績は目覚ましく、孫策も恩賞でそれに応えます。
軍内における周瑜の地位もとても大きなものになっています。若い二人が軍の中心。なんて活力あふれる軍でしょう。もちろん他にも活躍した人はたくさんいるんですけどね。
江東を平定してまさにこれから。そんな時に突然、孫策が暗殺に倒れ、跡継ぎは孫権にと遺言を残します。
孫策も周瑜もこのとき26歳。(ちなみに全然関係ないけど織田信長が桶狭間で勝ったのもこのくらいの年だったような。比較してみると26歳での江東平定のすごさと、この年での死がいかに若いかを痛感します)
重ねて書きますが、最期の瞬間に会えなかったのが切なくてなりません。
周瑜はいち早く年若い孫権に臣従を誓い、孫家の崩壊を食い止めたことは前にも書きましたね。
ただ、孫策が死ぬ前でも、諸将は孫権を軽んじていたが、周瑜はすぐさま臣下としての礼節をとったとあります。度量があって、他人の心をつかむ人物だったそうです。
【孫策と孫権、それぞれに対する思い】
まぁこの項目を書きたいがための今回の周瑜語りです。
孫策時代の二人組が一番好きなんですけど、最も活躍するのはやはり赤壁含む孫権時代ですよね。
はい、ここから妄想モード突入ですが、周瑜の、孫権に対する態度や思いについて、私の理想像を少し語りたいと思います。朝香版三国志「かぜ江」シリーズの影響丸受けです。限りなく理想に近い周瑜がここにいます。
ライトノベルのセリフを抜粋するのもどうかと思うんですが、でも紹介したいので。
――朝香祥『江のざわめく刻(コバルト文庫)』より
曹操軍が江東に迫り、軍議で一言もしゃべれなかった自分を臆病者だと自嘲する孫権。兄の孫策だったら張昭たちが何か言っても、最終的には「戦うぞ」の一言で皆を開戦に引きずり出しただろうと、自分と比較して落ち込む。
「『討逆将軍(孫策)さえ生きておいでだったら』その言葉を俺は、何回聞いただろう。ずっと耳について離れない」「そなたの口からは、そういう台詞をきいたことはないが。でもそれはただ俺に遠慮しているからであって、心の底では皆と同じように思っているんだろう?」
これに対する周瑜の答え。
「そのようなことは、これまで思ったことはございません」「伯符さまが生きておいでおいでならばと思うことは、自分たちが負うべき責任を、伯符様に負わせることだからです」「私はこの手が担うべきものを、伯符さまに押しつけたくはありません」
「おそれる事を恥ずかしいとは思いません。おそれを知らぬ者は、己自身の力を過信するがゆえに敵を侮り、滅びます。臆病さをもち慎重であることは、人の上に立つ者として必要不可欠だと存じます」
これは孫権を持ちあげるために言っているのではなく、本当にそう思っているのです。まぁ、孫堅や孫策はこれで命を落としたところがあるから、切実です。
さらに、朝香祥『散華(同人誌)』ではこのように描かれています。原文を基にした要約です。
――孫権が、孫策に対する憧憬と畏敬と共に、凄まじいまでの劣等感を抱いているのは周知の事実であり、周瑜はそれを気遣って、孫権の前だけでなく他の諸将の前でも孫策の名を出すことはなかった。孫策と孫権は個性が違うだけで、それを孫権は自分が劣っていると思い込んでいる、と周瑜は言う。
本当にそう思っているのか、そう自分に言い聞かせているのか、はたまた周囲にはそう言う態度を通しているだけなのかは微妙な表現でしたが。
こちらは再々版のものを手に入れたので、原稿そのものが古く、作者のあとがきでは「今書くと周瑜の孫権への思いは少し変わる」とおっしゃられていますが、コバルト文庫で出ているシリーズでも赤壁編で孫策の話が出るのはほんの1、2回だったと思うんですよね。基本的な姿勢は一貫していると思います。ちょっとさびしい気もしますけど、やっぱり周瑜はこうあってほしい。
つまり、孫策死後、孫権は孫権で良い君主として認めていて、決して孫策と比べたりしない。
孫策については態度や口には出さないし、引きずったりはしていないけど、それでもいつも静かに彼の心を燃やすような存在であってほしい。
(※ただし、周りの人間が孫権と孫策を比べていることが前提で^^; でないと孫策が忘れ去られてしまうww)
あ、でもやっぱり周瑜も死ぬ時ぐらいはちゃんと孫策のこと思い出してほしいなぁww
『蒼天』や『北方三国志』も、その辺のバランスはすごく良かったと思います。作品によっては孫策の死を引きずる周瑜なんかが描かれたりするんですけど、あまり好みの展開ではないですね。孫策と周瑜の絆がどれだけ強かったかっていうのが表現されるのはすごく嬉しいんですけど、もっと爽やかな関係であってほしい。ただ、そういう観点で描かれる作品があるっていうのも、ある意味救いなんですよね。孫策が死んだとたんに孫策のことは忘れたような作品ばかりだとそれはそれでさびしすぎるので^^;
孫権についてはまた、別に語りたいと思いますが、持っている長所が孫策のようにわかりやすいものじゃなかったんだと思います。あと、孫策と孫権の二人で考えると、やはり孫策が動、孫権が静のイメージがあって、孫権時代には周瑜はむしろ動の役割を担っていると思います。主君に合わせて自分も変われるというか、自分の能力を最大限に発揮できる状態に自ら持っていけてるような、そんな印象があります。
【程普との関係】
孫策の親友で若くて優秀な周瑜と、孫堅時代から仕える最長老格の猛将・程普は折り合いが悪かった。
というよりは程普の方が一方的に嫌ってたんですよね。周瑜の方は大先輩である程普に対して謙虚な姿勢を崩さず、決して張り合うようなことはしなかった。
(『かぜ江』の程普では、その若さゆえというよりは、あまり感情を出さず時には冷酷な策を平然と提案する周瑜に腹を立てるような感じでしたが。)
しかし程普はやがてその才能を認めて、「公瑾と話すときは美酒に酔っていることにも気付かないようだ」とほめています。好きですこのエピソード。程普も好きです。
さて、長くなりすぎたので二分割します^^;
ここまでですでに読み切った人いるのか不安ですけど--;
後編は赤壁の戦いを中心に諸葛亮や魯粛なんかと絡めて語りたいと思いますー。
あなたさえよろしければ次の記事でノシ
参考サイト
三国志日本語訳 http://www.project-imagine.org/contents.html
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』