空想庭園 -10ページ目

空想庭園

ゲーム、アニメ、ボカロ、歴史ネタ、その他もろもろ隠れヲタ的生活をつづるブログです。

ブログの説明はルームにて。

某所で見つけた過去の単発ドラマ、「天下を取ったバカ」と「大化改新」を見ましたー(´ー`)
実は見たことがなくて、ずっと見てみたかったんですよ! 探してみればあるもんですね(´艸`*)


天下…の方は1998年のT/B/Sらしいです。

題名からわかるように織田信長の話で、主演の信長は木/村/拓/哉さんです。

なかなか面白かったです。うつけと呼ばれた頃から、弟倒して織田家のトップになるまでの、若い信長を描いた作品です。「天下を取った」という題名ですが、天下統一に向けての戦いは描かれません。

信長の若いころって、見てて楽しいから好きです。…にしてもこのころの戦国時代って、どこでも家督争いで内輪揉めしてますねwそういう時代なんだなぁ。

10年以上前の作品なので、木村さんが若いんですよー。若くてやんちゃな感じがぴったりでした。

本当にカッコいい人は、髪ひっつめてもカッコいいんだなぁ(*´∀`*)なんて。

木村さん主演でもう一つ、めっちゃ昔のスペシャルドラマを覚えているんですが・・・

「君は時のかなたへ」っていう、タイムスリップもののSF?ドラマです。1995年、朝日。

これは当時のテレビ放送でみました。

松平元康(後の徳川家康)が桶狭間の合戦中に現代にやってきてしまうってやつ。

当時私は小学生…のはずですが、腰までありそうなロングヘアを後ろで一つにまとめてる木村さんがかっこよくて、記憶に残ってます。

こういったスペシャルドラマも再放送してほしい。日曜洋画とか金曜ロードとかで放送すればいいのに。



大化…は2005年、N/H/Kです。

まだ最近っちゃ最近ですね。主人公が中臣鎌足で、岡/田/准/一くん。蘇我入鹿が渡/部/篤/朗さん。

中大兄皇子が小/栗/旬くん。

鎌足と入鹿が元は学友で親友って設定。

実際の人間関係とかはそんなに詳しくないので、どこがおかしいとかあり得ないとかはわからないんですが…、

岡田鎌足の登場シーンで、あまりのさわやかさにキラキラした何かが飛んでるように見えましたwかっこよすぎるよ!

入鹿が一方的な悪役じゃなくて、親友同士が敵対してしまう哀しさみたいなのを中心に描かれていました。

入鹿はともかく、鎌足はいままで、器用でやり手で目的のためには手段選ばない的なイメージがあったんですけど、このドラマの鎌足は…なんかよわよわしいですw 振り回されるし悩むし。そして華奢。

あと、岡田君て童顔なので、あの豪快なひげはちょっと似合わな(ry

大部分がひげ面だったので、せっかくの美形起用がもったいない気がしましたw

渡部入鹿はひげなしなのになんで岡田鎌足がひげなの!!

中大兄皇子は、あの涼やかでいて鋭くてちょっと攻撃的な小/栗君の顔がぴったりだった(*´∀`*)

もうちょっと出番あっても良かったのになぁ。大化の改新って言ったら普通主役この人のはずなのにw 今回鎌足と入鹿が中心だったからなぁ。

宝皇女の高/島/礼/子さんも美人さんでした!この人ほんと美人だなぁ。


この時代を大河ドラマで…って、難しいのかなやっぱり。資料少なそうだし。でも見てみたいなぁ。聖徳太子から持統天皇くらいまで続ければ一年持つんじゃないかなぁ。ダメかなぁ。














最近は脳内三国志フィーバーが落ち着いてきて、ちょっと別のものにハマっています。

(あ、でも孫権とかいろいろまた思い出したように語り出すと思います)



で、今ハマっているのはこれ↓


空想庭園


河村恵利さんという漫画家の作品たちです。

まだまだ集め切れてなくて、歯抜け状態なんですが、ぜひたくさん集めたい。

今持っているのは


・枕草子

・時代ロマンシリーズ2 清水鏡

・時代ロマンシリーズ3 冬の落日

・時代ロマンシリーズ6 衣がえしの君

・時代ロマンシリーズ11 天つ雷鳴

・明日香の王女(あすかのひめみこ) 1~3巻(全9巻)


すべてプリンセスコミックス(秋田書店)刊です。


古本屋でたまたま見つけて、気になって2冊ほど買ったのが始まりです。

題名からもわかるように、すべて時代ものです。『明日香の王女』のみが大化の改新時代を扱ったシリーズもので、その他はすべて表題作を含む短編集です。

主に恋物語で、中でも悲恋が多い気がします。恋愛じゃないのもあります。

扱われる時代がまた広いんですよね。


『明日香の王女』が一番時代的には古いんですが、その他手に入っている分だけでも奈良時代、平安時代、源平合戦時代、南北朝、室町、戦国、江戸初期、ほんとさまざま。

こんな時には、日本史取りたかったなーって思いますねw

しかも史実や伝説をベースにこちらをキュンとさせるような切ないアレンジが加えられていて、すごく引き込まれます!!私みたいにちょっと歴史が好きでかじってるくらいの人がちょうどハマるのかもしれないです。

作品ごとに独立した物語ですが、同じ時代の違う人物を主人公にしたような作品では、以前に出てきたキャラクターが出てくることもあります。



各巻にそれぞれどんな内容のお話が収録されているかをまとめたサイトがあったのでリンク貼っときます。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/koeda/R9.htm

気になる人はどうぞ行ってみてください!



私が個人的に大化の改新前後の時代が好きで(いつか紹介した朝香祥さんの小説『明日香幻想』『夏嵐』の影響ですね)、『明日香の王女』の先がものすごく気になっているところです。早く4巻以降を手に入れたい…!中大兄皇子がすごく心惹かれる描かれ方してます!!それ以外のキャラクターも愛しいです!ストーリーも緻密に練られていると思います。

話は脱線しますが、この時代近親相姦ほんとすごいですよね!血のつながった兄妹以外だったら何でもOK!みたいな。いとこ同士なんて当たり前、実の姪や叔母が嫁になったりする。さらには嫁の叔母が同時にいとこだったりもするらしい。あと、結構女帝が多い。…おっと、この時代のことはまた別に語りましょうか。


人によっては「キャラクターの見分けがつかない」とか「男主人公が優男すぎる」とか「絵柄が古い」とか「髪型が時代にそぐわない」とか言われるかもしれません。が、私自身はそれほど気になりませんでした。いいじゃないの、少女漫画なんだしカッコイイ方がねぇ。

まぁ、豪傑のイメージのある木曽義仲とか平教経がすらっとした美青年だからちょっとびっくりはしましたけどねw

それぞれのストーリーもおススメ。人の繊細な心の動きとか、考え抜かれたこまやかなセリフ遣いに何度も感動します。

表紙裏の作者メッセージに、『私の話を読んで、「ホントはこの人って、どんな人物だったのかなあ」と思って、歴史事典などをひもといてくださる方がいれば、もうこんなウレシイことはないわ』という言葉があるのですが、ほんとそのとおり。調べたくなりましたもん!!そうするとまた「は~、ここをこうアレンジしたのか~」って、しみじみ思います。

私、部活で文芸部に所属してたことがありまして、その時に記紀神話をモデルにした作品描いたことがあるので、元ネタをどういじるかって言うのは難しところでもあり楽しいところでもあるんですよねー。


短編集の中で特に印象に残っているものをいくつか。

『枕草子』内の作品で小西行長の養女おたあ(洗礼名ジュリア)のお話。

同じく『枕草子』内の、16歳で討ち死にする平敦盛のお話。

『清水鏡』内の幼くして藤原基実に嫁ぐ平清盛の娘・徳子のお話、また豊臣秀頼と千姫のお話。

『天つ雷鳴』は収録されている3つの作品が同じ時代でそれぞれ繋がっていて、天武天皇崩御後の子供たちの政権争いを切なく描きます。


興味を持ってもらえたらと思いまして一つ具体的に紹介してみます。

どれにしようか迷ったんですが・・・おたあの話がいいかな。

伝えられているおたあのお話はジュリアおたあ(Wikipedia) で調べてみてください。



ネタバレ…というかまんまあらすじなので一応反転にしときます。

* * *

『春霞の乱』という短編作品では、おたあは朝鮮で親を亡くした貴族の娘で、不憫に思った小西行長が日本に連れ帰り、育てます。はじめは言葉が通じず泣いてばかりいた少女がいつも口にしていた言葉、それが「オタア」と行長の長男・行友(実在の人物??)には聞こえました。だれか大切な人を呼んでいると思われたのですが、呼び名に困った行友は少女に「おたあ!」と呼びかけます。のちにこれは朝鮮の言葉で「兄」を意味する「オパア」だったのかな、と行友は推察しています。仲良く兄妹のようにして育った行友とおたあですが、やがて関ヶ原の戦いで義父の行長は死に、行友の生死・行方は知れません。おたあは病気がちの義母(行長の妻)となんとか暮らしていましたが、おたあの美貌を大御所・徳川家康が知るところとなり、使用人として召しだそうとします。おたあは当然、仇の家康を突っぱねようとしますが、病気の義母に便宜を図ることを条件に出され、おたあはそれを呑んで伏見城に上がります。自分を置いて家康の元に行くおたあを義母は罵りますが、おたあは義母が、貧しくても自分がいれば幸せだと言うことを見抜いているが故に本当のことが言えず、黙って城勤めに出ます。そこで出会った家康の意外な親切さ、優しさに触れ、おたあは家康を嫌いになれず、戸惑いを感じるのですが、ある時家康から「側室にならんか」「そうすれば贅沢三昧だぞ」と持ちかけられ、おたあは「良い方なのかと思ってきたのに…また嫌いになりますぞ!」と拒否します。そうこうしているうちに毛利にかくまわれていた行友が捕えられ、家康の前に引き出されます。彼を救うためにおたあは側室になることを承諾します。おたあは行友に会いにこっそり牢屋に来て「おまえを必ず助ける」というのですが、それが家康に見つかり連れ戻されます。行友は「たたが小娘に厳しいですね」と家康に皮肉るのですが、家康は嫉妬に狂い、「たたが小娘にお前を助けることができると思うか」「女の操と代えた命、大事にするがよいわ」と真実を明かしてしまいます。それを知った行友は、おたあを守るため牢の中で自害してしまいます。深い悲しみと絶望に暮れたおたあは、家康に手をあげ、「呪われてしまえ家康――! あなたさまをもう怖いとは思わぬ!」と罵ります。家康の家臣たちはおたあを死罪にすべきだといいますが、家康はおたあを行友のもとへ行かせたくないばかりに、殺すことを許さず、流罪にします。追放される後ろ姿を城から見ながら、もしおたあがもう一度振り返ったならすべてを許そうとするのですが、家康が呼びとめても、おたあは決して振り返ることはありませんでした。その後おたあは流刑の地・伊豆で一生を終えたと締めくくっています。

* * *


うー、切ないですよ。

ウィキペディアで見る限りでも少し哀しいお話なんですけど、より一層ドラマティックに仕立てられているというか。異国の姫おたあの心身の美しさ、気丈さ、家康の人間臭さなどに惹かれます。あと、間に三成が人質にしようとした細川玉子(ガラシャ)の挿話も挟まれます。自害を思いとどまらせるためにおたあは「あなたが死んだら忠興さまはものすごく悲しむ」と説得するんですが、ガラシャは「私のために悩み苦しむお姿を見るより、泣いてくださるほうがうれしい」と言って炎に包まれていきます。「女とは――何と身勝手な生きもの…」とおたあは泣きながら独白します。ガラシャのセリフ、じんときます…。



伝わりましたでしょうか、河村恵利さんの漫画の魅力。

この作者は漫画が好きで、歴史が好きなんだろうなーって言うのが作品から感じられる気がします。

見つけたのはほんとに偶然なので、ここまでハマるとは思いませんでした。

一番古い『枕草子』で初版平成二年なんですが、ちょっと前の漫画も、いいもんですね!


お久しぶりです^^;

ボーっとしてたら一週間たってました。やー早い。




天地人、前回分感想すっとばして(お休みして)今回分の感想行きたいと思います^^;





佐吉ー!!ひさしぶりぃー!!


1話の衝撃の髪型にはまだなってないみたいでよかった。

で、でも思ったより前髪ぼさぼさw

三成はもっときっちり涼やかな髪型してるイメージがあるなぁ。

小賢しくてツンツンしてる感じが可愛かったですv


武田に援軍を向ける上杉。

そうでもしないと菊姫が嫁いでいった意味がない…ですよね。

勝頼直筆の返書の内容とともに入ったナレーションで、

「痛々しいまでの見栄と誇りが」ってのがなんとも的を射ていてちょっと切なかったですね。

もう勝頼一人しかいなかったし。まぁ割ときれいな終わり方したんじゃないでしょうか。



信長に蹴っ飛ばされる光秀とかばう家康…これはあの接待の伏線かな?

家康の頭の上の帽子??こぶ隠し??あれは一体…またおかしな頭が一人^^;




景勝さまの不器用さが可愛いv

「そなたは…わしの妻じゃ」

そんな仏頂面して言うセリフかwww

…そこがいいんだけどさw

菊姫の肩に手を回すぎこちなさ。でも菊姫は心を開いてくれましたね(*´∀`*)



兼続とお船が結婚しましたけど、今までの仲の良さから一変、顔も合わせない。

「直江の家柄欲しさに」って思われていることを気にして文も書けない兼続。

一方で、文もくれない兼続に少しさみしいお船。

めずらしくすれ違いですねー。がんばれー!


さて、ひとつ前の記事 の続きです~。

注意書き等は前回にまとめてますので割愛させていただきます。



周瑜(公瑾)について。



【美周朗と音楽】
家柄も頭も人柄もよくて、おまけに顔まで良い、さらには音楽の才能まで備わってる。あなたは完璧人間か!
いまさらですが、「朗」て言うのは若君という意味、つまり「周家の美しい若様」と呼ばれていたそうです。
孫策もカッコ良かったって書かれてますから、二人が並ぶとなんと見栄えの良いことだろうとウフフフ。
しかしながらこの美周朗というあだ名は、京劇が原本らしいですねw
周瑜は若いころから音楽に精通し、酒を飲んでいても演奏者が音を間違えれば周瑜は必ずそれに気づき、振り返ったといいます。演奏者はさぞ緊張したことでしょうねw 『レッドクリフ』にも周瑜の音楽の才能は描かれてますね。なぜか諸葛亮もすごい達人でしたけどww ここくらい周瑜に勝たせてくれたって…クスン。



【曹操からの人質要求を突っぱねる】
曹操は官渡で勝利した後、孫権に対して人質を要求します。張昭らは躊躇って決断することができませんでしたが、孫権は内心人質を送りたくなかったので、周瑜だけを連れて母の元へ相談に行きます。周瑜は「いま将軍(孫権)は父兄の資質を受け継ぎ、軍は精強にして食料は多量、領内は富み、士風は強く勇ましく向かうところ敵なしであります。何の差し障りがあって人質を送ろうとなさるのか」と言い、孫権の母もそれに賛同し、周瑜は孫策と同い年で、自分は周瑜をわが子のように見ている、孫権も周瑜を兄と慕いなさいと言いました。孫権はついに人質を送ることはなかったということです。
ここで人質を送っていたら、赤壁の戦いはもしかしたら起こらなかったかもしれないですよね。



【赤壁の戦い】
周瑜といえば、これ!!

まず、開戦までの流れの、私的解釈です。

魯粛は荊州偵察のおり、長坂の戦いから逃れてきた劉備軍に目をつけ、手を組んんで曹操に対抗しようと独断で劉備に同盟を持ちかける。おそらく、荊州を手に入れた曹操が呉に攻め込むこと、その場合呉が単独で曹操を退けることが困難であることをいち早く察知したのではないでしょうか。
諸葛亮も当然孫権と結ぶことを考えており、意見が一致して魯粛に連れられ孫権の元へ使者として赴く。
そのころ孫権の陣営では文官の長老たちが降伏を主張。若い孫権はそれを言い負かして退ける事が出来ない。
そこへ諸葛亮が訪問し、同盟を申し出る。決断ができない孫権を見かねて、魯粛が鄱陽にいる周瑜を呼びつけることを進言。孫権の元へ呼ばれた周瑜は意見を問われると、初めてその口を開きます。


「曹操は漢の宰相を名分としていますが、その実、漢の国賊であります。
たとえ北方が安定していたとしても、我らの水軍と対等に勝負することができましょうか。馬を捨てて船に乗り、呉越と力比べをするなど、華北の人間の得意とするところではありません。
今、北方は未だ平安でないうえ、馬超・韓遂が曹操の背後を脅かしています。
さらに今は冬、馬に与える藁草はなく、軍勢を駆り出しても水や土には慣れず、必ずや疫病が発生するでしょう。
私に3万の兵をお預けくだされば、彼を撃破することをお約束いたしましょう」

ここで孫権は決断し、抜刀して文机を切り、「今後再び曹操を迎え入れるべきというものがあれば、この机と同じ運命をたどると思え!」と言い放ちます。魯粛も抗戦を主張していましたが、やはり孫権が絶対の信頼を置く周瑜の言葉で決断したってのがわかります。

さらにその夜周瑜は孫権に拝謁し、こうも言っています。
「水兵・歩兵80万と言われる曹操の軍勢は、はなはだ根拠のないことで、現実的に考えて彼が率いてくる兵はせいぜい15、6万。しかも軍勢はすでに疲労しており、荊州で手に入れた劉表の軍勢とて7、8万のみでしょう」
と、この斜体部分は正史にある周瑜の言葉です。(勝手に要約してますけど)
あと、荊州兵は投降したばかりで曹操のために命がけで働いたりはしない(士気が低い)というようなことも言ってたら最高。他にも、「張昭たち文官は降伏した後も何か役職に就けるでしょうが、御主君はそうはいかない」ってことも言ってたりしますよね。
でも…演義なんかでは全部諸葛亮が持っていってるんですよね、この辺のセリフ。まぁ、あれです。赤壁の戦いにおいて諸葛亮は実は目立った働きしてないよっていう、周瑜ファンの叫びです。皆さん耳ダコかもしれませんが、周瑜ファンにとっては何回言っても飽きない話題ですww (諸葛亮を貶めるつもりはないんですけど…^^;)10万本の矢の話も、創作。赤壁の戦いにおける諸葛亮の功績というと、同盟を組んだってことは大きかったでしょうけど、それはきっと魯粛も同じこと考えてましたし。同盟なしでも周瑜はもしかしたら抗戦主張したかもしれませんしね。勝敗はどうなってたかわかりませんが。実際、赤壁での劉備軍は備えというか、後詰めというか、戦ったのはせいぜい逃げる曹操軍の追い打ちぐらいでしたけど、それでも後詰めがあるのとないのとでは全然違うと思いますし。ただでさえ寡兵に過ぎる孫権軍ですもんね。ほんとぎりぎりのところだったんじゃないかと。あ、でも諸葛亮は赤壁の戦いにはたいして役に立ってないっていいましたけど、劉備軍にとってはすごい功績なのは確かですよ!孫権と結んで自軍に大した損害を出さずに曹操軍を撃退し、生き残った上に荊州ちゃっかりとっちゃうんですから。ここが諸葛亮の怖いところですよ。周瑜は周瑜で劉備の助けなんかいらんって言ってそうですけどw


で、実際の戦いについて。
まず初戦で長江で小競り合いをするんですが、これは呉軍の圧勝。曹操軍は北岸に陣を落ちつけ、孫権軍は南岸に位置どります。
黄蓋が周瑜に言います。「相手は多勢、こちらは寡兵であって、持久戦は困難です。しかしながら曹操軍を観察するに、船が密集して連なっています。焼き討ちにすれば敗走させられましょう」
最初に火攻めを進言したのは正史では黄蓋ってことになってます。たぶん、周瑜の頭にも、おそらく諸葛亮の頭にも火計はあったんじゃないかとは思いますが。ちなみに、正史には風向き云々の記述はない…んですよね?
(※ここから妄想スタート)
ただ、今でもあの土地では冬でも暖かい日が続くと東南の風が吹くという現象が起こるということは言われているので、実際それに合わせての作戦決行があったとしてもおかしくはないですよね。
東南の風については作品によっていろいろ描かれ方があって、演義では孔明が祈祷で風を呼ぶ、また演義ベースの作品では諸葛亮が風が吹くことを知っていて、自分が呼んだように見せるために祈祷をしたというものもありますし、祈祷はしなくても諸葛亮がそれを知っていて周瑜に教えるというのもありますけど、やっぱり周瑜ファンとしては周瑜がいち早くその情報を得ていてほしいですww いくら諸葛亮が天文とか地理に詳しいって言っても、その土地の風土まではわからんでしょ。たぶん情報源は現地の農民ですよ。で、何とか打開策がほしい周瑜は、いつ風向きが変わるかを農民に訊ねる。どれだけ(場合によっては春まで)持ちこたえればいいか、持ちこたえられるかの判断材料にするためですね。そこで、意外なことに、冬でも東南の風が吹くことを知る。この情報を得るのが、諸葛亮と同時でもいいけど、最低限遅れは取ってほしくないというか。諸葛亮にライバル心むき出し過ぎですね、私が。諸葛亮のライバルって言ったら司馬懿でしょ!っていうのは分かるんですけど、この時代、この場所ではむしろ周瑜の方が一枚上手って、思いたいんですよw 
で、いざ東南の風が吹くと分かって火計が有効だと断言できるようになり、曹操軍に近づくための策を練ります。
あらかじめ曹操に偽りの手紙を送り、降服と見せかけて乗ってきた船に火を放つという作戦は、黄蓋がいいだしたのか周瑜の策なのかどっちかわからないんですが、実際にあったようです。ただ、苦肉の計といわれる黄蓋への鞭打ちは創作みたいですけどね。
『かぜ江』の周瑜は、特に赤壁編では、自分の意見や考えを言うことを控え、諸将の考えを聞き出し、最も有効と思えるものや自分の意見に合致するものを容れて、策とするような人でした。このあたりに、周瑜への親しみやすさや呉の団結力を感じます。何でもかんでも周瑜の策、周瑜の手柄にしちゃうと、それこそ演義の仙人諸葛亮並の完璧人間になってしまって、好感が持てないですよね。あと、『かぜ江』周瑜は軍中での自分の言葉の重さを知っているために、不用意な発言はしない感じでした。曹操が迫ってきても孫権に呼ばれるまで周瑜は何も言ってないですしね。さすがの慎重さ・思慮深さだと思います。ただ、勝てる見込みがあると分かれば全力で戦って、見事に勝っちゃうところがすごい。
つい諸葛亮を比較に出してしまいますが、諸葛亮は人を見る目がないってよく言われてますよね。あと、作戦が緻密すぎて、どこかが破られると立て直せない。臨機応変な対処が不得手とか。政治家・軍略家としてはとことん優れていたんでしょうけど、武将としては天才とまではいかなかった。北伐を始めたとき、もう蜀には英雄がほとんど残っておらず、魏に比べると国力も兵力もなく、あの状態であれだけやれたっていうのは評価されてしかるべきなんですが、結局北伐はあまり成功しなかった。
状況が全く違うだけに単純に比べるわけにはいかないんですが、周瑜は軍部での地位は高かったものの、政治の中心は張昭など政治が得意な人たちに任せて、特に口出しはしてないと思うんですよね。分をわきまえて、孫策の遺言通り、軍に関して孫権のよき相談役になったんだと思います。周瑜がいる時代は人材も豊富ですから、周瑜は軍隊のほうに専念できたってのもあるんでしょうけどねー。



【天下二分の計、そして周瑜の死】
諸葛亮が天下三分を唱えるのとは別に、周瑜は独自で天下二分を考えていた。
とはよく言われますが、実際に一番早くこの案を口に出したのは甘寧だったりするかもしれない。
黄祖を見限って呉に身を寄せた甘寧は、周瑜と呂蒙の推薦により孫権軍で旧臣同様の待遇を受けるんですが、このとき甘寧はまず荊州を押さえ、さらに益州をも攻め天下に覇を唱えるという戦略を提言して孫権に気に入られます。これが周瑜の思惑と一致していたとも考えられますし、周瑜の考えに影響を与えたとも考えられます。
いずれにしろ、周瑜はこの天下二分を実現させるため、荊州攻略に乗り出します。江陵攻めで見事曹仁を打ち破りますが、このときの矢傷がもとで病にかかってしまいます。無理がたたって病は悪化。それでも孫権に拝謁して、このまま益州を奪取し、馬超と同盟を結んで曹操を追い詰めるという策を上奏し、許しを得ます。このころからできるだけ劉備の力をそぎ落とそうと策略を練るんですが、それでこれまで同志であった魯粛と考えが衝突することになり、孫権も周瑜の策を聞き入れません。劉備に美女を与えて篭絡し、関羽と張飛を引き離すというやつです。周瑜にしては珍しく汚い手を考えたと思いますが、自分の体のこともあり、焦ってたのかなーなんて思います。演義では殺害まで考えてますけど、たぶんそこまでは周瑜も考えてなかった…と思いたい。
周瑜と魯粛、どちらが正しかったかなんてわかりませんが、仮に周瑜は呉による天下統一を目指していて、魯粛は江東独立を目指していた、なんて考えるのも面白いかもしれませんね。
ただ、いよいよ周瑜が自分の死期を悟った時、後継に選んだのは意見の対立していた魯粛なんですよね。
自分がいなくなった場合天下二分は無理だ、その時呉を守れるのは魯粛だけだ。そう冷静に考えて、最もふさわしい人物を選んだ。そんな周瑜が、最後まで周瑜らしくて好きですね。
孫策の死から10年。周瑜は36歳でこの世を去ります。それでも若い。まだまだ若いです。それを考えると孫堅なんかも実は37、8歳で亡くなってるわけで。孫堅だって若いよ!
呉はほんとに、早世の人が多いです(;_;)



*   *   *



さて、若いとはいえ周瑜については孫策よりも長く生きてる分、人との関わりやエピソードが豊富で、こんなに長くなってしまいました。孫策の時点で「うわやべぇ、長くなりすぎた」なんて思ってたのに、それよりよっぽど長くなってしまった周瑜orz あれ、孫策がいちばん好きなはずなんだけどな^^;
孫策の回ではあまり書きませんでしたが、孫策にはやはり軽佻で性急であったなどの欠点があるのに対し、周瑜に関しては欠点がまったくもって見当たらないんですよ。(陸遜もそれに次ぐエリートなんですけど)
恋は盲目とかいいますけど、見えてないだけなんですかね^^;



以上、長くなりましたが、周瑜語りでしたー。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます^^
次、誰にしようかな…笑 (これ以上長くなることはもうないハズ)



参考サイト

三国志日本語訳 http://www.project-imagine.org/contents.html

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


前回、三国志でいちばん好きな孫策について語りましたが(3/29の記事 私の三国志歴⑤ ~孫策について~) 、今回は孫策とセットで好きなあの人の話です。


ズバリ、周瑜。

孫策好きだったら必然的に好きになりますよねー。孫策に次いで2番目に好きです。ていうか孫策と同率一位でもいい。

周瑜は人気も高いだろうし下手なこと書けないと思って内容を吟味してたら数日たってましたw


※三国志初級から中級者向けの記事と思われます。
ほんとに詳しい人に見られたら笑われる(・_・;)
紹介文というよりは、思い入れを語る記事ですので、詳しく知りたい人は他で調べてください^^;
史実に基づいて書きたいとは思っていますが、内容が必ずしも正しい史実であるとは保証しません。
あと、多大な…とまでは行かないと思いますが多少の偏見、贔屓、願望混じってます。自覚はしてますのでお許しください。


周瑜(公瑾)


呉といえば彼!な人物なので、三国志少しでもかじってる人には説明いらないかも^^;
レッドクリフのおかげで一般的な知名度も上がったでしょうね。ひょっとしたら孫権よりもw
(私の中で、三国志全然知らない人でも知ってるであろう三国志の人物は、せいぜい【諸葛亮>曹操・劉備>関羽・張飛>>孫権】までくらいだと思うんですよね)
私の足りない知識で、そのうえ私視点で簡単に紹介させていただきますけど…。

演義で最も損をする人物のうちの一人だと思います。
孔明に手の内で転がされてるような。まるで引き立て役ですよね。
孔明の「曹操が攻めてきたのはあなたの奥方狙いですよ」を聞いた途端に抗戦を決断するエピソードなんて一番ひどい。曹操にとっても不名誉だw



【周瑜の家柄と孫策との出会い】
家柄は三公を輩出するほどの名家(の分家?)ですが、父や兄が早世し幼くして当主になります。
子供のころに同い年の孫策に出会い、意気投合。その結束は金属をも断ち切る――いわゆる「断金の交わり」ですね。
孫堅が単身赴任で頑張ってる間、孫家の母子は周瑜の家の一部を借りて暮らしていた。
その後、黄祖との戦いで孫堅が戦死し、孫策とは離れ離れに。
しかし孫策が袁術に兵を借りて旗揚げした際、兵を引き連れ財をひっさげて、孫策のもとに馳せ参じます。

孫策の時にも書きましたが、この家柄で素性のあやふやな孫家に仕えるっていうのがすごいですよねー。
確かに孫策とは友人、親友なんですけど、形式的には部下になるわけですから。
孫策の父の孫堅の活躍や忠烈ぶりも当然周瑜の耳に入ってるはずで、それに加えてやっぱり孫策には魅力があったんじゃないでしょうか。



【孫策軍として】
「お前が来たからにはこの先は安泰だ(超意訳)」と孫策に言われます。
学識も高く、頭脳明晰、そして謙虚。孫策と周瑜は、まさしく動と静のイメージがあります。互いの足りない部分を補い合い、良い部分をさらに伸ばすような二人のコンビネーションは絶妙ですね。
船がなくて困っているときに、川辺に生えている葦で筏を作って川を渡るって作戦を周瑜が立てたという作品を複数見ました。これ、原本はどこからなのか知らないんですが、ほんとにあった話なのかな。
一時期、周瑜は孫策の元を離れ、叔父のいる丹陽に帰り、袁術の配下として働きます。それなりに期間が開くんですよね。孫策と周瑜のタッグが見れる貴重な短い期間の間に、二人が離れてしまっているのは少しもったいない気がしてなりません^^;
ただまぁ、これは袁術を牽制するため(孫策が力を持ち過ぎていると思わせないため)だったみたいですから、この離別自体が二人のタッグといえなくもないんですが。
時期を見て周瑜は、袁術に口実をつけて東に向かい、そのまま孫策軍へと帰還。
二人で皖城を攻め、仲良く美人姉妹(二喬)を娶る。名実ともに義兄弟となります。
周瑜は謙虚で分をわきまえる人だから、基本的に孫策は君主に対する態度で接していて、でもほんの時々友達に戻るような、君主:友達=8:2、もしくは9:1くらいの関係が私の勝手な理想。ツンデレの黄金比率に似てるなw



【友、そして君主である孫策を亡くして】
孫策軍における周瑜の功績は目覚ましく、孫策も恩賞でそれに応えます。
軍内における周瑜の地位もとても大きなものになっています。若い二人が軍の中心。なんて活力あふれる軍でしょう。もちろん他にも活躍した人はたくさんいるんですけどね。
江東を平定してまさにこれから。そんな時に突然、孫策が暗殺に倒れ、跡継ぎは孫権にと遺言を残します。
孫策も周瑜もこのとき26歳。(ちなみに全然関係ないけど織田信長が桶狭間で勝ったのもこのくらいの年だったような。比較してみると26歳での江東平定のすごさと、この年での死がいかに若いかを痛感します)
重ねて書きますが、最期の瞬間に会えなかったのが切なくてなりません。
周瑜はいち早く年若い孫権に臣従を誓い、孫家の崩壊を食い止めたことは前にも書きましたね。
ただ、孫策が死ぬ前でも、諸将は孫権を軽んじていたが、周瑜はすぐさま臣下としての礼節をとったとあります。度量があって、他人の心をつかむ人物だったそうです。




【孫策と孫権、それぞれに対する思い】
まぁこの項目を書きたいがための今回の周瑜語りです。
孫策時代の二人組が一番好きなんですけど、最も活躍するのはやはり赤壁含む孫権時代ですよね。
はい、ここから妄想モード突入ですが、周瑜の、孫権に対する態度や思いについて、私の理想像を少し語りたいと思います。朝香版三国志「かぜ江」シリーズの影響丸受けです。限りなく理想に近い周瑜がここにいます。
ライトノベルのセリフを抜粋するのもどうかと思うんですが、でも紹介したいので。


――朝香祥『江のざわめく刻(コバルト文庫)』より
曹操軍が江東に迫り、軍議で一言もしゃべれなかった自分を臆病者だと自嘲する孫権。兄の孫策だったら張昭たちが何か言っても、最終的には「戦うぞ」の一言で皆を開戦に引きずり出しただろうと、自分と比較して落ち込む。
「『討逆将軍(孫策)さえ生きておいでだったら』その言葉を俺は、何回聞いただろう。ずっと耳について離れない」「そなたの口からは、そういう台詞をきいたことはないが。でもそれはただ俺に遠慮しているからであって、心の底では皆と同じように思っているんだろう?」


これに対する周瑜の答え。

「そのようなことは、これまで思ったことはございません」「伯符さまが生きておいでおいでならばと思うことは、自分たちが負うべき責任を、伯符様に負わせることだからです」「私はこの手が担うべきものを、伯符さまに押しつけたくはありません」

「おそれる事を恥ずかしいとは思いません。おそれを知らぬ者は、己自身の力を過信するがゆえに敵を侮り、滅びます。臆病さをもち慎重であることは、人の上に立つ者として必要不可欠だと存じます」


これは孫権を持ちあげるために言っているのではなく、本当にそう思っているのです。まぁ、孫堅や孫策はこれで命を落としたところがあるから、切実です。


さらに、朝香祥『散華(同人誌)』ではこのように描かれています。原文を基にした要約です。

――孫権が、孫策に対する憧憬と畏敬と共に、凄まじいまでの劣等感を抱いているのは周知の事実であり、周瑜はそれを気遣って、孫権の前だけでなく他の諸将の前でも孫策の名を出すことはなかった。孫策と孫権は個性が違うだけで、それを孫権は自分が劣っていると思い込んでいる、と周瑜は言う。


本当にそう思っているのか、そう自分に言い聞かせているのか、はたまた周囲にはそう言う態度を通しているだけなのかは微妙な表現でしたが。

こちらは再々版のものを手に入れたので、原稿そのものが古く、作者のあとがきでは「今書くと周瑜の孫権への思いは少し変わる」とおっしゃられていますが、コバルト文庫で出ているシリーズでも赤壁編で孫策の話が出るのはほんの1、2回だったと思うんですよね。基本的な姿勢は一貫していると思います。ちょっとさびしい気もしますけど、やっぱり周瑜はこうあってほしい。
つまり、孫策死後、孫権は孫権で良い君主として認めていて、決して孫策と比べたりしない。
孫策については態度や口には出さないし、引きずったりはしていないけど、それでもいつも静かに彼の心を燃やすような存在であってほしい。

(※ただし、周りの人間が孫権と孫策を比べていることが前提で^^; でないと孫策が忘れ去られてしまうww)

あ、でもやっぱり周瑜も死ぬ時ぐらいはちゃんと孫策のこと思い出してほしいなぁww
『蒼天』や『北方三国志』も、その辺のバランスはすごく良かったと思います。作品によっては孫策の死を引きずる周瑜なんかが描かれたりするんですけど、あまり好みの展開ではないですね。孫策と周瑜の絆がどれだけ強かったかっていうのが表現されるのはすごく嬉しいんですけど、もっと爽やかな関係であってほしい。ただ、そういう観点で描かれる作品があるっていうのも、ある意味救いなんですよね。孫策が死んだとたんに孫策のことは忘れたような作品ばかりだとそれはそれでさびしすぎるので^^;

孫権についてはまた、別に語りたいと思いますが、持っている長所が孫策のようにわかりやすいものじゃなかったんだと思います。あと、孫策と孫権の二人で考えると、やはり孫策が動、孫権が静のイメージがあって、孫権時代には周瑜はむしろ動の役割を担っていると思います。主君に合わせて自分も変われるというか、自分の能力を最大限に発揮できる状態に自ら持っていけてるような、そんな印象があります。



【程普との関係】
孫策の親友で若くて優秀な周瑜と、孫堅時代から仕える最長老格の猛将・程普は折り合いが悪かった。
というよりは程普の方が一方的に嫌ってたんですよね。周瑜の方は大先輩である程普に対して謙虚な姿勢を崩さず、決して張り合うようなことはしなかった。
(『かぜ江』の程普では、その若さゆえというよりは、あまり感情を出さず時には冷酷な策を平然と提案する周瑜に腹を立てるような感じでしたが。)
しかし程普はやがてその才能を認めて、「公瑾と話すときは美酒に酔っていることにも気付かないようだ」とほめています。好きですこのエピソード。程普も好きです。




さて、長くなりすぎたので二分割します^^;

ここまでですでに読み切った人いるのか不安ですけど--;

後編は赤壁の戦いを中心に諸葛亮や魯粛なんかと絡めて語りたいと思いますー。

あなたさえよろしければ次の記事でノシ


参考サイト

三国志日本語訳 http://www.project-imagine.org/contents.html

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