工房の窓から見える木蓮が大きく蕾をふくらませ春の訪れを告げようとしています。
回転するロクロ、放物線を描き飛び、重なる、削られた土片。その微細な様子。静寂。冬中唯作陶を続けてきました。
こちらに移住して数十年、繰り返し季節はうつろい、そして歳月を重ねてきました。
拡散する意識は、常にともにあり、
世界が翩々するなか、唯在ることのみを生きてきました。その視線は、おそらく、社会からの自由ではなく、私自身からの自由へ向いていた。
そして私と陶土の関係が折重なるとき、一つの形象が持たらされます。そのように感じられるのです。
木蓮の蕾を通じて春がその息吹を顕すように。
「何ものにも「囚はれない心」の状態にゐる時は、作るものは必然に悉く美しくなります。囚はれない心とは、結局「自由」といふ事であります。何事にも「こだはらぬ心」とも云つてよいと思ひます。「こだはる」のは、私を立ててそれに執する所から起ります。それ故、「自由」とは先づ「私」から自由になる事であります。
柳宗悦【無謬の道】」
回転するロクロ、放物線を描き飛び、重なる、削られた土片。その微細な様子。静寂。冬中唯作陶を続けてきました。
こちらに移住して数十年、繰り返し季節はうつろい、そして歳月を重ねてきました。
拡散する意識は、常にともにあり、
世界が翩々するなか、唯在ることのみを生きてきました。その視線は、おそらく、社会からの自由ではなく、私自身からの自由へ向いていた。
そして私と陶土の関係が折重なるとき、一つの形象が持たらされます。そのように感じられるのです。
木蓮の蕾を通じて春がその息吹を顕すように。
「何ものにも「囚はれない心」の状態にゐる時は、作るものは必然に悉く美しくなります。囚はれない心とは、結局「自由」といふ事であります。何事にも「こだはらぬ心」とも云つてよいと思ひます。「こだはる」のは、私を立ててそれに執する所から起ります。それ故、「自由」とは先づ「私」から自由になる事であります。
柳宗悦【無謬の道】」
