5月5日 端午の節句 <其の弐>
端午の節句が男の子の節句になったのは?女性のお祭りだった端午の節句
旧暦5月は現在の6月ごろで
田植えシーズンでした
農耕社会において最も重要なこの時期に
農村の女性たちは
田の神を迎えるために身を浄め物忌をしました
そのころ、女性は田の神を迎える巫女であり
”端午の節句”は女性のお祭りでした
古来宮廷で行われていた端午の行事も
鎌倉時代の武家政治へと
移り変わって行くにつれ
だんだんと廃れてきました
武士の間で 尚武(しょうぶ=武を尊ぶ)の
気風が強く
”菖蒲”と”勝負”をかけて
端午の節句の尚武の節日として
盛んに祝うようになりました
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江戸時代になると 5月5日は
徳川幕府の重要な式日に定められ
大名や旗本が 式服で江戸城に参り
将軍のお祝いを奉じるようになりました
将軍に男の子が生まれると
表御殿の玄関前に馬印や幟をたてて
お祝いをしました
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このような時代変遷のなかで
薬草を摘んで 邪気を祓う端午の行事が
男の子の誕生の祝いへと
結びついていったようです
武士だけではなく 庶民へと
広がっていきました
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端午の節句の飾り物*鯉のぼり
鯉が急流を上がり 竜門という滝を上ると
竜になって天へ登るという
中国の故事 ”登竜門”によるもの
鯉は出世の象徴で
男の子の成長と立身出世を願って飾ります
*鎧兜
武家にとって 戦いで武功をたて
禄高をあげることが最も大切なことでした
そのための 武具である鎧兜を飾り
立身出世を願い
家督にふりかかる災厄を祓いました
庶民は玄関前に
幟や吹き流しを立てていたが
厚紙で作った 兜や人形や
紙や布に描いた武者絵を
飾るようになりました
江戸時代中期には
庶民は 鯉のぼりが
飾るようになりました
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端午の節句とちまき中国は戦国時代、紀元前278年
楚の国の高名な政治家で詩人、屈原は
国王の側近としてつかえ
人々からも慕われていました
陰謀のため国を追われることになり
屈原は汨羅江(べきらこう)に身を投げてしまいました
その日が5月5日
人々は屈原の死を悲しみ弔いのためと
屈原の亡骸を魚が食べて傷つけないように
魚にお米を食べさせるために
笹の葉で包んだ ちまきを
川に投げ入れました
この物語が端午の節句に
ちまきを作って いただくという
風習の起源だと言われています
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柏餅
日本独自のもので
柏は新芽が出るまで 古い葉が落ちないことから
”家系が絶えない”縁起物として広まっていきました
このような歴史があって
現在の子どもの日の行事になったのですね☆
長々と ・・・
端午の節句について
覚書です
(*゜▽゜ノノ゛☆
