今日は、お里会社様に勤める知人に誘われて新日フィルの演奏会に行きました@パルテノン多摩。

最近の新日フィルはなかなか評判いいらしいよ、という噂をあちこちで聞いたのもあって、期待に胸を膨らませながら(嘘)。


今日のプログラムは・・・

・ブラームス 悲劇的序曲 op.81

・ハルトマン 交響曲第6番

・チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 op.74「悲愴」

でした。


恥ずかしながら、ハルトマンという作曲家は知らなかったのですが(思わずドイツの軍人を思い浮かべたりする始末)、ドイツを代表する現代音楽の作曲家らしいです。


指揮は、インゴ・メッツマッハー氏。現代音楽の演奏に造詣が深い指揮者だけに、ハルトマンはもちろんのこと、そういう指揮者がチャイコフスキーをどう纏め上げるのか、楽しみにしておりました。


で、いつものウンチクです(汗)。


まず、ブラームス。正直途中で居眠りしました(爆)。

次にハルトマン。この演奏は、なかなか良かったのではないでしょうか。しかし、特に1楽章の終わりの方の弦楽器の神秘的な和音などは、別のオケで聴いてみたいと思いました(汗)。


そして、メインのチャイコフスキーですが。

正直う~~~ん。何と言いますか、この曲の哀愁というかそんなものがなく、トロンボーンのあの高鳴るようなフレーズも単に鳴らしているだけというか・・・現代音楽が得意な指揮者が振っているという先入観もあったのでしょうが、悲愴の演奏でよく言われる“カタルシス”の経緯が感じられず、音の入り乱れによる混沌のままに、音量の強弱の調整だけで終わった、という感じがしました。


あと、他にもいろいろ難があった・・・なんてプロの差配に口出しするつもりはありませんが、個人的にはちょっと不満でした。

ホールが小さいので、雛段を造らなかったのは理解できなくもないですが、S席にいる聴衆は籠った管楽器の音しか聴くことができません。逆にA席の方がいいじゃんかよ、とややムっとしてしまいました(セコい)。加えて、楽器の配列が古式ゆかしきものに準じていて、それをチャイコフスキーが求めていたというのも解るのですが、やはりこの会場においては、コントラバスを後方、それも左手・第一バイオリンの後ろに塊のようにして置くというのは・・・。高音と低音が妙な混じり合いを見せていたし、この曲の中に表わされている不安感や孤独感というようなものが中途半端になってしまい、美しい旋律とともにそれが浄化されていくイメージも感じることができず仕舞いだった原因のひとつになっていたような気もしなくはありません。


新日フィルも、熱演といえば熱演でしたが、なんか、耳からはずれかかったイヤホンから聞こえてくる、低音の足りないシャカシャカした音にも似た弦の乾いた音はどうかと思うし、管楽器も深みが足りないような。しかしこれは演奏者がどうこうというよりも、指揮者が設定したテンポや表現がこのオケには合っていないために起こったこと、というふうに感じます。


なーんていろいろ言ってますが、来週もこの指揮者&新日フィルの演奏会に行く予定なのでした。。。次はすみだトリフォニーホールだし、曲目はマーラーの「悲劇的」なので、今回よりはずっといい演奏が聴けるだろうと期待しています。。。


この秋は、これに続いて行くのが、ヤンソンス&コンセルトベボウのマーラー3番。最大の山場です。年末には安い第九を聴いて〆、という予定。しかし、今回の多摩の後も、川崎、所沢と、客層悪そうな地域のホールが続きます・・・(爆)。


とりあえず、久々のコンセルトヘボウに期待して、今後の日々を過ごしてまいります・・・。