今日は久しぶりに映画を観てみました。

「桜田門外ノ変」。

歴史好き(?)として、一応チェックしておかねばと思いまして。。。


のっけからクライマックスのシーンが終了し、その後そこまでに至る経緯と回想シーンが入り乱れ、関鉄之助の斬首で終わるという、この事件のことをよく理解した上で観なければかなり解りにくい内容でした。おまけに、流血シーンがあまりにもリアルで、有村次左衛門の自害の時には、思わず目を背けてしまいました・・・。


まぁ、この“テロ行為”を計画・実行した人々だけでなく、井伊家においては、生き残った人たちは皆、主君を守れなかった罪に問われ、重傷者以外は切腹させられ、無傷の者にいたっては全員処刑されたことなども含め、この事件が実はいかに悲惨な結末であったかを知るには、必要なことだったのかもしれません。


あと、いかにも“セットです”と言わんばかりの江戸城桜田門の石垣が、すごく気になりました・・・。

唯一救いだったのは、あまり脚色がなされずに、ほぼ、今言われている“史実”どおりのストーリーであったことでしょうか。


で、この映画が何を言わんとしていたのか、というのを観終わった後に考え込んでしまったのですが…。

おそらく、一番最初に今の国会議事堂(あの辺は井伊家の屋敷跡)の映像が流れたことや、次々に死んでいくこの事件の関係者の名前と年齢がテロップで流されたことから、今の日本は、これら人々の犠牲の上にあるんだよ、それもこんな若者達が・・・ということを言いたかったのか、あるいは、激動の時代を生きた人の生き様から、現代の人々に勇気を与えようという意図があるのだろうと勝手に解釈しました。


でも、それならば、あの国会議事堂のシーンは、広末映画「ゼロの焦点」の如く最後に持ってくる方がいいよなあとか、関鉄之助の視点から話を進めるよりは、水戸斉昭などもうちょっとだけ離れた立場からの方が、よりこの事件の背景をうまく伝えられるのではないかなあという気がしなくもありませんでした。


しかし、大沢たかおはとてもいい俳優さんになったのですね。

そういう意味では、タレント映画という感じもしなくはありません(酷評)。


とはいえ、この映画の意図が自分の予想どおりであるとすれば、それは十分果たせているのではないかと思いました。