曇りガラスのドアの中で浴槽から湯気が濛々と上がっていました。

わたしが上着の端を何に引っ掻けたのか確認しようとすると、乱暴にドアを閉めたことに腹を立てたように破裂するようにシャワーが噴出したのです。

シャワーの勢いが強まりフックから外れ、シャワーは生きた蛇のように暴れまわっていました。



そのシャワーが何度も何度も浴室のドアにぶつかり地獄から得体の知れないものがはい出そうとしているように思えて必死にドアを押さえました。

ゴンゴンとシャワーが壁に浴槽にドアにぶつかる音が部屋に反響するのです。

その音は私に絡み付いてほどけなくなり、吐き気が押さえられなくなりました。



 その時、ドアを抑える力がゆるむと上着の端が5cmほど一気に引き込まれたのです。

その瞬間、わたしの理性が吹き飛びました。

自然現象だと思い込もうとしているわたしの真っ向から否定されたのですから。

そのときの現状を知らない他人が見れば、私を気が触れた狂人と勘違いしたのではないでしょうか。

助かる術がないわたしはただ曇りゆく浴槽を見つめて嗚咽するだけ。

現実と悪夢の混沌とした浴槽では、湯気が霧のように広がっていき、やがてそれは人の姿を形取り。

顔を辺りには3つの黒い穴があるように見えました。

口に見える部分は一刻と形が変化していてわたしを呼んでいる声が聞こえて来そうでした。



ここで声を出したら、連れて行かれる。

根拠のない考えに捕らわれ声が出せなかったのです。

「徹!徹!徹・・・・・・誰でもいい、神様!仏様!私を助けて」

私は手を合わせて祈るようにその場に座り込んでしまいました。

押さえのなくなったドアが開き、出来た透き間からは赤い光が2つ除いています。

それは紛れもなく瞳に違いありません。

力無くわたしは呆然と眺めることしか出来ませんでした。

絶望が訪れました。



ピンポーン



その音でわたしは我に返り、急に意識のモヤが晴れたようでした。

そしてドアのチャイムが突然なると同時に、いままでの反響がウソのように途絶えていました。

浴室からお湯の流れる音だけが小川のせせらぎのように聞こえます。



「何だぁ。誰か来たのか」

いままで爆睡していた徹が寝ぼけ眼で起き出して来たのです。

「はーい。どなたですか」

スタスタと大股で徹はドアまで行き、わたしを通り越してノブに手をかけていました。

「いや、開けないで」とわたしは徹を押さえたかったのですが、全身の力が入らず声すら出なかったのです。



開いたドアの隙間にわたしは見たのです。

少女のような白い影が。

その影の口元にはなぜかやさしい微笑。

そして唇が何か語っていたような。

しかし徹がドアを完全に開けたときには消えていました。



「あれ、誰もいないな。寝ぼけたかな・・・お」



徹は謎の影など初めからいなかったように、かがみこんで何かを拾い上げていました。



「奈緒。お母さんからいただいた大事なお守り落としているぞ。引っ掻けて破いているし・・・」



徹は振り返りわたしを見ると言葉に詰まったようでした。

その姿を見て尋常でないことが、言わずともわかってくれたようです。

あわてて賭けよって傷心しきったわたしを抱き寄せてくれましたが、何が起こったのか理由がわからずどうすればいいか困っていました。



 不思議だったのは、ドアに挟まれた上着はちぎれて切れ端は見つからなかったのです。

事情を話すと徹は半信半疑で、浴槽の湯、シャワー、イスを調べくれました。

しかしそれは蛇口の故障が判明しただけで他には何も異常はありませんでした。

もちろんあのイスも徹簡単に動かして端へ寄せてしまったのです。

徹は疲れて夢と現実が区別出来なくなっただけだから、もう次には何もないと言ってわたしを慰めたのです。



 それでも不安を拭い切れなかったわたしは部屋を退出して鹿児島の実家に向かうことにしたのです。

たぶん、昼頃には到着するだろうと徹が教えてくれました。

その道中に安心したわたしは幸せな実家の夢を見ながら帰途つこうと思います。



わたしの不思議な体験は心の奥に封印しようと思います。

不思議体験の謎とともに。

結局、あの出来事は

悪霊からお守りが守ってくれたのでしょうか。

それとも

粗末な扱いをしたお守りがわたしに戒めをほどこしたのでしょうか。

今となってはどちらなのか知りようがありません。



運転中ずっと徹の暖かい手がわたしのほほをなぜていました。

やがてそんな思いも薄れ、深い安堵がひろがったのです。

そして甘い暖かな日差しの香りにつつまれながら安らかな寝息をたてていました。


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