僕たちの結婚記念日は323日。1971年に結婚して55年にもなる。今年の結婚記念日には『ホテル青島サンクマール』を予約していた。自宅からクルマで30分程で行くことが出来るリゾートホテルだが、ここの夕食はなかなかいける。ホテルに行くのは午後3時を過ぎてからのチェックイン。自宅で昼食を摂って午後2時過ぎに出ればよい。

そんな日の朝9時過ぎ、友人で西都の写真家・黒木一明さんから電話が鳴った。「今朝の宮日新聞に武本さんのことが写真入りで載っていますよ。」とのこと。

先週の20日、春分の日に温泉の休憩室で、帰りのバスを待つ間、宮日新聞に目を通していた。宮崎空港の元社長の長濱保廣さんが宮日新聞に自分史として連載されていて、その日は渡邊恵さんのことなどが書かれていて、興味深く読んだのだが、その連載の今朝の文章には僕のことが出ていると黒木一明さんが教えてくれたのだ。宮日新聞は残念ながら取っていないので、自転車で『宮日大淀東販売店』1分の距離まで走り購入。どこに載っているのか探し始めたところに、今度は大阪芸大の同級生で宮崎在住の青山さんから同様の電話。

勿体なくも僕のことが名前入りで書かれていてとても有り難いのでその全文をここに書き写してみようと思う。先ずタイトルは

 

シリーズ自分史『創業者の想いを形に~地方であってもキラリと光る空港であり続けたい~宮崎空港ビル相談役・長濱保廣・連載45

 

『びっくりしたポルトガル展』 空港で初めての個展

 

空港ギャラリーで個展をしてくださった作家の皆様には、絵や写真などで心が癒される空間を提供していただき、誠にありがとうございます。

中でも空港が初めての個展だった作家のお話をさせていただきます。

ギャラリーがオープンして半年過ぎた頃、担当の渡辺恵君が興奮して一枚の絵を持ってきました。「宮崎にすごい画家がいます‼タッチが全然違う‼」。聞くと個展も開いたこともない画家で、私は「大丈夫か?」と思いました。

正直に言って、ポルトガルの街を描いていると言われても、赤と青がごちゃごちゃして目がチカチカする。何が描いてあるのか分からない。黒木静也社長に見せても「これは、分らんなあ」という反応でしたが、渡辺君が「やらせてください」と言うので、お願いすることにしました。その人が武本比登志さんで、喫茶店「山あい」を経営されている方でした。

20メートルほど離れた向かい側から正面の絵を見たとき、あれほど分からなかった色の重なりが、一つの風景として立ち上がり、ポルトガルの街並みがはっきりと浮かび上がっていました。

個展が始まり20日ほどたった頃、作品が次々と売れ驚いていると、大阪の画商の方が買われていき、ほぼ完売となりました。

後で知ったことですが、武本さんは大阪の芸大を中退し、ストックホルム大学に留学され、その後、ニューヨーク、中南米を旅され、美術館をくまなく見て歩いていたと聞きました。武本さんはポルトガルの街並みを描き、サロン・ドートンヌに10年連続入選、さらにル・サロンでは金・銀・銅すべての賞を受賞されましたが、その出発となった初めての個展が、この空港ギャラリーでした。

渡辺君には絵を見る眼力があるんだと、改めて見直しました。

特にオープン当初から出展いただいた弥勒祐徳先生、大上敏男先生、川辺忠光先生、澤田隆先生。ギャラリーの評価を高めていかれた方々が、数多くおられます。これまで個展をしていただいた先生の作品は購入させていただき、所蔵展として展示させていただいています。

この空港ギャラリーがオープンしたての頃、私は渡辺君にこんなことを言ったことがあります。「絵はもう少し高いところに飾るものではないのか」。渡辺君は「それはご先祖様の写真です。絵は目の高さに合わせるのです」と言われました。それほど何も分からなかった私が、作家の皆さんと渡辺君のおかげで、気付いたら絵を見ると作家はどなただろうかと思うようになりました。

 

 

以上、2026年3月23日、月曜日『宮崎日日新聞』6面最初のコラム記事・長濱保廣さんのその日の文章の全文を書き写しました。僕たち夫婦にとっては良い結婚記念日になりました。お読みいただきありがとうございました。

武本比登志