先日、セトゥーバルの蚤の市で額縁に入った一枚の印刷物を見つけた。
それは古いイラストで、ちょうど今、我が家があるあたりの風景だった。
昔の貴族の様な服装をした人物が風車小屋の丘からセトゥーバルの町の中心を眺めている絵柄だ。
かつてここには風車小屋がずらりとあったらしい。今はその絵の様にたくさんの風車小屋はないが、一棟だけは残されていて、幼稚園の一部となっている。
今、我が家から街の中心は見えない。松林が視界を阻んでいる。この絵の時代には松林はなかったのだろう。現在の様に家々もなく、風車小屋の下にはオリーヴ畑が広がっていた。
我が家は丘の上にありちょうどその絵の風車小屋の場所に当る。
この場所に移り住んだ当初から見晴らしは良かった。それがこの頃になってますます見晴らしが良くなってきている。それは松の木が徐々に切られているからだ。
我が家のすぐ南側には低いところに市の水道タンクがあるので、その他の建物は建たない。だから南側は当初から見晴らしが良かった。港とサド河の河口、トロイア半島、サン・フィリッペ城、それに大西洋が一望できる。
南西にはかつて1本の松の大木があり、その方向にあるアラビダ山の頂上はあまり良く見えなかった。青い家の先からは黒人の子供たちが来て、その松の大木の枝にしがみ付いてブランコ遊びをしていた。
ある日、強い風が吹き荒れ、大きな枝が折れてガレージハウスの屋根を壊した。
役人がチェーンソーを持ってきてその大木を根元から切ってしまった。お蔭で南西の方角には別の城址の丘があることがわかったし、アラビダ山の頂上が良く見える様になった。
そして、14番のバスが上り下りするのが見える。市営住宅の一角にあるメルカドが毎週土曜の夜、ディスコに早代わりして、人々の出入りする様子も見える様になった。
南西の大木と南東の林に挟まれた真南の水道タンクの前の空地にはいつのまにか2メートルばかりに成長した、か細い実生の松の木がたくさん生えていた。それがいずれ大きくなれば我が家は見晴らしが悪くなるかも知れないと少し心配ではあった。
クリスマス時期になると青い家のあたりからノコギリをかかえておばさんが松のてっぺんを切りにやってきた。クリスマス・ツリーにするのだ。
切ってくれれば上に伸びないので見晴らしが悪くなることもないと僕は思っていたが、隣のマンションのおかみさんが「木を切っちゃ駄目ですよ」と言って追い返していた。
でもその後、水道局の砂置き場にするため、ブルドーザがやってきてすっかり平らにしてしまった。
北側には一軒の広いお屋敷がある。老夫婦が2人で住んでおられる。もう既に仕事からは隠退されているらしく、毎日庭の手入れに忙しい。毎週末には大勢の息子、娘たちが戻ってきて賑やかになる。孫たちも一緒だ。
かつてそのお屋敷は自然に生えたらしい10数本の松の大木に囲まれていた。
そのお屋敷から真正面にあたる別の丘の中腹に建っていた古くからのお屋敷が、山火事にまかれて燃え落ちるのはセトゥーバルでは大きなニュースになった。
我が家からも松の枝を透して真っ赤な炎がチラチラと見えた。
向かいのお屋敷の老夫婦にとっては他人事ではなかったのだろうと思う。
それからしばらく経ったある時、10人ばかりの職人たちが来て、その松の木を1本残らず切ってしまった。
残ったのは柳とジャカランダ、ブーゲンビレアなどの庭木だけとなった。お蔭でそれまで我が家から松の枝の間から僅かしか見えなかったパルメラの城が、アトリエの窓の真正面に完全な形で姿を現した。
北西側遥か向こうの緑の牧場も眺める事もできる様になったし、時たま草を食む羊の群れも見える。春には花が咲いてまっ黄色に替る。そしてお屋敷の白い壁が反射してアトリエはまぶしいくらいに明るくなった。
南東側には相変わらず松林があって、山鳩が巣をかけているし、野鳥がたくさんやってきては良い声を聴かせてくれる。ベランダからは松林に阻まれて街の中心は見えない。住み始めた当初より松林の松はますます大きくなってきている。
かつてはそのベランダで炭を熾してイワシなどを焼いていたが、松の木が大きくなってベランダに迫ってきたので、火が移れば大変なことになる。危険を感じて炭火焼はしなくなってしまった。
1階に住んでいるマリアさん家などは「日当りが悪くなって洗濯物が乾かない」と言って役場に陳情したのかも知れない。
やがて、大層なクレーン車が来て一番近いところの松の大木を2~3本切った。お蔭で我が家も山火事の心配が薄らいだのと、東側の見晴らしがかなり良くなった。朝、顔を洗う時には、真正面の地平線から昇ってくる真っ赤な朝日が顔を照らす。
水道タンクのさらに下の崖のところにはかつてのオリーヴ畑の名残りの様に数本のオリーヴの老木があったが、そこにも松の実生苗が育ち、やがてオリーヴの木に覆い被さる程に繁っていた。
ちょうど2年前の暮、それを一切合財切り払って、それ以来建物の工事が進んでいる。既に建って久しいにも拘わらず一向に入居しない。念の入った工事らしく未だに工事人が出入りしている。どうやら普通の住宅ではなさそうだ。多分、水道局の事務所か何か、公共の建物なのだろう。
南東の松林のところに、つい2~3日前から職人2人と監督が1人来て、松の木を少しずつ切り始めた。
まだまだ何本も残ってはいるが、我が家のベランダから松の枝を透してほんの少し街の中心あたりが見えるようになった。
もしかしたらそこを水道局の駐車場にするのかも知れない。
どこまで切るのか、我が家からの見晴らしはどうなるのか、暫くは目が離せない。
僕も仕事が手につかず、気が気ではないが、野鳥たちにとってもおちおちしてはいられないだろう。
VIT
(この文は2007年1月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)