2006年9月でポルトガルに住み始めて16年が過ぎた。
10年ひと昔などというが、それを遥かに越える年月に我ながら驚いている。
ポルトガルに移り住んだのは、ついこの前という実感しかないからだ。
でもその頃の自分の写真などを見ると確かに若い。
確実に歳月を重ねているのには違いない。
ポルトガルに住み始めた街は、最初からずっと今と同じセトゥーバルである。
ずっと住んでいるからか、あまり感じなかったのだが、振り返ってみるとセトゥーバルの街もかなり変貌を遂げてきている。
なるほど16年も経っているのだ。
闘牛場と病院に囲まれたあたりは、だだっ広い赤土の荒れ地であった。
当時、僕たちは旧市街地のど真ん中の古い建物に住んでいて、日当りも悪かったので、太陽を求めていつも散歩に出掛けていたのだが、その荒れ地も散歩コースの一つだった。
小高い丘からは、セトゥーバルの街とアラビダ山やアルデイア・グランデの山も見晴らすことが出来て気持の良い場所であった。
その荒れ地でゴワゴワしてとげとげの葉や茎を持つ黄色い花を摘んだ。
花瓶に生けるとまるでアメーバの様に、もの凄い勢いで光を求めて茎を伸ばした。
乾ききった土でも休眠状態で枯れることはなく、一旦水を得るといっきに成長を始めるのだろう。
決して日本にはない植物だと驚いたもので、それ以来その黄色い花は摘んではこなかった。
それからしばらく経った頃、その荒れ地には10階もあるビルが軒並みに建ち並び、市役所の支所や自動車組合の事務所、不動産屋、それにショッピングモールとその中にはピザ屋、パソコンショップ、インターネットカフェなどが店を開き、多くの人々が住み、駐車スペースを探すにも困難になるほど賑う街となってしまった。
今、黄色い花が咲いていた当時の面影は全くない。
ただ一つ当時から存在していた大きな笠松の木は今もその場所に残されていて人々に木蔭を提供している。
更にもう少し町外れで、鉄道線路と高速道路の向こう側には広大なコルク樫の丘が広がっていた。
ある年の市の広報によると、そのあたりをゴミ捨て場にするとのことであった。
市民からは見えないところであるが、コルク樫を伐採し、掘り下げ、ビニールシートで敷きつめ、そこにゴミを捨て、その上をまた土で覆う。というものらしく、そんな新聞広報があった。
広報があってしばらくした頃、カモメの大移動が始まった。
トロイアの海水浴場や漁港付近から毎日決まった時刻に大挙して、そのゴミ捨て場あたりを目指してのカモメの大飛行が始まったのだ。
それを我が家のベランダから眺めるのが日課であった。
そしてやがてカモメの大移動もいつの間にかなくなっていた。

1.トロイアビーチのかもめ。
つい先日、新興団地の先に高速道路の下をくぐリ抜ける立体交差の新しい道路ができているのに気が付いた。
そんな道がいつ出来たのかも知らないが、その向こう側には大型のショッピングモールが出現していてキツネにつままれた様な驚きであった。
若者向けで新しい感覚のファッションやスポーツグッズ、文房具店、1ユーロショップの様な店。
それにパソコンショップとクルマのディーラーなどが広々とした土地に出来上がり、英語で「アトランティック・シティ」(大西洋街)という洒落た名前までも付けられている。
ちなみにポルトガル語では [Cidade Atlântico] (シダーデ・アトランティコ)と言う筈だが、そうは呼ばない。
今は林立する建物群でそこから大西洋を望むことは出来ないが、かつてはヒツジの群れが草を食む大西洋を望むコルク樫の丘であった。
そして、まさにそこがカモメが大移動を繰り返したゴミ捨て場でもあったのだ。
18世紀まではセトゥーバルの街はすっぽりと壁に囲まれていて、人々はその中でのみ暮らしていた。
その壁の一部や町門などがところどころ今も残っていて、当時の生活が偲ばれる。
そんな街のど真ん中に「マクドナルド」が出店した時も驚いた。
ポルトガルには元々美味しいパンのサンドイッチなどがあるので、アメリカのハンバーガーショップだけは出来ないだろうと思っていたからだ。
僕はかつて、日本でコカコーラが爆発的に流行り始めていた頃、(1968年だった)フランスでフランス人の男に「コカコーラは好きか?」とくだらない質問をしたことがある。
男は「いや、俺は飲まない。フランスにはワインがある。」と言ったのを憶えている。
セトゥーバルは古くローマ時代に塩田とイワシの塩漬け工場として興り、大航海時代にも重要な拠点となっていた。
その後もオランダとの交易などで栄え、今も18世紀頃からの建物や広場、水汲み場、それに水道橋の一部などもそのまま残されているが、その後、少しずつ壁の外側にも建物は広がって行き、さらに最近の、EU 経済共同体を契機に爆発的に、まさしくアメーバの様に、水を得た黄色い花の様に四方八方に街は広がっている。
このところ、何回かは新しくてピカピカのアトランティック・シティで買物をする機会もあったが、(実はそこのパソコンショップで<USBハブ>を買った)何だかダイオキシンが空中を漂っている様な気もちがして、そそくさと買物を済ませて帰る。
元、ゴミ捨て場にしては「大西洋街」とは大きな名前を付けたものだと思っていたが、東京のかつてのゴミ捨て場はたしか「夢の島」と言った。
このセトゥーバルの港から船を漕ぎ出し、太陽が沈む遥か水平線の彼方、西に西に緯度を変えずに真っ直ぐに大西洋(アトランティック・オーシャン)を進んで行くと、やがてアメリカ東海岸の「アトランティック・シティ」の港にたどり着く筈だ。だがしかし残念ながら地球の気流は逆に流れている。
アメリカのアトランティック・シティから船を漕ぎ出すほうが容易にセトゥーバルにたどり着く。
文化も気流と同じ流れで動いているのだろうか?
ポルトガルは決してアメリカナイズされることなく、いつまでもヨーロッパらしさ、そしてポルトガルらしさは失わないでほしいと願うのは僕だけだろうか?
VIT
(この文は2006年11月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)