ヴァンドーム広場へ
ラペ通りからヴァンドーム広場へ。。。
リッツパリの前は相変わらず
観光客がカメラを構えていて、、、
出入りする人を撮影してる![]()
以前、家族で
一週間リッツパリに宿泊中、
どれだけ沢山のカメラに収まったことやら、、、
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ルイ14世下のヴァンドーム広場
元々はヴァンドーム広場は
パリ市外に位置していました。
というのも、
アンリ4世時代はパリは
ルーブル宮とシテ島と
その近郊の3角形の地帯のみという
かなり制限された場所だったのです。
その後、ルイ14世の命の下、
パリ中心部と
その周辺へのアクセスを
より容易にする
豪華な広場を建立するという
視野の中で
ヴァンドーム広場の建設が
決定されました。
現在の広場の名は当時広場にあった、
今はもう存在しない
旧私邸の一つからつけられました。
太陽王ルイ14世は
ジュール・アルドゥアン・マンサールを
古典様式の広場建立の為に建築家として指名します。当時は
王の彫像が
中央にそびえ立っていました。
当時、広場は店などもなく、
すでに商人で賑わっていた
ラ・ぺ通りへも繫がることなく、
ただ銀行家や貴族の私邸のみが
立ち並んでいました。
そして、フランス革命が
広場に新しい活気を
与えるきっかけとなったのです。
ナポレオン統治下のヴァンドーム広場
フランス革命に伴い、
ヴァンドーム広場は
使用目的を転用され、
中央の王家の像は破壊されます。
次に、 誇張した政策で知られていた
ナポレオンは
広場とラ・ぺ通りを繋いだ
豪華な場を作り上げ、
この広場に再び活気を与えたいと
願いました。
そこで敵の大砲から円柱を作り、
広場から直接ラ・ぺ通りに繫がるよう
通りを塞いでいた
カプシーヌ教会を取り壊しました。
まさにこの教会が
ルイ15世に寵愛され、
精巧な宝飾品のコレクターであった
ポンパドール侯爵夫人が
埋葬された地だったのです、
それは未来の
世界的に有名な宝飾の場としての
広場の運命を彷彿させる
エピソードともいえます。
19世紀のパリオペラ劇場の建設と
ラ・ペ通りに至近
というロケーションから、
ヴァンドーム広場の魅力は
確かなものになりました。
フレデリック・ブシュロンは
広場に店を構えた一番最初の宝石商で、
それに続きカルティエ、
ヴァンクリーフ、ブルガリ、
ディオール、フレッド、
ピアジェ、ポワレ、
メレリオ・ディ・メレーなど
宝石の有名ブランドが軒を並べました。