
娘ファミリーへ❤️命のバトン❤️モーツァルトのクラリネット五重奏曲
。。。。。。



。。。。。
おかげさまで
有り難いことに


今週の木曜日から
娘は、妊娠4カ月に入ります




本当に本当に

有り難い限りです




昔々、、、
私の誕生を祝って
両親が贈ってくれた(レコードを
かけてくれました)音楽、
モーツァルトの
クラリネット五重奏曲


娘ファミリーにバトンしたいと
思います。。。。
クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581Quintet (Stadler-Quintet) in A for clarinet, 2 violins, viola, violoncello
〔作曲〕 1789年9月29日、ウィーン |
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フリーメーソンの盟友アントン・シュタドラー(36歳)のバセット・クラリネットを想定して書かれた。 彼はモーツァルトより3歳年長で、弟ヨハンとともにウィーン宮廷楽団で(アントンはクラリネットの第2奏者、ヨハンは第1奏者として)活躍していた。 アントンは特に低音域の演奏に優れ、当時の楽器製造家ロッツが作ったバス・クラリネット(通常のA管よりも3度低い音まで出せる)を愛用していた。 
しかしこのクラリネットはアントンのような達人にしか扱うことができなかったせいか、普及しなかった。 したがって、通常のA管で演奏できるように手直しされたものが、1802年オッフェンバッハのヨハン・アンドレ社から出版された。 なお、そのバス・クラリネットは現在バセット・クラリネット(クラトハヴィールによる命名)と呼ばれ、当然のことながらモーツァルト時代の名称ではない。 現在のバス・クラリネットとは別物である。
自筆譜はなく、2次資料のみ残っているため、不明な点が多い。 この曲の復元だけでなく、楽器バセット・クラリネットそのものの復元にも問題は多い。 ただし1992年に一大発見があり、この特殊な楽器の形がわかったのである。 アメリカの音楽学者ポーリンがリガのラトヴィア・アカデミア・ライブラリーから見つけたもので、モーツァルトの死後1794年5月5日の演奏会予告に描かれた特徴的な楽器のイラストであるが、このときの演奏者がシュタドラーであり、曲はモーツァルトのクラリネット協奏曲(K.622)などであった。 これを見ると、楽器の先端にテオドール・ロッツが考案した思われる装置が取り付けられている。 そしてまた、この楽器が普及しなかった理由も見えてくる。 この特殊な部品付きのクラリネットはやはりアントン・シュタドラーの専売特許で、当時の聴衆もそのように見ていたに違いない。 このほかにもバセット・クラリネットの復元製作はいろいろと試みられ、また演奏に使用されている。 たとえば、ハッカーの演奏
モーツァルト自身が「シュタドラー五重奏曲 Stadler's Quintett」(1790年4月8日の手紙の中で)と呼んだこの五重奏曲の自筆譜だけでなく、シュタドラーはほかにも多くの作品(その中には今日われわれが知らない曲もあったらしい)のオリジナルをなくしてしまったという。 当時の花形クラリネット奏者シュタドラーの名人芸を売り物に、新たな音楽の領域に食指を伸ばそうとしたモーツァルトの創作意欲がマッチして、いくつもの実験的作品が生まれ、そしてその中のいくつかが失われ、いくつかが傑作として残ったものと思われる。 1787年頃シュタドラーの年俸は350グルテンだったが、借金も多く、彼はモーツァルトにも度々金を借りていたほどであった。 シュタドラーは借金の返済に用立てるために、それらのオリジナルを手放したのかもしれない。 ちなみにモーツァルトの年俸は800グルデンである。
初演は1789年12月22日、ウィーン・ブルク劇場でシュタドラーによって演奏された。
本日1789年12月22日、火曜日、帝室王室国民宮廷劇場で、設立された音楽芸術家協会により未亡人、遺児達のために大演奏会が開かれる。 マインツの選帝侯閣下の宮廷楽長ヴィンツェンツ・リギーニのカンタータ『アポロンの生誕祭』が歌われる。ツィストラー(Joseph Zistler, 1744頃-94)はヴァイオリン奏者。
(中略)
カンタータの中間でモーツァルト氏の五重奏曲が演奏される。 主声部を演奏するのは帝室王室音楽家シュタードラー氏とクラザールコヴィッツ侯に仕えるツィストラー氏。[ドイッチュ&アイブル] p.230
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あす金曜日、ハーディク伯爵が、シュタードラーの『五重奏曲』とあなたのために私が書いた『三重奏曲』を聴かせてほしいと招いています。 そこでたいへん勝手ですが、あなたを御招待したいのです。 ヘーリングが弾きます。1789年のモーツァルトの収入はソロモンによると、年俸のほか楽譜出版などで1483グルデンあり、その他推測される収入を含めるとさらに700グルデン近く上積みされるという。 しかし1787年までは約3000グルデンの年収があったのが、1788年からほぼ半額に激減したのである。 それでも自分の音楽の才能に絶対の自信をもつモーツァルトには慎ましい生活など無縁であり、大きな仕事すなわちオペラの作曲(450グルデンの収入になる!)で成功を収め、常に表舞台で活躍することを求め続けていた。 収入減のほか、プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ポツダムへの旅行費用もかさんだであろうし、次女アンナ(第5子)の誕生と死亡にかかる費用、また妻コンスタンツェが病気療養にかかる費用などで、経済状態が悪化する一方だった。 フリーメーソンの盟友プフベルクに借金を申し込む手紙は前年1788年から始まり、ちょうどこの五重奏曲を書いている頃は経済的ピンチの頂点にあった。 しかしモーツァルトの場合、彼の作品は日常の喜怒哀楽を超越した別次元のものであり、この五重奏曲は、アインシュタインが「これこそはまさしく最も洗練された室内楽作品である」と高く評価しているように、モーツァルトの晩年における最高傑作の一つとなっている。 オカールも「この時期、天空に燦然と輝いている作品がある、それがこのクラリネット五重奏曲である」と絶賛している。[書簡全集 VI] p.558(原文、赤字は編者・森下による装飾) Morgen freitag hat mich Graf Hadick ihm des Stadler's Quintett und das Trio, so ich für Sie geschrieben, hören zu machen; ich bin so frei, sie dazu einzuladen, Häring wird es spielen.
これは到達であり、完成である。 もはや演説的なものの占めるどんな場所もなくなり、それでいながら、何という旋律の豊かさ!さらに言えば、モーツァルトの場合、彼の最高傑作とはもはや個人的な範疇を越えて人類にとっての至宝という意味になる。[オカール] p.159
この間、必要があって、ブラームスを少し調べていて、クラリネット五重奏曲にぶつかったのだが、そのとき、否応なしに、モーツァルトの同じ編成の室内楽の音が耳の底にひびいてきた。そのブラームスは「今日では、私たちにはもうモーツァルトのように美しくは書けない。 だがしかし、私たちにできるのは、彼が書いたのとおなじくらい純粋に書くように努めてみることだ。」と述懐している。 ピアニストのブゾーニがモーツァルトを評して次のように言ったことが思い出される。
両者の違いは、もう、どうしようもない。 ブラームスの曲の、あの晩秋の憂愁と諦念の趣きは実に感動的で、作者一代の傑作のひとつであるばかりでなく、19世紀後半の室内楽の白眉に数えられるのにふさわしい。 けれども、そのあとで、モーツァルトの五重奏曲を想うと、「神のようなモーツァルト」という言葉が、つい、口元まで出かかってしまう。 何という生き生きとした動きと深い静けささとの不思議な結びつきが、ここには、あることだろう。 動いているけれども静かであり、静穏のなかに無限の細やかな動きが展開されている。[吉田] p.173
彼は若者のように若々しく、また老人のように賢い。 決して時代おくれにならず、また決して現代的でもない。 墓に運ばれながら、つねに生き生きとしている。 これほどまでに人間的な微笑みは、いまでもなお、私たちを照らし、明るくしている。ブゾーニはまた「モーツァルトの形式感はほとんど超人間的なものである。 彼は多くを語りうるが、語りすぎることは決してない。」と言っていた。 このクラリネット五重奏曲はまさにその典型的な一例であろう。 アーベルトが「雲のない春の朝」と評した第1楽章は時おり陰りを帯びながらも、力むことなく心地よいアンサンブルになっている。
曲の頭から数えて8小節に出てきていた楽想、楽典でいうところの第1主題を一度出して、それからその第7、第8小節のパッセージを、5つの楽器で、追いかけごっこしているような具合にかかれた38小節、これだけでもう、展開はすんでしまっているのである。 あんまり、さっぱりしているので、昔から文句をつける人も、専門家のなかにいた。 だが、ためしに、では、ソナタ形式における展開に関し、至高の存在である二人の音楽家ハイドン、それからベートーヴェンの流儀に従って、展開部をかき直し、想像してみるといい(それは不可能ではないだろう)。 そうすれば、どうやってみたところで、結局、この簡単で、一見ずいぶんルーズにみえる音楽以上のものがあるわけでなし、これが動かしようのないものだとわかるはずだ。二人の作曲家の作品を比較して優劣をつけようということが目的ではないが、ブラームスが語ったように「純粋に書くように努める」と、結果はこうならざるを得ないのだろう。[吉田] p.175
(ブラームスのクラリネット五重奏曲の)その緩徐楽章の冒頭のテーマはモーツァルトへの憧れを聴かせる。 モーツァルトはどこにも現れないが、その憧れる気持ちは止まらない。 それは今や古典的な理想像となったものを、騒ぎ立つロマン派の心が追い求める姿である。 ブラームスの主題はモーツァルトのクラリネット五重奏曲の最初の3つの音を借用し、その主題をブロックし、その継続を断ち、休みすら与えない。 そして最後にブラームスは、われわれはモーツァルトには到達できない、できることはただ彼に近づきたいと願うことだけだと悟る。モーツァルトの五重奏曲のつづく第2楽章以下について、アインシュタインは次のように評している。
その主題はモーツァルトが書いたようにつながっていくよりほかに手はないのである。[ソロモン] p.589
ラルゲットは第1楽章の第2主題のカンタービレ的性格を取り上げ、これを精一杯に開花させてゆく。 メヌエットは弦楽四重奏だけのための短調の第1トリオを持ち、第2トリオのレントラーではクラリネットが、南ベイエルンその他のアルプスに近い地方で今日まで変らずに残っているひなびた楽器に変わる。 フィナーレは変奏曲を持つアレグレットで、その多様な変化と成熟にもかかわらず短くて面白く、厳粛で愛らしい。
30数分の演奏は「きいていて、どこをとっても、ごく当り前の自然なことがくりひろげられるという印象を与える」(吉田)にもかかわらず、「それでいながら、何という旋律の豊かさ!」と感嘆せざるを得ない、不思議な音楽である。
フィナーレの草稿とみなされていた断片がある、「クラリネット五重奏曲のためのロンド楽章イ長調」(K.Anh.88 / 581a)である。

