アロマ検定備忘録m(_ _)m
今日のアロマ検定、
①紀元前と紀元後
●紀元前 古代ギリシャ
ヒポクラテス 医学の父
テオフラストス「植物誌」
アレキサンダー大王
●紀元後 古代ローマ
プリニウス「博物誌」
ディオスコリデス
ガレノス、コールドクリーム、
備忘録です







歴史
①紀元前と紀元後
●紀元前 古代ギリシャ
ヒポクラテス 医学の父
テオフラストス「植物誌」
アレキサンダー大王
●紀元後 古代ローマ
プリニウス「博物誌」
ディオスコリデス
「マテリア・メディカ」
ガレノス、コールドクリーム、
動物解剖
②10世紀 アラビアの哲学者でもあり医学者でもあった、イブン・シーナは
精油蒸留法を確立して、「医学典範(カノン)」を書いた
イブン・シーナは、
②10世紀 アラビアの哲学者でもあり医学者でもあった、イブン・シーナは
精油蒸留法を確立して、「医学典範(カノン)」を書いた
イブン・シーナは、
大変な天才で、
少年時にアリストテレス哲学や、
ヒポクラテスの医学、
コーランを修得し
多くの学問のエッセンスを
書物にまとめた。
③16世紀、イギリスに3人のハーバリストが現れた
ジョン・ジェラード
③16世紀、イギリスに3人のハーバリストが現れた
ジョン・ジェラード
ジョン・パーキンソン
ニコラス・カルペパー
●ジョン・ジェラード
●ジョン・ジェラード
「本草あるいは一般の植物誌」
●ジョン・パーキンソンは、
●ジョン・パーキンソンは、
チャールズⅠ世に仕えて
「広範囲の本草学書」を書いた。
●ニコラス・カルペパーは、
●ニコラス・カルペパーは、
医者批判をして、
「the English Physicians」を書いた。
④17世紀にイタリア人のフェミニスは、外国で成功しようと考えて、
④17世紀にイタリア人のフェミニスは、外国で成功しようと考えて、
ドイツのケルンに移住し、
「オーアドミラブル=すばらしい水」
を売り、大成功をおさめた。
一般的に、発売地の名前から「 ケルンの水」と呼ばれている。
一般的に、発売地の名前から「 ケルンの水」と呼ばれている。
「ケルンの水」は「最古の香水」
であり、
登録商標の「オーデコロン」は
馴染み深い単語であり、
医薬品(胃薬)でもあった。
⑤20世紀に、
⑤20世紀に、
アロマテラピーが誕生した。
現代のアロマテラピーの
現代のアロマテラピーの
基礎を作ったのは
三人のフランス人である。
●フランスの化学者
●フランスの化学者
ルネ・モーリス・ガットフォセは
自身が火傷した傷の治療に
ラベンダー精油使用して
効果があったことから
野戦病院での負傷者の治療に
精油を使って目覚ましい効果を
あげた。
精油を治療に使うと、
精油を治療に使うと、
傷の壊疽が起こりにくくなり、
傷が早く治るだけでなく
傷の痛みや熱が早くなくなり、
精油の持つ精神的な作用のおかげで、
病人は生きる意欲を得て、
早く回復した。ガットフォセは、自身の経験をまとめて「aromathérapie」という本を書いた。
アロマテラピーという言葉は、
アロマテラピーという言葉は、
ガットフォセが造語した単語。
●軍医のジャン・パルネは、
第二次世界大戦、
●軍医のジャン・パルネは、
第二次世界大戦、
インドシナ戦争に従軍し、
戦場での抗生物質の大量の使用が
戦場での抗生物質の大量の使用が
果たして効果的なのか疑問を抱いた。
彼はガットフォセの本を読んだ上で
彼はガットフォセの本を読んだ上で
精油から作った薬剤で、
兵士たちを治療して
めざましい効果をあげた。
ジャン・パルネは、その経験を「AROMATHERAPIE」に書いている。
フランスで、
フランスで、
精油を薬として扱う歴史は、
ジャン・パルネから
本格的に始まった。
●生化学者の
●生化学者の
マルグリット・モーリーは、
ジャン・パルネの弟子であった。
師のジャン・パルネとは
師のジャン・パルネとは
別の道を歩み、
インド、中国、チベットの伝統医学を
研究した。
そして精油を植物油で
そして精油を植物油で
希釈したトリートメントオイルで
マッサージする方法を発表して、
「ル・キャピタル・ジュネス
「ル・キャピタル・ジュネス
最も大切なもの…若さ」を書いた。
この本は、
この本は、
フランスよりも
翻訳されて発売されたイギリスで
好評を博した。
シデスコ賞を受賞して、
シデスコ賞を受賞して、
イギリスのアロマテラピーに
多大な影響を与えた。
現在の、日本ではイギリス的な、
現在の、日本ではイギリス的な、
精油を植物油で希釈した
トリートメントオイルで
マッサージするアロマテラピーが
さかんである。
その源流はマルグリット・モーリーから
始まった。
