チャイコフスキー『イオランタ』とバルトーク『青ひげ公の城』1 | アルページュの日記

チャイコフスキー『イオランタ』とバルトーク『青ひげ公の城』1

昨夜、娘と

METライブビューイング

チャイコフスキー『イオランタ』

バルトーク『青ひげ公の城』

を観ました。


モーツァルトとバロックしか

普段

聴かない、、、

(聴きたくない?)私達には

イオランタはともかく

青ひげ公の城は、、、、

難解過ぎました。。。


でも、こんなふうに

書いている方もおられ

驚愕。。。

人間の幅を広げよう、、、と

感じ入り、

精進あるのみ、、、ですm(_ _)m



小田島久恵さんのブログから。。。


METライブビューイング最新映像は、
チャイコフスキー『イオランタ』
とバルトーク『青ひげ公の城』。

ネトレプコの『イオランタ』が

素晴らしいらしい、ということは、

過去にヴィラゾンと共演した

演奏会形式の上演や


バーデン・バーデンの

プロダクション

(2009年・今回のMETと同じ演出)

など噂では聞いていたが

目が見えず、

周囲がそのことを悟らせまいとして

城の中で密やかに暮らしている姫、

という神秘的な役どころは

METの舞台でも映えていた。


出産後、

ダイエットなど

しようなどとは思っていない様子の

ネトレプコだが


白い就寝用のドレスを着た彼女は、

本当に15歳か16歳の少女に見える。


映像や装置、小道具には

小鹿がシンボリックに使われ、

迷子になり、捕らわれ、

吊るされて剥製にされる小鹿は、


保護の名のもとに軟禁されている

イオランタそのものに見えた。

「エフゲニー・オネーギン」と同様、

オペラは

女たちの密やかなやり取りから

始まる。


イオランタの目が見えない、

ということを、

聴き手は

彼女と乳母とのやり取りで

知るのだが


「目はなんのためにあるのか。

それは涙を流すため」

という詩の哀しさに、

胸を打たれる。


トレリンスキの演出では、

乳母はよそよそしく、

床に寝そべっているイオランタを

忌まわしいものを見るように睨み


「皆さん、

どうしてわたしにそんなに親切なの?」

と健気に感謝する姫に対して


二人の小間使いたちも

鼻で笑うような態度を取る

(アンタがお姫様で、

私たちは使用人だからよ!)


こあたりの胸にチクチクくる辛辣さ、

演出家のうまさを感じた。

ところで、

ネトレプコに

厳しいオペラファンが指摘するように

彼女には中音域に

音程の危ういところがあって


「イオランタ」でも

不安定な箇所があったが、

ある音域が苦手というよりも、


ひとつのフレージングの中で、

すごく無防備に感じられる音がある。


これが、

不安とともに生きる

イオランタの役では

逆に大きな魅力になっていた。


彼女くらいのレベルになると、

音程の甘さもまた

「味」になるのかも知れない。


ネトレプコらしい

イオランタの個性となっていた。

指揮は

「METに多くの

ロシア・オペラのレパートリーを

もたらした」

ゲルギエフ。


ネトレプコを育て、

世に出したのもゲルギエフだが、

この晩は

素晴らしいゲルギエフの歌手達が

脇を固めていた。


マリインスキー歌劇場の歌い手は、

とにかく声量が素晴らしく、

演劇的で内容のある表現をする。


重要なパートであるイオランタの父、

プロヴァンス領主レネ王を

バス歌手のイリヤ・バーニクが


カリスマ的な低音で歌い上げた。


長身痩躯で、

マリインスキーでは

膨大なレパートリーを持つ歌手

(ワーグナーも歌う)。


イオランタの婚約者

ブルゴーニュ公ロベルトを歌った

アレクセイ・マルコフは、

バーデンバーデンでも

大喝采を浴びていたが、


ロシアの劇場の歌手の性なのか、

脇役なのに自分の出番では

すごい力を出し切るので、


イオランタと恋に落ちる

ヴォデモン(ピョートル・ベチャワ)が

食われてしまうのではないかと

少し心配になったほどだった。