うちの爺さんが喫茶店好きで

私が子供の頃それもうーんと小さな頃

爺さんと出かけて二人で喫茶店に入った

多分私の記憶に残る喫茶店デビューはその時だと思う


向かい合わせに座った二人に運ばれてきたのは珈琲

クリームソーダーでもミックスジュースでもない

一口飲んでみるととてつもなく苦かった


ただ苦いだけの飲み物


その事だけを鮮明に覚えている


爺さんの影響で我が家はよく喫茶店に行った

家族で買い物に行くと

『おい!珈琲飲もか』と喫茶店へ

洋菓子のコトブキとかに行っても

他のテーブルに運ばれていく
美味しいそうなフルーツアラモードを横目に

珈琲

甘いものを食べる習慣が全くなかった

そんな訳で

中学生の頃には珈琲をよく飲んでいたし

高校生になると一人で喫茶店でお茶をしていた

土曜日のクラブ活動のお昼は学食が休みで

友達はお弁当かパンだけれど


私は制服を着たまま学校の隣の喫茶店で昼食

焼きそば定食やら日替わりや焼肉定食を

大人に混じって黙々と食べ

食べ終わると満足してクラブに行くのだ


『いつも来てくれてありがとー♪』と
お店のママから言われた事があるが

『はぁ~』と愛想のない返事をする位で

お店の人と仲よくなる事はなかった

あくまでも食べ物&コーヒーと居心地を求めていた


可愛いお店を見つけては立ち寄ってお茶をする

その時どのように過ごしていたのかさっぱり覚えいてないが

きっとぼんやりと雑誌でも眺めていたんだろう

友達とはよく南のアメリカ村でショッピングをした

その時も、今でいう洒落たカフェでランチやお茶をしていた

ちょっと背伸びた高校生を気取っていたのかもしれない


喫茶店好きが高じて

アルバイトで喫茶店で働いた事もあり

お店を一人で任される事もしばしば


喫茶店で過ごす時間は私の生活に一部なっていた


京都のアップルパイのオーナー先生をテレビで拝見した時

好きな事で身を立ててみたいと猛烈に思ったのだ

先生は48才で専業主婦

10代の頃に諦めた海外で学びたかったという夢を

離婚を機にそこからスタートし

アメリカに留学されて

お菓子と出会い

オーナーシェフ、先生となられたわけだ


それまで私はほとんどケーキを焼く事とは縁がなく

お菓子作りを習うのも初めて

先生はとても厳しく月一回のお稽古も

怒られてばかり

それでも今まで買うのが当たり前だったお菓子を作れる喜びがあり

欠かさず通っては自宅でおさらいして焼く

というのを繰り返した


作っては友人、知人に試食してもらい

感想を聞く

アメリカンスイーツのカフェを開業したい


でも実際開店となるとハードルは棒高跳びくらい高い

怖いくって踏ん切りがつかない


職場の他店舗のスタッフで

お砂糖を使わないスイーツを武器に

南の堀江のビジネス街に

センスの良いカフェをオープンしたけれど

家賃20万円に対しランチが500円

アルバイトも雇わず彼と二人で切り盛りするカフェは

いったい毎日どれくらい売上を上げると採算がとれるのか

カフェ激戦区の上、コンビニ弁当や路地弁当に押され

500円のランチでも客足は伸びず

おまけにランチの後に珈琲を飲む人はおらず

会社の就業時間が過ぎれば繁華街へと人は流れていく

あっという間に閉店となった

残るは借金だけ

いくら小さなお店でも行き当たりばったりでは潰れる

事業計画書は作らないと

考えているうちにすっかり意気消沈


有り難いサラリーマン生活を生業にしている現在

でもどこかで諦めていない部分もある

長寿社会のおひとり様が多くなる

そんな方がおうちのように寛げる空間

家庭的なお料理とブランチになりそうなお菓子

いつかきっと

一人になったらとか

だからコツコツとお菓子を作っているのだと思う


勿論

家族が喜ぶ顔が見れるのが一番嬉しいので

お菓子を作っているのだけれどてへ






 
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