婆さんの施設での様子を写真に撮ってラインで妹に送信している


海外の暮らしの長い妹には

昨今の介護社会の知識はないので


昭和の時代の暗いイメージしかないと

心配すると思っての事である


昨日はおやつを食べている様子と

息子と二人で中庭でタバコを吸っている様子を送信した

いい感じで寛いでいる婆さんを撮ったつもりでいたのだが


妹から返事は

婆さんの様子を見ると泣けてくると涙


可哀想で、切ない気持ちで涙が出るという涙


私としては散々問題を起こし

いわゆる毒親だった婆さんが見捨てられる事もなく

嫌々ながらもホームに入ったとしても

誰かれなく世話をしてくれ

快適になるよう心を尽くしてくれる事が

なんて幸せな人であろうと思っているのに

と返事すると



そう!それ!と


幸せを感じる目も耳も肌も全く婆さんは持ち合わせてない


全くもって婆さんが願う人生になっていないのは


その目も耳も肌も持っていなかったから起きてる事で

それに未だに本人は気づいていない事が

あまりにも哀れで切ないという


うまい事言うね~らぶ②

深い~~レバーがあれば勢いよく押したいところでしたわえ゛!


息子も施設から帰る道中に可哀想やなと呟いていた


確かに婆さんが望む老後にはなっていない

それは認めよう


私がうーんと若い頃には

婆さんは私の若さとエネルギーに嫉妬し

私が次々と見つけてくる楽しい事を尽く潰そうとしたガーン


今私がこんなに不幸なのにあんただけ楽しんでどういこと?

家族なのに一人良い目をしてるとコラ

そういわれるとそうかなと若い私に深く考える力はなく

楽しみに蓋をしたり

目を閉じて行き過ぎたり

気付かないフリをしたりして

幸せを掻き分けて生きていました

私が自分の幸せを通り過ぎるだけではなく

時には


爺さん二人で夫婦旅行をプレゼントしたり

食事に行ったり洋服や靴をプレゼントしたり

私がもし子供にそういう事をしてもらえたら

大喜びするであろう事の大体はやってみました

けれど、これが喜ばないんだな


爺さんとの旅行をプレゼントした時には

「お父さんと旅行して何が面白いんムカムカ
「面白いことなんかあるかいな」といってました


人にしてあげられる事で唯一叶えられないのは

人の気持ちをどうにかすること

特に喜び、楽しみ、幸せは物理的な形は与えれれても

それを感じる気持ち、心だけはどうにもしてあげられない

それは、本人が生み出すもの


幸せを感じる五感はどのような状況でも

その人次第で生まれるのだ


何をもって幸せというかはその人によるだろう

たとえば

ブランド物に身を包み高級レストランで食事をして何不自由のない暮らしを

幸せと感じる人もいれば


我が家のように慎ましやかな食卓を笑顔で囲む

ザッ!庶民の夕飯の一時や

お金はないけどそれなりに暮らしていけて

娘ちゃんも息子達も好きな事ができている


幸せだなぁ~~と感じる幸せの


色や形や重さに等級があるだろうか?


百々のつまり幸せの形はその人次第なのだ



よく夢は諦めなければずっと持ち続けていける

といいますが


幸せだってきっと同じようなものです


幸せを感じるアンテナがあるかないか

うちの婆さんは

そのアンテナが長い事故障中です



おっさんになりつつあるあんさんの


晩酌の一時




これに牡蠣と海老がたっぷり入ったキムチ鍋ハート

 
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