世の中、闘病中の人はたくさんいる。中

でも癌は2人に1人がかかるため、家族、親

戚、友人、知り合いと日常的に話題にも上

がる。ただやはり間接的な問題として捉え

ている時と当事者として向き合う場合とで

は大きく異なると思う。

 

 勤務する会社で癌のため余命宣告を受け

た人の話は以前も書いた。奇跡を祈ったも

ののそんな神がかった話はやはり幻でしか

なく、病と言う現実は着実に彼の体をむし

ばんだ。

 

 退職に向けた手続きで本人とのやり取り

が続く。本人の体調への配慮や声掛けひと

つ、とても気を遣う。どんな言葉も慰めで

しかなく、過剰に同情し続けるのも返って

本人は気分を害するのではと不安に感じる。

 

 細かい性質の人でこの期に及んだからこ

そだろうが、規定など隅々まで読み、自分

の貢献に対する退職金の上乗せはないのか

と申し出て来た。規定には「多大なる功績

を残した社員に会社側が申し出る」ことも

あると記載がある。それこそノーベル賞は

大げさだけど、業界で名だたる発明とか、

そういうレベルだろうか。

 

 追加でもらえるものはもらいたいのが心

理かもしれないが、死期がその人をそうさ

せるのか、その欲深さに目をつぶりたくな

った。間際に見せるのがその人の本質か、

あるいは病や薬がそうさせるのか。当事者

ももう自分がわからなくなるせん妄という

状態があると解説にある。気持ちを受け止

めてあげる。それが最大限の誠意か、悩み

ながらの日々が続く。