――さて、じゃあ最後の論点にいくとするか。

 

③「愛着」をうまく築けなかった母に育てられた人間が「被害者ヅラ」をする余地を与えはしないか?

 

 まぁ、僕としては実はここに一番重点があるんだけどさ。

 

――前フリが長すぎなんだよ。

 

――失敬。さて、ここからは具体例で考えてみようか。

 ここから出てくるのは、30代女性のTさんと、同い年のその旦那だ。そして、その旦那が「毒親」育ちだとされている。

 

――ん? どくおやってのは何なんだ?

 

――それはまぁ、岡田氏の著作のことばを借りると、子どもとの「愛着」をうまく作れていない親だということになる。無関心、ネグレクトとか虐待をするとか、すぐ怒るとか、逆に何もかも先回りしてやってしまうという場合でも、子どもとの「愛着」は不安定になるらしい。そういう人間は子どもに「害悪」しか与えてないから、「毒」をまき散らしているっていう解釈だろう。

 

――あぁ、なるほどね。無関心すぎてもダメだし、過保護すぎてもダメってことか。それもなんとなく想像はつくけどな。で、その旦那の親ってのはどういうタイプなんだよ?

 

――それはちょっと特殊な事例らしいんだが、両親ともに「毒親」らしいんだ。

 

 まず、父親がものすごく厳格だ。そして、純然たる「男尊女卑」の観念をかかえてて、「妻は旦那のいわば奴隷として奉仕すべきだ」というぐらいの凝り固まった思考をしてる感じがある。だから、息子にもそういう妻をめとらせようとしてる。

 母親は超過保護で、息子の何から何まで世話をしようとしている。ひな祭りには、いまだに幼い頃のわが子が作った粘土細工が飾られるらしい。

 

――キショっ!

 

――まぁ、キショいわな。そして、この両親に共通しているのは、「子どもはいつまで経っても、親を一番に考えて生きるべきだ」という思考だよ。だから、嫁をもらったとしても、その嫁も当然義理の両親を敬って、奴隷のように奉仕すべきだと思っている。この親たちが息子の嫁の条件として挙げてるのは、

 

 〇男兄弟がいること――嫁の親の介護を息子が負担しなくてよいため

 〇公務員であること(できれば両親も)――安定がいちばん

 〇同市内か県庁所在地に住んでいること――近くにいてほしい

 〇4大卒以上(できれば両親も)――学歴で人柄が決まるという思い込み

 〇両親も健康であること――とにかく息子に何ひとつ負担させたくない

 

 というようなもんだ。さて、こういう要求に正当性はあると思うかい?

 

――いや、あるわけねぇわ笑。エグみがすごすぎて、吐き気がしてくるぜ。

 

――いや、この両親はまだまだこんなもんじゃないんだけどね。

 

 Tさんはこの旦那の両親がそういう条件をつけて結婚に反対しているという事実を聞き、多少の違和感は覚えていた。ただ、この旦那も最初はまともな雰囲気を出していたため、付き合いを続け、結婚に向かっていた。そのときに発覚したのが、この旦那の借金だ。しかもそれはどうやら両親に充てての仕送りや、謎の積み立てによってこしらえたものだったらしい。でも、その現状を打開する秘策として、Tさんは自分の会社で旦那を働かせるという案を思いついた。同じ職業だったので、可能だったのだ。しかし、それに反対したのはやっぱり両親だった。 

「両親が結婚に反対しているから、自分の地元に来るか、別れるか選んでほしい」と言われたTさんは、不条理だと思いながらも、別れを選んだ。

 しかし、天はそれを許さなかったのだ。なんと、Tさんのお腹には、そいつの子どもが宿っていたのである。

 

――おい、なんか小説口調になってないか?簡潔にやってくれよ。

 

――ちょっとぐらい遊んだっていいじゃんか。

 

 自分が妊娠しているという事実を伝えたとき、そいつはすぐに「結婚します」と答えた。そして、入籍する運びになった。

 旦那の実家に挨拶に行ったとき、Tさんは初めてその両親と会った。そのときに、旦那が父親の前で正座をし始めたのを見て、Tさんは少し異常なんじゃないかと感じていた(例の粘土細工を見たのはそのときだ)。義父は「仲良くやっていきなさい」と言い、一度は結婚を認めたかのように思えた。

 しかし、やはり運命というものは人を打擲してやまないのだ。彼女の非運は、そこから始まった。

 

――うるせぇってば笑。

 

――旦那が、「Tはこのホールディングスに騙されている!」と言ってきたのは、突然のことだった。彼は、父から得た悪知恵を総動員して、あの手この手でTさんをマインドコントロールしにかかった。彼自身もマインドコントロールされ、その事実を信じていたようだ。Tさんも一時はその言にダマされ、会社をやめかけたが、何とか正気に戻って、思い直した。しかし、旦那の方はTさんの会社で働く約束を破棄し、元いた会社P(旦那の実家近く)に戻った。すべては、旦那が妻の会社で働いているという事実に屈辱を感じていた両親が仕組んだことだったのだ。

 「このままじゃ、子どもが無事に生まれてくるのかもわからない」とラインで訴えたTさんに、旦那は翌日会いに来て、おもむろに「損害」と書かれた紙を取り出し、読み上げ始めた。その中には、「式場キャンセル料―30万円」だとか、「結婚指輪―30万円」だとかいう文字が躍っていた。もうすでに、旦那と両親は、いかに自分たちが有利な条件で離婚するかを考えていたのだろう。Tさんはそのとき、旦那との結婚を心から後悔したという。

 そしてTさんは、切迫流産という診断を下され、入院することになる。折悪く、自分の会社をクーデターで乗っ取られるかもしれないという事実にも直面し、彼女は意を決して旦那に連絡する。会社にやって来た旦那に、彼女は涙ながらに訴えた。

「このままでは、お腹の子供が守れません。来年4月まで会社をつないでください。そのあとは離婚でかまいません。」 

 おぉ、なんたる切実な願いであることか!神よ、彼女の魂を救いたまえ!

 

――………。 

 

――Tさんは改心した旦那と二人で会社Pに赴き、「自分の会社に借金があるから、退職させてほしい」というウソを言わされる羽目になったが、それでどうにか旦那を再び辞めさせることに成功した。それから、ようやく二人の穏やかな日々が訪れたかのように見えた。しかし、あの毒両親が、そんなことをおとなしく許すはずもない。

 ここからは、Tさんが出産後に知った話である。

 

 初勤務の日の前日の夜、旦那はTさんの実家に赴き、両親にこう告げた。

 「Tの会社で働くことを両親にひと月だまっていて、昨日親に言ったら激怒して、収拾がつきません。今から一緒に説明しに来てください」

 T母はおそるおそる旦那と実家に向かうことになった。そこで義父が発したひとことが、

 「なんでオマエが嫁の会社で働かないといけないんだ!!

 義母も付け加えて、「明日から毎日、仕事のジャマしに行くから!」

 T母は二人の迫力に負けて、何も言えなかったという。それから旦那はT母を送り届け、再び実家に帰った。その日の深夜、旦那は家出同然で、実家を飛び出して来たのである。

 

――ほへー、おっそろしいなぁ…。現実離れしすぎてて、なかなか想像できねぇが。で、まさかその義母がホントに職場まで来たとか言い出すんじゃねぇよな?

 

――それが、来たんだよ。仁王立ちで外からずーっと睨んでたんだってさ。もはやホラーの領域だけどね。

 

――コワすぎるわ!

 

――そして、ついに痺れを切らした義理の両親が、T家に押しかけてくることになる。

 

 「うちの家をバカにしてるのかー!!」という義父の恫喝から始まった両親の顔合わせは、文字通り、地獄の様相を呈した。

 とにかく彼らにとっては、息子が嫁の会社で働くことなど、絶対に許せるものではなかったのだ。「お金が足りなければ嫁が預金を出せばいい」だとか、「息子はこっちで働いているのに、娘さんは何も変わっていない」(切迫早産で入院中だが)、あげくには、「息子っていったら、いっっっちばん大切な人でしょ。大切な人になんてことするの!」などと言いだした。そして、「息子は、家でこのようにしようと決めていたのにお宅の娘さんと話をするとコローッと変わった」と。

 後日、その息子(旦那)にT母が聞くと、どうやらそのとき旦那の家では、弁護士をどうしようか考えていたという。すでに離婚に向けて勝手に話を進めていたようだ。しかも、「うちの親はよそより愛情が深いんで」ということまでほざいてたらしい。(それが「愛情」でも何でもないってことはもうわかるだろう)

 僕からしたら、そういう話を奥さんの母親に快活に話す時点で、頭がイカれてるとしか思えないんだけどね。

 

――うん、マジでそうだな。相当ヤベーぞ、こいつ。

 

――しかし、Tさんはそんな事実を知る由もない。見かけ上は穏やかな入院生活を送っていた。旦那とのこの時期のラインのやり取りも、平和なものだった。しかし、事はそう易々とは進まない。突然ラインの返信が来なくなったのだ。

 

――おぉ、なんでだ?まさか、また両親の仕業か?

 

――このへんの消息は、Tさんにもわからないらしい。そして、連絡が取れないまま、退院予定日を迎えたが、突然「パン、パン」という音がした。破水したのだ。夜12時ごろのことだ。何度電話しても旦那にはつながらない。翌朝、T母とは連絡が取れ、病院に来てもらえた。しかし、旦那とは連絡がつかないままだ。7時半ごろ、元気な男の子が産まれた。「立ち会う」という約束を交わしていたらしい旦那は、ついぞ現れなかったのだ。

 

――なんなんだ、そいつは。クズなのか?

 

――いや、実はこいつは「カス」って呼ばれてるヤツなんだ。「気前のよさ」を考察した記事でも登場したあの「カス」だよ。

 

――あぁ、人によって金の使い方を変えるっていうあのカスか。なるほど納得だ。

 

――じゃあ、こっからは満を持してカスって呼ばせてもらうことにしよう。

 

 カスは、9時ごろにようやく病室にやって来た。そして、すごく迷惑そうに、「お疲れさん」と発し、赤ちゃんを抱っこしたときにも、「この臭い何ですか?」ととても不快そうに言ったらしい。総じて、まったくうれしそうではなく、迷惑そうな様子を見せていたとのことだ。

 その後お見舞いに来たときには、このカスはTさんを怒鳴りつけてきた。「オマエ、何なんだよ!車の名義変更が個人から会社になってなかったぞ。俺はもう、取締役を降りる」(これはのちにウソだと判明する。)退院の日も立ち会うと言っていたこのカスは来なかった。

 退院後もこのカスが会いに来ることはなかった。ようやく来たのは、出産後10日ほど経ってからだ。出生届を出し、赤ちゃんのオムツをうれしそうに替えていたらしいが、その後肝心な話をしようとすると、「腹の調子が悪い」と言い、逃げるように帰って行った。

 その後、Tさんは「産後うつ」と診断されることになる。そして、相変わらず連絡の取れなかったカスにその事実を伝えると、「俺のせいかよ」と怒鳴られてしまった。

 

――おめぇのせいだろ!なんなんだこのカスは!!

 

――お、ついに感情移入してきたな。でももうちょっと客観的に見てほしいところのものだよ。

 

 その後、会社まで赤ちゃんを連れていくと、カスは愛想よく対応する日もあったが、逃げるようにコソコソ隠れるときもあった。そして、最後に会った日には、目がイッてしまっていた。「子どものお宮参りどうするの?」と聞いたとき、「子どもを人質に取るのかよ、アハハハハ~」と狂ったように笑ったらしい。そして、その翌日だった。カスから内容証明郵便が届いたのは。

 

 カスは、会社Pの退職やTの株式会社就職の際の貴殿の自己本位な言動に精神的圧迫と苦痛を感じ、婚姻関係継続は困難と考えるようになりました。

 もっとも、切迫流産の恐れがある貴殿の体調のことを慮り、カスは貴殿に対して自身の気持ちを伝えることができませんでした。そして、貴殿の出産後、カスは婚姻継続について精神的に限界を感じるようになったため、今般、貴殿と離婚することを決意されたものです。

――え、なにこれ?Tさんが送ったものじゃなくて?

 

――うん、逆だよ。カスから来たやつだよ。

 

――いや、俺からしたらTさんには一切「自己本位な言動」も何もなかったと思うんだが…。実際にないんだよな?

 

――ないと思うよ。めちゃくちゃ詳細にブログで書いてるからね。絶対ないはずだよ。

 

――あと、「会社Pの退職」ってのはたしか、カスに無理やり一緒に連れてかれて、ウソつかされたんだよな?だとしたら、これもウソ八百だな。

 

――そうだね。それで現状は離婚調停になって争ってる最中とのことだ。そして、会社の退職届も内容証明で送り付けてきて、しかもそれを自分で受け取ったらしい。

 ちなみに言っとくと、このカスが出産後会いに来れなかったのは、この毒母に見張られてたからなんじゃないかっていう事実が明らかになりつつあるよ。それで、会社を辞めるに際して、取引先の社長にあいさつに行く時にも、その毒父が車でお迎えに来ていたそうだ。

 

――ははぁー、なるほどねぇ。そりゃあもうゴリゴリの箱入り息子ってこったな笑。

 

――まぁ、そんな甘い名前で済むのかは怪しいけどさ。

 

 さてと、ここから僕が考察したいのは、この「カス自身の有責性」というものなんだけどさ。

 まぁでも一応、この両親のことも考察しとかなきゃならんかもしれない。ちなみに、この両親が「毒親」に当てはまるってのは、君にも納得できるかな?

 

――まぁ、ドロドロの毒両親だろうな笑。俺だったらこんな両親のもとじゃ生きてけねぇかもしんねぇ。

 

――まぁそうかもね。これも一応『母という病』に即して考えてみよう。まぁ、このカスの場合は「父という病」にも侵されてるって言えそうだけど。

 「愛着パターン」ってのはいくつか型があるらしいんだけど、たぶん、このカスに当てはまるのは「抵抗/両価型」ってやつなんじゃないかと思える。これは子どものときの区分けだ。

 

 感受性や応答性自体は一見豊かに備わっているのだが、過剰になったりムラがある場合だ。重いほどの愛情を示したかと思うと、急に拒否したり無関心になったりする。概して、過保護なケースで起きやすい。神経質で不安の強い母親や完璧主義な母親が、過敏になりすぎ、かかわりが行きすぎてしまう場合にも起きやすい。本人が求めていないことまでやりすぎたり、手を出しすぎたりして、過干渉になってしまう。

 これらのケースでみられやすいのは、子どもが母親に依存する一方で、思い通りにならないと強い怒りを示したり逆に拒否して母親を困らせようとすることだ。このタイプは、「抵抗/両価型」と呼ばれる。

 たぶんこの母親はスーパー過保護だったんだろうから、こういうことじゃないかな?

 

――うむ、たしかにそうなんだろうな。

 

――成人すると、このタイプは「とらわれ型」、あるいは「不安型」というタイプになるらしい。僕が思うのは、たぶんこのカスは「不安型」なんじゃないかってことだ。その特徴は以下のようなものだ。

 

・幼少期の頃の傷を受け止め、乗り越えることができず今も生々しく抱えている。

・子ども時代や養育者との関係について客観的に振り返ることが難しい。

・恨みや怒りを引きずっていて、曖昧な答えになったり、
感情的になり、不機嫌になったりする。

・養育者を求める気持ちと、憎む、拒否という気持ちが葛藤している。

・人間関係においても、相反する気持ちを抱えやすかったり、
過剰に傷つくなどの傾向があり、不安定になりがち。

(参照:https://www.smile-oyako.com/attachment-type/

 

――あーなるほど、そうかもな。

 

――さらに、父親が厳格だという点が、事態を複雑にしている。父親に隷従する母親というのは、子どもに悪影響を及ぼしがちだということだ。著作では「裕人(仮名)」って人の例を挙げて紹介されてるけど、裕人の父はとても厳格で子どもに選択の自由を与えなかったらしい。そして、母親もそれに追従して、「お父さんがああ言ってるから」ということが多かったそうだ。そして裕人は就職して、過重な仕事を断ることができなくなり、ある日抑うつ状態を伴う不安障害と診断されたようだ。

 そして、裕人が手本として生き方を学んだのは、母親の行動の仕方だったと著者は言う。

 

 裕人は、母親の生き方に疑問を感じていたにもかかわらず、結果的に、母親と同じように自分を押し殺し、相手に合わせることで波風を立てないという生き方を身に着けてしまっていた。

 知らずしらずその行動を学んでしまうという面だけでなく、母親が裕人にそうすることを望んだという面もあった。

 母親は自分がそうした生き方に甘んじただけでなく、それに逆らおうとする息子の手足までも縛ってしまったのだ。裕人は、母親を愛するがゆえに母親の望みに従った。それは自分の意に反することだったが、そうした行動を繰り返しているうちに、そのやり方でしか生きられなくなっていたのだ。

――はぁー、なるほどねぇ…。たしかに、なかなかしんどそうではあるがな…。

 

――さて、じゃあこっからが本題だよ。だとしたら、今回のカスのケースにおいても、何らかの情状酌量が認められるのか?っていうことだけどさ。

 

――うむぅーーー……。現状だと、ちょっとグレーゾーンかもなぁ…。両親の主導で行われてる部分もあるし…、まぁでも、奥さんを産後うつにまで追いやって、しかも子どもまで遺棄して、何の責任もありませんってのも許されねぇ気もするが。

 

――僕としては一発で答えを出すんだ。このTさんにやった仕打ちに対しては、このカスが全責任を負わねばならないってね。

 

――ほほう、それはまた明瞭だな。どうしてそう言える?

 

――こっからはまたアリちゃん(アリストテレス)の思想をもとにして考えたい。

 アリちゃんは、ある行為の責任を負うのに必要な条件として、随意的(ヘクーシオン)であるかどうかってことが吟味されなきゃいけないって言うんだ。まぁこれは自発的って言い換えてもいいね。そして、その逆は「不随意的」(自発的じゃない)ってことになる。

 自発的じゃない行為というのは、強要されたり、無知が原因ということになる。

 

――ほう、なるほどな。まぁでも、強要されるってのはわかるが、「無知」ってのはどうなんだろうな?そんなこと言ったら、なんでもかんでも「知りませんでした」で責任逃れできそうじゃないか?

 

――いや、そうじゃないんだな。この知ってるかどうかってのは、「もろもろの事情とか行為の対象」ということになる。つまり、ただ純粋に「カバンを運んで」って頼まれて、中身が何か知らずに善意で運んでたら、中に違法な薬物が入ってた、とか言う場合はその人の責任は問われないってこった。もちろん、中身が何かを知っていたんなら、そいつは捕まるさ。いっぽうで、「しちゃいけない」ってみんながわかってることをやってしまって、「それをやっちゃいけないなんて知らなかったんだ!」って言い逃れすることは、健常な人間なら許されないことになる。

 アリちゃんいわく、

 すべて悪しきひとは、何をなすべきか、何をなすべきでないかを識(し)らないひとなのであり、こうした過ちのゆえにひとびとは不正なひととなり、総じて悪しきひととなる。

 今回のカスは、何をなすべきかをしらず(つまりは判断できず)、なすべきでないことをやったと言えるわけだから、それは「過ち」だし、「悪しき人」という誹(そし)りを免れないということになる。つまり、「無知」だったという言い訳は通用しないってことさ。

 

――ふぅむ、なるほどねぇ。あ、でも、もう1コの可能性は残るよな?それは「強要」されたっていうことだろうけど。

 

――たしかに、そこが一番の主眼だね。今回の一連の悪質な行為は、すべて両親が仕組み、カスに強要させてやったことで、カス自身には何の責任もないんだっていう言い逃れがいちばんあり得る。でも、残念ながら今回の事例ではそれも認められないんだ。それは、Tさんの詳細なブログをひも解けば、すぐに見えてくる。(ちなみにまだ明かされてないカス自身の卑怯な行為があるみたいだから、それも含めれば完全にカス自身の有責性は証明されるだろうけどさ)

 

 このカスは、今までに幾度も、自分自身の「随意性」、つまりは「選択の自由」があったことを証明してきてるんだ。

 まず最初は、「親に結婚を反対されている」と言われて、「親から結婚相談所に入れと言われた」という場面のこと。(この時点ですでに気が違っているんだが)

 カスいわく、「自分が入会したのは親を納得させるため。お見合いを何人かすると思うけど、その場だけ。自分はTと結婚すると決めているから。」 これだけの「打算」を振りまける人間は、すでに自発性を備えていると言えると思うんだが、どうだろうか?

 

――あぁ、まちがいねぇな。つーか、実際にお見合いやったのか?イカレてやがんな。

 

――そうなんだよな。しかもいい相手がいたらあわよくば乗り換えようと思ってたフシすらあるんだよ。

 さて、次の場面は、結婚前に、Tさんの職場で働くことを親に反対されていて、そのときにカスが発したことばだ。

 「Tの地元に住んで働きたい。その方がいいのは誰がかんがえてもわかる。」

 このセリフは、みんながわかってることを自分自身もわかっている、つまりは自分に「常識」があるってことを宣言した場面だと思えるんだが、どうなんだろうか?

 

――それはそうだな。で、そのときは結局反対されたんだっけ?

 

――そう、結局両親の圧力に屈して、Tさんに別れることを選ばせたんだ。つまりは、自分に「常識」があることをわかりながら、両親の「非常識」に屈したってことだよ。しかも、こいつには外出する自由もあるし、暴力を受けてたわけでもないから、十分自発性があったはずだ。

 

――なるほど、そのへんがカスのカスたるゆえんなんだな。

 

――そうだろな。

 で、結局妊娠後は入籍を決意して、Tさんの実家にあいさつに行くわけだ。そこでこう言う。

 「今後はもうそのようなこと(両親の言い分をのんで、一方的に別れを告げたこと)は二度とありませんので」

 これはまさに「約束」をする自発性を有してたってことだ。ということは、当然その約束を果たす義務までを負うわけだよ。そうじゃないか?

 

――いや、もうそれは完全にそうだ。で、結局コイツは逃げくさったんだろ?

 

――そうだよ。そして、その後のマインドコントロール騒ぎとかを経て、Tさんが切迫流産で入院したあとに帰って来たカスが泣きながら放ったセリフが決定的だ。

 「T、ごめん。俺がここで働くから。子どもを一緒に育てたい

 これはもう完全な「自発的な宣言」だよ。これをすべてこのカスは反故にしたわけだ。これって許せることなのかな?

 

――許せるわきゃねぇわ!なんだこのカス!!死んでしまえ!!!

 

――はいはい、落ち着いて。

 それで、結局そのあとの毒両親の行動を諫めることもなく、こいつは流されて、最終的に自発的にTさんを捨て去る決断をしたわけだよ。

 つまり、この責任は全部こいつが負うべきだってのが僕の結論だね。

 

――なるほど、とてもわかりよいな。

 あー、でも、ちょっと待てよ……。このカスの両親は完全に「毒親」だと世間的にも認知されるわけだよな?とすると、このカスもある意味では「被害者」だとか言われて、「情状酌量を認めるべきではないか?」みたいな論理も出てきそうで怖いんだが……

 

――そう!そこが僕がいちばん恐れてるところなんだ。そういう場合に援用されそうなのが、この岡田氏の「母という病」という概念だよ。

 というか、そもそもこれを「」と形容してること自体がちょっと怪しいんじゃないかと僕なんかは思ってるんだ。そもそも「病気」ってのは、いつ降りかかってくるかわからないし、人間自身にはどうしようもないものだ。もしそれが避けられるものだったんならどうにか抵抗するだろうし、何よりも自発的に病気になろうなんてヤツはいないだろう。

 

――あぁ、それはそうだな。

 

――ところが、岡田氏は「母」という存在もこの「どうしようもないもの」の中に入れようとしてるわけだ。まぁそりゃ、幼い頃の関わり方ってのは子どもが避けようがないから仕方ないかもしれない。でも、成長してからはどうだろう?当然だけど、その関係を改める契機だってあるだろうし、万一虐待なんかされてたら、親から引き離す処置だって社会にはできる。自分と親との関係性は改められるんじゃないかと思うことだってあるだろうし、たぶん、このカスにしたらちょっと「勇気」を出せばどうにかなったんじゃないかと僕には思えるんだ。

 

――うーむ、そうねぇ…。それはそうかもな。

 

――でも、「病」ということばで表すことによって、まず「同情」ありきで考えましょう、ということを作者は暗に示しているような気がするんだ。

 

 まぁ一応、この著作の最後の方には、その病を抜け出すための方法もいくつか書いてはある。でも、これはその「病」の「患者」自身が自分でどうにかしましょうっていう提案だ。たとえば、「おかしいと思うことが第一歩」とかさ。でもこのカスの場合なんか、最終的にはとてもそんな自己反省の感覚なんか持てないレベルにまでいっちゃってたわけだ。ただ、そこまでいったのはやっぱりこいつ自身の「選択」によったものだと僕は思う。適度に親から距離を取ったり、自分がおかしいと思うことを言うのをためらってきたそのツケが一気に回ってきたんだ。

 

 まぁ、こいつがホントに引っ込み思案とかで、誰にも害を及ぼさないような人間だったらまだ同情の余地もあるかもしれない。でも、こいつは自分の利害を見つめて、卑怯な行動にも出る男だよ。会社で企画したゴルフを仮病でドタキャンするなんて、そんなのは随意性を持ってなきゃできないことだ。

 

――うむ、それもまた明瞭だな。でも、どうなんだろうな?このカスの場合だったら、この作者だってさすがにそんなに同情を示しはしないんじゃないか?

 

――まぁ、この事実を全部知ったらそうだろう。でも、この作者とカスが実際に面会するとしたら、Tさんとの離婚が成立して、何年か経ってようやく毒親に支配されてたと気づき、メンタルクリニックとかに行ったときだろう(実際にこの作者でなくてもよくて、こういう臨床医全般ということでいい)。

 そうすると、まずこのカスの言い分を医者は聞くね。さすがにそこではある程度の事実を言うかもしれない。でも、絶対に最後に付け加えるのは、こういうことだろう。

 

 「あのときは、両親に強要されていて、まともな判断ができてなかったんです…。今ではものすごく反省している。子どもに会いたい」

 

 それを聞いたお医者さんはまず、カスの愛着パターンの分析を始めるだろうか。そうすると、「不安型」とかいう兆候が出るだろう。そのときに、その医者のアタマに浮かぶのはたぶん、その他の「不安型」の人間のたくさんの兆候じゃないだろうか。そして、目の前のT自身と向き合うことはおろそかになって、たぶん原因をまず何よりも「両親」との関わり合いに求めるだろう。すると、このカスが幾度も示して来た卑怯な随意性なんてものは忘れ去られてしまう。挙句には、同情すら示すかもしれない。最悪の場合は、このカスになんとか子どもと面会させようと尽力するようなことすらあるかもしれない(まぁ、そこまでやるかは知らないが)。

 さて、そうなった時に、このTさんはすべてを許して、カスと子供を面会させる必要はあるだろうか?

 

――いや、ねぇだろ!!つーか、そこは調停でスパッと結論が出るんじゃねぇのか?

 

――まぁ、そうなればいいんだろうけどね。

 

 とにかく、結論としては、こんな風に「母という病」ってひとことで言っても、その中身はものすごく多様だし、何よりも目の前の人間自身と対峙することがいちばん大事なんじゃないかなって僕なんかは思うんだ。

 

――なるほどね。納得したよ。ところで、おめぇ自身はどういう愛着パターンだったんだ?

 

――知ったこっちゃない。

 

 

 

 

 はい、ということで、長々とお送りしました「母という病」シリーズ。最後は、Tさんのブログをガッツリ援用させていただきました。

 実際のブログの方がはるかにおもしろいので、皆さまぜひ読んでください。

 

https://ameblo.jp/zyyg1154/

 

 

 ちなみに俺自身は権兵衛さんほどまでこの著作に反感を覚えてるわけではなくて、勉強になった部分も多いので、ありがたく思っております。