こんにちは😊

今日は仕事がお休み。

読書の秋…ということで、家事を済ませてから本を読み耽っています。


今日は右大将道綱母の『蜻蛉日記』をご紹介します。

最近源氏物語に興味を持つようになり、その影響で、昔読んだ『蜻蛉日記』に再チャレンジしてみよう! と思い読んでいます。


右大将道綱母は平安時代のトップの政治家である藤原兼家の妻。藤原道綱は一人息子です。

美人で教養も高く、すぐれた歌人としても知られていました。

平安時代は一夫多妻の時代。兼家にも複数の女がいます。

ヤキモチ焼きでプライドが高い道綱母、兼家が来ても不満たらたら、ときにはわざと無視して門を開けないことも。


ヤキモチや不満も可愛くぶつければいいものを、兼家LOVE過ぎて、かつ自分のプライドも高すぎて、ついつい可愛くない態度をとってしまうのです。

あまつさえ夫への不満や愚痴を思いっきり日記に書いて発表しちゃう道綱母。

今で言うと、トップの政治家の妻がインスタやblogなどで旦那への不満や愚痴を公表しちゃうようなもの。

こりゃ兼家の足も遠のくわ……。


兼家の愛人である町の小路の女が子どもを出産しその後子どもが亡くなると、


「『わが思ふには、今少しうちまさりて嘆くらむ』と思ふに、今は胸ぞあきたる」


(あの女、私が悩み苦しんでいるよりも今はもっと嘆き苦しんでいるに違いないわ、ざまあ!)


なんて書いちゃう性格の悪さ😅


でも、もしも私が平安時代に生まれていたらきっと彼女と同じだったんじゃないかなと思うのです。

私もすごいヤキモチ焼きで可愛げなし。

自分の彼氏や旦那さんが他の女に興味を持ったり浮気したりするなんて、ぜーったいにイヤ!

旦那さんの車が自分のうちに近づいてきて、そのまま素通りされる悲しさ。

いつまで待っても来ない人を待ち続けるしかない心細さ。

それは、現代の私たちが想像する以上の苦しみだったのではないでしょうか。

道綱母はある意味とても正直な人だったのだと思います。


ちなみに『蜻蛉日記』を読むと、兼家なりに道綱母を愛していたことは端々に描かれています。

泊まりに来て道綱母がたらたら愚痴を言い始めると狸寝入りを決め込んだりと、なんだか憎めない男なのです。


1000年の時を経ても男女の情は変わらないんだな……とつくづく思わせてくれる、面白い日記です。