拝啓芹沢光治良様。

愛する本に出逢うことは
愛する人に出逢うことに劣らず
ドラマティックな事だと思うのです。

先生が書かれた本との邂逅は、
まさにそれでありました。

「神の微笑」「神の慈愛」「神の計画」
「人間の幸福」「人間の意志」「人間の生命」
「大自然の夢」「天の調べ」

読んでいくうちに、しだいに私は浄化され、
あふれてくる白い光にまなざしは優しく、
心は歓喜にフルエルのです。

先生がゴルバチョフ大統領と
前世で兄弟であったとか、
イエス様やお釈迦様とお話なされたり、
ルルドのお水を再現なさったりと
わくわくすることから、

神様が1987年に人類救済のために
この地上に降りられ地球上を東西に大掃除をし、
次に南北を大掃除にかかるなどと、
なんとも魅力に満ち溢れ読むものを惹きつける
不思議な力が宿った本なのですね。

二十一世紀の聖書でなるであろう、
これらの書物が一人でも多くの人々に
読んでもらえたらと思う。

「文学は物言わぬ神の意思に言葉を与える事である」

平成7年に新潮社から発行された
『芹沢光治良文学館 命ある日』には
亡くなる直前まで書かれていた遺稿が収録されてます。

90年の日経新聞にて文芸評論家の高橋英夫氏が
芹沢先生について書かれていた文である。

”僕は小説家ではない、作家だよ”
という科白が出てくるが、その「僕」は94歳。
毎年書き下ろしの長篇作品を刊行しているというのだから、
作家芹沢氏自身である。
なぜそうした科白が語られるのかーーこの問題は、
やや内容がつかみにくいこの作品の
読み取りに関係しているのだろう。
たしかに小説ふうな叙述で進められてるが、
感触の点で小説からはみ出している印象も強い。

これは小説を利用しながら小説を超え、
著者の思想・信仰・記憶・生活をまるごと表現しようとした
一種の「作品」としか呼びようがないものである。

この意味で著者は「小説家」と規定されるのを好まないのだろう。
それは同時に、読者は
この「作品」をそうした気持ちを汲んで
読んでほしいという願望でもあろう。(抜粋)




”神”シリーズの中に登場する
伊藤青年こと大徳寺昭輝氏も本を書かれている。
私が初めて手にしたのは
『花ごころ』と言う光有堂から出されていた本だ。

合掌・愛・甘露・伽羅・宇宙・みかぐら歌・・・、
など69の言葉についての教えのお話が書かれている。
彼の書と画に彩られ仄々としている。

何か気になる事があれば、
心の中で呟きながら本を、えい、やっ!と
開くと悩みの回答が得られる・・・かもしれません。
書店では扱っていなくて私は
東京のエイトスターダイヤモンドのショールームで購入しました。

あれから大分経ちますが
大徳寺氏はその後本を出版されていたのですね・・・。