ここ数年、満月の日は雲がかっていておぼろ月なことが多いと感じませんか?
はっきりとした満月を見られないのが残念ですか?
満月による心身の影響を感じる方もいらっしゃるとおもいますが
わたしもその影響を強く受けてしまう体質を持つ一人で、
満月がはっきり見える日は、身体がちょっと宙に浮いてしまいます。
意識もどこかに繋がってしまい、ぼーっと無意識になってしまいます。
そのため、満月の日は外出や運転が出来ないのです。
そして、満月と月経が重なって余計にセルフコントロールが難しくなっていて、
外界との接触を遮断するようしたほうがよいと思うので、家からずっと出ません。
以前、満月の日に一緒に散歩していた友人に「ちょっと今一瞬消えてたよね!」と大きな声に言われたので、われに返りました。
そして、理解できました。
その友人はずっと話しかけていたのにわたしの気配が途中で消えたので、わたしの方を見ると、「一瞬、居なかった」と言いました。
「靴の音が消えてた」と、言ってました。
わたしも自意識で宙に浮いてた気がしました。
そういうことかー。
一瞬、異次元の世界にトリップしていた。
トリップ中は現実世界で1秒もしないほんの一瞬程度「消える」ということが、このとき、わかったのです。
だから、わたしは満月の日は外に出られないのです。
お出かけできないから、自分で楽しくしないとね。
そんなときは気軽に旅行=意識トリップします!
目を瞑ると、たくさんの色とりどりの光の粒が見えます。
その光に注目していると弾けて無の空間に行きます。
そこには時間も空間もない。
「わたし」もない、無の世界。
おそらく、ここが無「ムー=moon」月、ムーの世界だと思います。
仏教の教えにある「無我」とはこのmoonの領域に入ることを意味しているのだと思います。
では、moonの領域=無の領域に入ると何が出来るのかということですが、
人によって様々だと思いますが、
自分の人生が一切干渉しない、まったく異次元世界のストーリーへ誘われます。
そこで自我の無い「わたし」は存在します。
自我の意識がないので、自分でストーリーをコントロールできるのではなく、ただ見せられるのです。
それを白昼夢とでもいうのかもしれませんが、白昼夢とも違った、全く見たことのない景色と恐怖のない綺麗で穏やかな世界、
ここがムーのパラレルなのです。
満月の日が曇りがかっているのは、お察しの通り、
満月は意図として隠されているのです。
この世から連れて行かれないために
2022年から縄文と平安時代が一緒に来た感覚がしました。
これまでの教育で
縄文→弥生→飛鳥→奈良→平安、、、と習ってきたと思います。
ですが、それは全然違っていて
本当は
縄文、弥生、飛鳥、奈良、平安は同じ時代にあったのです。
同じ時代にあったのに文化や生活様式が違うのは
時代が違うのではなくて、場所が違うだけだったのです。
そして、職人と商売人と法を持って東に移動してきて日本に入ってきたということ
職人と商売人と法は元々この日本にはありませんでした。男が女の国(倭国)を統治しやすいように持ち込んだのです。
縄文は全世界にあり、
弥生は農作民のシュメール人が中東から海洋ルートで流入
飛鳥は石工と鍛冶師を連れてグレートブリテンからモンゴル、高句麗経由で流入
奈良は商売人がアラビア~インド~ペルシャに集結し販路を拡大していき海と陸のシルクロードを作り流入
平安はすべての民が集うペルシャ市場がショバ争いで中国へ拡大して、中東とグレートブリテンとモンゴルとインドとペルシャが市場に溢れ、さらに溢れてもうひとつの都が必要になり、日本に都を創った。
そう考察しました。
だからBC11000年頃からAD1100年頃までは時代は一つだったのです。
ちなみに、
縄文Jormonの『J』JapanのJでミトコンドリアの形、女性から受け継ぐ遺伝子、母系社会
弥生Yayoiの『Y』YahwehのYでY染色体のこと、男性から男性にしか受け継がれないYAP遺伝子、父権性を創った
と、説きました。
ちなみに、
Yの形は牡牛でJの形を蛇としてみることもできます。
こうしてみると、牡牛(エンリル)VS 龍蛇(エンキ、イナンナ)で長年戦っていることも
この世は 『権力 VS 知恵』 の争いであり、
海の支配者ポセイドン vs 知恵の女神アテネの戦いも
スサノオ vs アマテラスの戦いも
ペルシャ vs ギリシャの戦いも
ずっと、ずっと、YとJの争い、男と女の主権争いだったのです。
そうしてみると、
縄文最後の女王卑弥呼が弥生シュメールの男の王から殺された後、飛鳥から奈良に都を設け、大陸から職人と商人が大量流入してきた。
と、辻褄が合うのです。
そして、江戸の終わりまでは平安はあったのですが、平家が隠されたときに、平安も隠されたのです。
鎌倉時代から反乱の世でした。
雅で穏やかな日常に飽き飽きしたのでしょう。
鎌倉は元々、争うことが好きな野蛮な北方騎馬民族の人たちが起こした平安撲滅事変です。
だから、それから後の時代は、偽の和国の姿です。
明治から偽の時代ではなかったのですよ。もっと早い、鎌倉から偽の時代だったのです。
平安は今でもずっと、あります。
京都の人たちは「天皇さんは東京にレンタル中やねん」と言います。
「東京は、本物やないねん。もちろん天皇さんも本物やない。」
「本物がやられんようにな、スタントの役目をしてくれてはんねん。」
「せやし、仮の姿で、偽の儀式してても、世の中なんも良くならんやろ。」
まもなく本物の出番です。
仮面を脱ぎ捨てる時期がきました。
「本物」とは、隠された女性たち、本物の和国の姿、月の時代、moon、ムー
偽物に誰も関心がなくなってきていると思いませんか。
国会、政治も、資本主義国家も、大企業も要りませんな。
自分のことは自分で律する。律令制も要りませんな。
ただ、綺麗な街を保全するために、自意識を働かせて、自他に良いこと、できることは今すぐする。
これが皆の公共事業と致しまする。
毎日が良き日になりますよう。
平安時代の貴族たちの遊びから始まった「お月見」
「お月見」とは言っても、月を直視してはいけなかったのだそうで、
水盤に映る月をただ眺めいたといいます。
もしかすると、平安時代の女性が御簾を下げて顔を隠していたのは月の影響を受けないようにするためだったのかもしれないな、と思います。
月を直視すると連れて行かれて帰ってこなくなるからでしょうね。
moon ムーのパラレルへ