TRIQUETRA ~Tributary Zone~ -73ページ目

TRIQUETRA ~Tributary Zone~

2代目のブログです

 

 

 

これまで、マルクート、イエソド、ホッド、ネッツァーという、

4つのセフィロト(セフィラの複数形)について書いてきましたが、

生命の樹の下のほうにある、この四つのセフィラで創られている三角形の部分は、

伝統的に、「アッシャー界」と呼ばれています。

 

生命の樹も、四つのエレメントに分割することができるのですが、

この下の部分にある三角形、アッシャー界は、

エレメントでいうと「土」になります。

 

そしてここは、「物質と行動」の世界として知られているようです。

 

 

私のことを例にとると、、、

 

マルクート=ウイングメーカー・家族

イエソド=Lyrica

ホッド=ブログを書くこと

ネッツァー=歌うこと・踊ること

 

・・・となるわけですが、私の中のこういった部分はみんな、

このアッシャー界、つまり物質・行動の世界という部分に

属しているということですね。

 

また、生命の樹を一人の人間として見た場合、

アッシャー界は、その人の「肉体」に相当する部分となります。

 

ですのでここはとっても、地上的なレベルなんですね。

 

 

 

ここでも言葉の表現がとても難しいのですが、、、

アッシャー界は、物質的なこと、地上的なことを

意識の中心に置いて行動する部分。。。

 

・・・とでも表現すればいいのでしょうか。。。

 

 

私にとってはここは、足元みたいな感じというか。。。

ここを使って、大地を踏みしめているような感じですね。。。

 

このあたりが軸となり、今回の地上での人生が

展開している。。。みたいな。

 

ここは、結果でもあり、、、基盤でもあり。。。

スタート地点でもあり。。。

 

 

ただ、ここはまだ、、、

 

「ウイングメーカーが好き」「家族が大事」

「ブログを書くことは自分に向いてる」

「歌うこと・踊ることは気持ちいい」

 

・・・と、すべて「自分」を中心に置いて、

物事を考えている意識でもあるんですね。

 

 

 

このアッシャー界の三角形の中に、

イエソド、ホッド、ネッツァーで創られている小さな三角形があります。

 

 

人の意識の成長の段階として生命の樹を見た場合、、、

ここの三角形で創られる意識は、「植物意識」だと言われています。

 

ここでは、「自我」である「イエソド」が含まれてはいますが、

ここでのイエソドの感覚は、まだそこまで強烈に確立されていなくて、

「とりあえず自分という人がいるな」「あっちには自分じゃない人がいるな」

・・・くらいの感覚なのだと思います。

 

反抗期前の、無垢な子供みたいな感じですね。

 

 

植物意識の一番の目的は、「種の保存」です。

 

種を蒔くと芽が出てきて、そのうちに花が咲く。

花が枯れると実になり、種を残し、そしてその種はまた、

まったく同じ工程をたどり、まったく同じ花を咲かせる。

 

そうやって延々と、同じことを繰り返していくのですが、

そこには「変化」はありません。

・・・ということは、「進化」もありません。

 

この意識にとって最も大切なことは、、、

延々と繰り返されるそのサイクルを絶やさないこと。。。

 

種を絶やさないこと、子孫を残すこと。。。

 

 

伝統を、そのままの形でひたすら守ろうとするような

保守的な意識も、ここですね。

 

あとは、親や先生などの敷いたレールの上を、まったく逆らうことなく、

そのまんまで生きていく子供の意識も、植物意識です。

 

これは一見、とても素直ないい子のように見えますが、、、

意識の成長段階としては、まだ幼い意識です。

 

 

人類全体で見るとしたら、、、

シュメール文明やエジプト文明などが興ってくる前の、母権社会というか、

女神信仰やシャーマニズムが盛んだったころというのはおそらく、

こういった植物意識が、全体の中心を占めていたのではないのかなと思います。

 

特に変化を望まず、深いことは何も考えず、、、

ただ先人のやることを素直に信じ、それを見習って同じようにしていく。。。

 

ですので、とてものんびりとした、、、

争いのない平和な世界だったと思います。

 

ただ平和だけど、ほとんど進歩のない世の中だっただろうとも思います。

 

 

上の図でいうと、ホッドから赤のラインでイエソドに行き、

イエソドからマゼンタのラインでネッツァーへ。

そしてネッツァーから赤のラインでマルクート、

マルクートから紫のラインでホッドへと、、、

 

こうして結ばれた下向きの矢印みたいな形の部分は、

「鉱物意識」と呼ばれています。

 

鉱物意識は、「低い植物意識」として知られています。

 

 

先ほどの「植物意識」にマルクートが加わることによって、

より、サヴァイヴァル的な意識が強くなるのでしょうね。

 

種の保存よりも、まずは「生き抜くこと」が一番重要になってくるのでしょう。

 

大事なのは、伝統よりも命そのもの。。。

今日一日、どうやって食べていくか、どうやって寝床を探すか。

生きていくための、安全確保。。。

 

人類の歴史でいったら、20万年前とかそこらの、、、

石器時代あたりの人々の意識でしょうか。。。

 

 

けれども、、、そんな鉱物意識で生きていたであろう石器時代の人々が、

洞窟に壁画を描いたのはなぜだったのでしょう?

 

その頃から、「埋葬」という習慣があったのはなぜだったのでしょう?

 

 

人はどんな時代でも常に、心の中に「聖なるものの存在」を

薄々感じ取って来ていたのだろうと思います。

 

 

なぜなら、生命の樹を見ればわかるようにそのエネルギーは、、、

 

樹の頂点であるケテルを通して流れ出て、

ジグザグに降りてくるだけでなく、、、

 

それは、中央の意識の柱を通して底辺にあるマルクートを、

いつも直接貫いているからです。。。

 
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生命の樹の右側の柱、拡大の柱の一番下にあるセフィラが

「ネッツァー」です。

 

ネッツァーのキーワードは「永遠」。。。

 

そして、ここに当てはめられている占星術的惑星は、「金星」です。

 

金星。。。愛の星。。。

 

 

神話で言えば、ここはヴィーナス(またはアフロディーテ)という、

愛と美の女神が司っているエネルギー。。。

 

 

ネッツァーのキーワードが「永遠」と聞いても、、、

最初はそのイメージがまったく掴めませんでした。

 

それは、、、

「繰り返されるサイクル」であって、強い情熱、強い感情、欲望

なのだと聞かされても、「????」となるばかりでした。

 

 

あれから10年以上経った今、、、

私がこのセフィラのキーワードを、

自分自身の言葉で選ぶとしたら、、、

 

きっと、これです。

 

 

「エクスタシー」

 

 

エクスタシーの感覚というのは、、、

マインドを通さない感覚のように感じています。

 

そして、それがどこから来るのかと言えば、、、

個人的にはそれは、、、細胞を創る原子ひとつひとつに、、、

もっと細かく言えば、その原子を創る小さな素粒子ひとつひとつに

刻み込まれた記憶、、、知性。。。のようなもの。

 

そこを通して起こる感覚のような感じがしています。

 

ウイングメーカーでは、「ボディ・インテリジェンス」と呼ばれる

ものがあり、それは「肉体の知性」と呼ばれてはいますが。。。

 

個人的にはそれは、「肉体」に限定されたものではなく、、、

物質的なものを構成している「素粒子の知性」であるような。。。

そんな気がしなくもありません。

 

 

肉体そのものを構成しているひとつひとつの素粒子。。。

それはついさっきまで、大地を構成していた素粒子かもしれないし、

宇宙の一つの星だったのかもしれないし。。。

もちろん、素粒子たちは違う次元のことも知っているだろうし。。。

 

思考のスピードが緩んで、ボディ・インテリジェンスのエネルギーが

マインドのパワーを凌駕した時、、、

 

人は一時、「忘我」の状態になるのではないのかな。。。と。

そう思っていたりします。

 

その時、、、エクスタシーを感じます。。。

 

エクスタシーというのはおそらく、、、

故郷に戻った感覚の「疑似体験」です。。。

 

 

本当に記憶を取り戻すこと、光明を得る体験とは、、、

このネッツァーによる忘我の状態とは、まったく違います。

 

けれども、ネッツァーの作用による忘我の状態、

エクスタシーの状態をよく、「天国」なんて言ったりするように、

この疑似体験、、、低次元のワンネス感もまた、人間的な

感覚からしたら、とてつもなく気持ちの良いものであり、、、

 

 

これはきっと、、、本当のワンネス感を得る前の予行演習のような。。。

 

こういったものもはきっと、、、

神様が私たちに組み込んでおいたシステムなのかもしれません。。。

とてもとても、本能的な。。。

 

そういった働きががこの、「ネッツァー」の作用というか、

生命の樹のシステムの一部として、この部分にあるのだろうと。。。

 

 

サイキック的な感覚も、このネッツァーの働きと

関わっているような気がしています。

 

予感、直感、ヴィジョンを見ること、チャネリング。。。

そして、テレパシーなどなど。。。

 

 

例えば、、、まだ、文明が発達していない時代。。。

近代的なテクノロジーなどなく、周囲は見渡す限りの大自然。。。

 

そういった時代、、、

人間の意識はまだまだ、生命の樹の下のほうのみで活動していました。

 

その頃は、イエソドの確立もまだまだ薄く。。。

人々は動物たちのように、誰もがみんな、同じように行動していた。。。

お互いがテレパシックに繋がりあい、、、サバイバルの本能(マルクート)のもと、

幼い集団意識のもとに、生活をし、社会を構成し。。。

 

人類全体が、とても幼い、、、

子供のような意識の中で動いていたことでしょう。。。

 

 

幼い子供のように、天使のようなピュアな心と、、、

とんでもなく残酷な心を併せ持って。。。

 

 

そのような幼い意識の中で発達する初期の宗教といえば、

アニミズム(精霊信仰)です。。。

 

すべての中に、精霊を観る意識。。。

 

 

アニミズムはシャーマニズムと関わりの深い宗教です。

 

そして、ヴィジョン・トリップをしたり、精霊と話をしたりする

シャーマニズムのようなものはおそらく、、、

ネッツァーの作用を利用したもののように感じていたりします。

 

ですので、シャーマニズムというものは、、、

生命の樹で言えば、まだだいぶ、低いところにあるものなのだろうと。

 

 

そうそう、ドラッグでのトリップもネッツァーだろうと思います。

夢を見ることも。。。

 

 

ネッツァーは、ホッドと同じように、、、

まだまだ、人間の「本能」に近い部分です。。。

 

 

私が自分の「ネッツァー」を意識的に利用しているのは、、、

歌っている時と、踊っている時です。

 

でもきっと、クラシック・バレエとかクラシックの声楽は、

ネッツァーの感覚とは少し違うような気がしています。

 

ネッツァー的な歌やダンスは、「創られたもの」ではなく、

もっと自然発生的なもの。。。

もっと、、、原始的なもの。。。

 

 

型にはまっていないもの。。。

 

型にはまっていないというのはつまり、、、

マインドを通していないもの。。。

 

 

ボディ・インテリジェンスに導かれるままに、、、

何も考えずに歌ったり踊ったりしていると、、、

ふと、忘我の意識に入るときがあります。。。

 

そこで感じる、エクスタシー。。。

 

自分というものが溶けてなくなり、、、

すべてのものと、ひとつになったかのようなあの感覚。。。

 

あの感覚が起こるのもきっと、、、

ネッツァーのエネルギーによるものなのだと、、、

そう感じていたりします。

 

 

ずっと叫び続けていたら、そのうちに音程を変えたくなってしまうこと。。。

そして、そこに音やリズムがあったら、自然に身体が揺れること。。。

 

こういうのってやっぱり、人間の本能なのだと思いますし、

それが、ネッツァーの作用なのだと感じます。

 

そこから発展していったものが、歌やダンスであり、、、

時代を経て、人間の意識の発達とともに、

歌もダンスも進化した。。。

 

それがクラシック・バレエであり、ベルカント唱法であり。。。

 

みたいに、身体の知性だけではなく、、、

そこではちょっと、、、いや、だいぶ頭も使うようになってきた。。。

 

 

 

そういえば。。。

 

自分のネッツァーのキーワードを、、、

「芸術」にしていたこと。

 

今思い出しました。。。

 
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ホッドというのは、「反響」と言われています。

 

生命の樹の左の柱(縮小・女性性)の一番下のセフィラです。

 

 

ここに当てはめられている占星術的な惑星は、「水星」のようです。

 

占星術で水星は、「双子座」と「乙女座」の支配星とされていますが、

それは「思考」の動きと密接に関連するエネルギーのように、

私は感じていたりします。

 

「乙女座的な水星」というと、それは「分析」とか

「感受性の鋭さ」というところで発揮されるように感じます。

 

個人的には、、、

乙女座の鋭さは、「瞬間的な分析力」に見えます。

 

蟹座、蠍座、魚座のような水のエレメントの星座の

「直感的な鋭さ」は「感情」を通しますが、、、

 

乙女座の鋭さは、水星的な「思考」を通す。

それも、ものすごい速さで。。。

それが、土のエレメントの「感覚」と結びついて、

瞬間的な思考がもう、本能的に身についてる。。。みたいな。

 

 

乙女座のそれは、水のエレメントのように

「本能的に感じる」なのではなく、、、

「本能的に見抜く」なのだろうと。。。

 

一見すると、見た目、非常に似ているのですけれども、

エネルギーの動き方は、だいぶ違うように思えます。

 

 

乙女座が水星パワーをそのように使うのだとしたら、

双子座的はというと、、、それを主に「伝達すること」のために

使っているイメージを強く感じます。

 

 

そして、生命の樹のホッドに関連付けられている水星のエネルギーは、

同じ水星の中でも、「水星の双子座的な側面」というイメージが、

個人的には、とても強いです。

 

 

 

 

ホッドには「伝える」というキーワードもあります。

 

それは例えば、師から弟子へと何か大切なものを

伝えるというものではありません。

 

先人から受け取ったどっしりと重厚で深みのあるものを、

まず自分の中で「智慧」へと昇華し、、、

そしてその智慧を、責任を持って次へと受け渡す。

 

 

そちらは「伝える」というよりかは、「教え伝える」という感じですが、

そういった形は、どちらかというと射手座的です。

 

射手座が「高等教育」で、双子座が「初等教育」に関わると言われているように、

今知ったことを、隣の人に伝言ゲームのように伝えていくみたいな。。。

 

「どこかから受け取ったボールをそのまま誰かに投げる」

・・・という意味での「伝える」

 

ホッドの「伝える」は、そういった双子座的な「伝える」なんですね。

双子座や水星のキーワードのひとつ、「コミュニケーション」もきっと、

このホッドが司っているような気がします。

 

 

例えば、、、

 

「ねぇねぇ、昨日のテレビ見た?

芸能人の〇〇さんが、あんなこと言ってたよね~」

 

「奥さん、ご近所の〇〇さんが、こうなんですって」とか。

 

 

あとは例えば、「今度、パーティーがあるよ」と聞いたら、

「じゃぁ、その時何を着ていこうかな」と考え始めることとか。

 

外側からの刺激がまずあって、それに反応する形で

何かを考えたり、行動したりする。。。

 

 

そういうのが、ホッドの役割です。

 

 

なので、ここで扱われるものは、

「智慧」というよりかは、「知識」とか「情報」。。。

 

それは、深い思考ではなく、軽い思考。

 

私の中では、そういうイメージです。

 

 

ギリシャ神話で言うなら、ここはヘルメス。

ローマ神話では、メルクリウス(マーキュリー)。

 

イメージとしては、風。。。

 

翼の生えた靴を履いて、風のようにサッと、、、

あちらこちらに飛んでいく。。。

 

とても軽く。。。一か所に留まらず、、、

落ち着くことなく、あちらに行ったりこちらに行ったり。。。

 

 

・・・ゆえに、「思考」と関係する。。。

なぜなら思考は、、、常にあちこち彷徨っているから。。。

 

 

占星術で双子座は、「風の星座」とされています。

そしてここでも、「風」というエレメントは、

「思考」や「知性」と結びつけられて考えられています。

 

でも、日本語で「風」という言葉で定着しているこのエレメントは、

もともと英語では、「air」と言われています。

 

「air」は、「風」というよりかは本当は、、、

「空気」とか「大気」という意味です。。。

 

大気。。。

宙を舞う、シルフィード(空気の精)のような。。。

 

 

「大気」が「思考」と結びつけられていること。。。

これって実は、、、相当意味深いことのように感じます。

 

 

 

ホッドは、外側から来た刺激に対して、どのように反応するか。。。

といったエネルギーが作用する場所だと書きましたが、、、

 

ホッドのセフィラは、生命の樹の左側の柱にありますので、

それは女性性であり、、、つまり陰であり、磁気的であり、、、

なので、どちらかというと受け身であり。

 

ですので、ホッド的な反応というものは、、、

外部からのエネルギーを「受け止め」、

それに対して「マインド的(思考的)」に起こす反応。。。

 

そういったものなのだろうと思います。

 

そんなイメージです。

 

けれどもそれは、生命の樹の下のほうにあるセフィラなので、

そこまで深淵ではなく、もっと浅い感じのもの、、、

マルクートやイエソドに近いので、より物理的というか地上的な反応。

 

 

みたいな。

 

言葉で説明するの、非常に難しいのですが。

 

そんなイメージです。

 

 

 

私自身が、自分の生命の樹の中にあるこのホッドのエネルギーを、

どのように活用しているか、このエネルギーを、

よりよい形で利用しているのが、今生きている上では、

主にどういった場面なのかというとそれは、、、

 

「ブログを書くこと」

 

なんですね。

 

 

ブログを書く。。。という行為は、水星パワーをたくさん使います。

 

けれども私の場合、自分のアセンダントの真上にドーンと水星が載っていますので、

これはもう、、、「水星が司る領域」を自分のライフワークにすることは、

もう運命みたいなものですし(笑)

 

もともとそういうエネルギーを持って生まれているので多分、、、

他の人の半分以下の労力で、こういう作業を行えるように、

最初からできているようです。

 

こういう作業というのはつまり、、、話す、書く、伝えるみたいなこと。

そして、それを通したコミュニケーション。

 

ブログを書く。。。なんて、まさにその領域です。

 

 

そしてその水星は射手座ですので、そこで書く内容は往々にして、

世間話的なテーマではなく、哲学的な話が主になります。

 

また、自分のアセンダント・ディセンダントのラインを見る限り、

私の場合、こういった小難しい話に関しては、個人に対して語るよりかは、

公衆の面前で語るほうが向いているようです。

 

つまり、「その人」に語るのではなく、

もっと広く、誰というわけではなく、「全体」に対して語る。

 

そういう風にできているみたいです。

 

 

外で直接人と話すときは、ひたすら「楽しさ」を求める。。。

コミュニケーションを楽しむことを重要視する。。。

もっともっと「ふたご座的な軽さ」を求めるようなので。

 

ですので、こういった自分の思いを「語る」場所は、、、

誰が見てるかわからない、「ブログ」になる。。。

 

・・・みたいになっているようです。

 

その「思い」というものが、「思考」であり、

外側に対する「反応」なのですから、これはやっぱり、

ホッドの役割なのだなぁ。。。と。

 

 

それにしても、、、

今は、インターネットが発達していますので、わざわざ会場を設置して、

人を集めて、そこでマイクをもって「え~、みなさん」とかやらなくても、

十分、発信はできてしまうのですから。

 

楽な時代ですね。。。

 

 

私は、会話中に相手に長々哲学を語られると、

途中からほとんど聞いていないことが多いのです(苦笑)

眠くなっちゃう。。。

 

お悩み相談なら、いつまででも聞けるのですけどねぇ。。。

 

でも、、、

「会話」というものはやっぱり、キャッチ・ボール。

 

そう思っている私は、会話中は、自分自身の哲学を長々語ることも

やっぱりイヤで。。。

 

 

なので、、、

普段おしゃべりするときは、双子座的にもっと軽く、

そして、楽しく。。。

 

でも、こうして文章で残すときは、

射手座的に深く掘り下げた哲学を。。。

 

多分これが、、、自分のスタイルなのだと思います。

 

 

小難しい哲学とか、他人の信念話みたいなものは、、、

それを聞きたくない人にとっては、聞かされること自体が

拷問みたいなものですから(苦笑)

 

読みたい人だけ、読みたい時に読んでくれればそれでいい。。。

 

私の「伝え方」とはきっと、、、

そんな感じなのでしょう。

 

 

自然体で、自分が書きたいことを楽しく書いていたら、

いつの間にか、読んでくれている人が増えていた。。。

 

それが、アセンダント真上の水星パワーなのだろうと。。。

 

なんだか、、、最近は、そんな気がしています。

 

 

私にとって、ブログを書く。。。という行為は、

自分の中の「ホッド」のエネルギーの有効利用であり、

同時に、その「ホッド」を活性化させるためにも役立ちますので、、、

 

それは、、、一石二鳥的なものです。

 

でもこれは、あくまでも私個人の使い方でありますので、

誰にとってもそれが、「ブログを書く」ということにはなりません。

 

誰の中にも生命の樹はあり、、、

その人がその人生の中で、こうしたホッドのエネルギーを

どういう風に使っていくのか、、、というのは、

それこそ、十人十色であります。

 

 

ですのでまずは、法則を、、、そのシステムを、

「生命の樹」というものを理解して、

そうすればきっと、自分の人生の中で、

より意識的にそのエネルギーを有効活用できるようになり、

結果、、、充実した日々を送れるようになると思います。

 

 

人それぞれに、その人にあったホッドの有効活用法。。。

それは、生まれる時に自分で持ってきたお土産。。。

神様がくれたギフト(才能)であり、、、

 

そこを見つけて活かせば、それは自分のためのみならず、、、

きっと、他の人のためにもなっていく。。。

 

そう思っています。

 

 

 
 

 

 

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ディズニーリゾートで、気分転換してきました。

 

 

ここに来るときは、いつも娘と一緒。。。

・・・というか、最近は旅は、、、

いつも娘と一緒。。。

 

 

ディズニーは、子供の頃は大好きでしたが、、、

でも今は、もし娘がいなかったら私はきっと、

こういうところに来ることもなかっただろうな。。。と。

 

 

昔はここに来ると、いつも友達と大はしゃぎして。。。

パーク内を走り回っても、全然疲れなくて(笑)

 

楽しかったなぁ。。。と。

 

懐かしくなる。。。

 

 

 

今回は、なぜか「異邦人感」をものすごく感じました。。。

周りがみんな、子供ばっかり。。。と。。。

 

どこを見回しても、子供しかいない。。。と。

ちょっと、複雑な気持ちになりました。

 

 

それだけじゃなくて、、、

アトラクションの列に並んでいるときに、周りから聴こえてくる

おしゃべりの内容を聞いていたら、、、

 

いろんな意味で、「異世界」に来ているような感覚にもなりました。

 

 

 

そして、、、

ちょっと前までは、自分もまだ、なんとなくどこかで、

そこの一部のような感覚があったのだけど、、、

今回はもう、完全にそことは別物になってる自分を感じたりもしました。

 

 

子供たちがそれだけ成長したからなのか。。。

それとも。。。

 

 

 

ベリーダンスをやめたときに、自分の中にあった何かが、

完全に消え去り。。。

なんだかあそこで、自分は何かが変わったなぁ。。。という

そんな感覚がありました。。。

 

ちょっとうまく言えませんが。。。

 

 

いろんなことに対する執着心が、消えてしまった。。。みたいな。

 

 

何かを手に入れたいとか。。。

何かを達成したいとか。。。

もっとこういう自分になりたいとか。。。

 

そういうことに対する熱はすっかり消えてしまって。

 

今ある熱というのはただひとつ。。。

 

宇宙にあるいろんな謎の答えを知りたい。。。

 

そんなことだけ。。。

 

 

これって、、、

年齢を重ねると、誰でも感じる感覚なのでしょうか。。。

 

 

孫がいたらどうなのかなぁ。。。なんてことを想像したりとか。

死ぬ前に、子供たちに何を残していこうかなとか。

 

最近、そんなことを考えていることも多くなりました。

 

 

自分自身がどうしてもやりたいこと。

なんとか達成したいと思うこと。

 

そういうことがもう、ほとんどなくなってしまった今は。。。

 

あとはもう、、、

「死ぬ準備」くらいしかすることないよな。。。みたいな。

 

 

 

私がこういえば多分、ほとんどの人が、、、

 

「その歳で何言ってるの~」

 

・・・と笑うだろうけど。。。

 

でもこれは、、、心底本音の、、、

今、実感として感じていることだったりしますし、たぶん、、、

そういう準備って、何十年もかけてやるものなのだと。。。

 

そんな気がします。。。

 

 

 

 
 

 

 

 

一日目、ランドでのんびり遊んで、、、

今回は、シーにあるホテル、ミラコスタに泊まりました。

 

造りはほとんど、ランドホテルと同じでしたが、

ミラコスタのほうが少しシック。。。落ち着いてる。

 

 

私は、ランドホテルのほうが好きかな。

やるなら、どこまでも徹底してやってほしい。。。みたいな(笑)

 

だから、、、完全に夢の国の、ランドホテルのほうが好みかも。

 

 

こうやって、現実逃避するときは、、、どこまでも。。。

 

 

 

 
 
 
 
 
 

 

 

絶叫系、、、私は全然大丈夫なのです。昔から。

 

たまには刺激を味わいたい。。。と、そんな期待をしながら乗っても、

いつもどこかで肩透かし、、、というか。

 

恐い~~~~ってならないのが、ちょっと寂しい。。。

 

 

逆に、、、

例えば、小さな男の子たちががすごい勢いでブランコとか乗っているのを見ると、

「ぶつかりそう~~~」って思って、怖くて仕方ないのですけどね。。。

 

 

そういう場面の時って、いつも必ず第1チャクラに違和感を感じるので、

生存本能に関わることを刺激されているのだろうな。。。と思います。

 

ジェットコースター系では、そういう危機感を、なぜか私は感じないようで、、、

むしろ、あのフワッとした一瞬の無重力感を楽しみたい。。。みたいな。

 

 

それなのに、、、

今回、そういうフワッと感を全然感じなくなっていたので、、、

それがちょっと、びっくりでした。

 

「タワー・オブ・テラー」という、ディズニー・シーにあるアトラクション。

高い塔の上から下に落ちていく、フリー・フォールみたいなものなのですが、

それがこの季節、怖さ増量中ということで、

普段よりもたくさん落下していたにも関わらず、、、

全然怖くなかった。。。

 

少しはフワッとなったけど、普通にエレベーターに

乗ってるくらいにしか感じなかった。。。

 

 

娘は、足が完全に浮いて、お尻まで少し浮いてたけど????って

言ってましたけど、、、私はその、浮遊感、全然感じられなくて。。。

 

こうなったらもう、、、

宇宙飛行士になって宇宙にでもいかないと、あのフワフワ感は

感じられないのかしら。。。と。

 

娘には、「ママは普段からいつも無重力なんじゃないの?」と、、、

そんなつっこみを入れられましたが、、、

もしそうだったら、宙に浮ける日は近かったりするのかなぁ?(笑)

 

 

・・・と、娘と、そんなバカ話で笑っていられるこの瞬間、、、

幸せです。。。

 

 

 

 
 

 

 

 

美味しいものを食べて、共に笑って、たくさん歩いて、グッタリ疲れて。。。

そして、綺麗なショーとかイルミネーションとか。

 

今は、景気の良い中国の人たちが日本中どこにもたくさんいますけど、、、

なんだか、ひと昔前の日本人たちのようで。。。

 

やっぱりみんな、、、同じような道のりをたどっていくのですね。

 

 

何にしても、、、

色んな人が自然と笑顔になってしまうディズニーの世界って、

やっぱり、なんだかんだ言ってすごいんだな。と。

 

 

 

 
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先日、イエソドについてここで書いたあと、、、

自分の書いたものを読み直して、いろいろ考えていました。

 

目に見えないもの、言葉では到底表現できないことを

言葉で伝えようとすればするほど、、、

なんだか違うものになっていくような。。。と。。。

 

そんなことを思いながら。。。

 

 

例えば先日書いた、「仮面」「ペルソナ」という言葉も、

それを受け取る人によってきっと、その言葉のイメージは

変わるんだろうな。。。とか。

 

 

 

「ペルソナ」。。。という言葉を、最初に誰が生命の樹のイエソドに

結びつけたのか、、、私はハッキリ知らないのですが、

でもたしか、心理学者のユングも、この言葉を使っていましたよね。

 

ただ、、、

イエソドで表す「ペルソナ」は、ユングが定義したペルソナよりも、、、

もっともっと幅が広いような気がするのです。

 

なんとなく。

 

 

前回、私は「ペルソナ」という言葉を使いましたけれども、、、

先生がそう言っていたので、それに倣いました。

 

でもあれからいろいろ考えて、、、

「イエソド」を私自身の言葉で表現するとしたら、

私はそれを、、、

 

「エゴ・フィルター」と。。。

 

そう呼ぶかもしれません。。。

 

または、、、

 

「夢の登場人物としての自分」

 

・・・と。

 

 

それは肉体同様、この世界で生きていくためには必要な

衣装の一部なんですね。。。

 

 

 

その「エゴ・フィルター」がどういう形になっているのかを、

自分自身で理解することは、相当難しいことです。

 

なぜなら、自分のことを理解しようとする時にすら、

そのフィルターを通してしまうからです。

 

そのフィルター越しに自分自身を観察し、

判断してしまうからです。

 

 

ですから、「私はこういう人」と思っているうちの大部分が、、、

その人の「思い込み」だったりすることも多いのです。

 

 

ティフェレットの視点を獲得するまでは。。。

 

 

 

私の尊敬する人たちはみんな、口を揃えてこう言いました。

 

「汝自身を知れ」

 

・・・と。

 

 

この言葉にはそれこそ、多次元的な意味が込められていますが、、、

ひとつの層の意味としては、そのフィルター。。。

自分自身のエゴ・フィルターがどういう形になっているのかを

知りなさいという、、、

そういう意味も込められているように感じています。

 

 

そして、、、

そこをもっとしっかり分析・理解してからでないと、

他者のことなんてもっと理解できないでしょ。というのが、

私の考えです。

 

 

だから、、、人のことをとやかくよりも、

まずは自分自身を理解することから。。。

 

なんだと思います。

 

 

 

イエソドは、ひとつのフィルターであり。。。

それは、「エゴ」のことです。

 

でもこの「エゴ」。。。という言葉は、

日本では誤解されやすい言葉ですよね。。。

 

私自身も以前は、混乱していました。

 

 

「エゴ」というのは、ギリシャ語で「私自身」という意味です。

 

ジェームズはそれを、「エゴ・パーソナリティ」とか、

「エゴ・マインド」とか呼んでいたりします。

 

 

そしてこの「エゴ」というのは、先日のハラランボスさんからの

言葉の中にあった「エゴイズム」とは別物なんですね。

 

エゴイズムは、、、簡単に言ったら「自分勝手な欲望」。。。

みたいなものでしょうか。。。

 

ハラランボスさんは、「私欲」という言葉を使ってましたが。。。

 

 

「エゴ」と「エゴイズム」の違い。。。

ここを勘違いすると、、、とんでもない混乱が起こります。。。

 

言葉って、怖い。。。

 

そう思った一瞬でした。

 

 

 

「エゴ」は消してしまうものではなく、、、

まずはしっかりと、「確立」させてあげるものです。

 

それをしなければ、何も始まりませんし、

エゴを抹殺しようとすればするほど、

きっと、、、遠回りになるでしょう。

 

そして確立されたエゴの意識は、まずはソウルへと、、、

そして、最終的にはファースト・ソースへと昇華させてあげるのだと。。。

 

そう思っていたりします。

 

 

 

この、生命の樹という象徴体系を展開させたカバラもそうですし、、、

ウイングメーカーも同様にそうなのですが、、、

 

西洋的な思想の奥底には、グノーシス的な考え方が

どこかにしっかり絡みついているのだな。。。と。

 

そんな風に感じたりもします。

 

 

そして、、、

グノーシス主義が「善と悪」というものをそこに置くのは、、、

もともとは「魂」と「肉体」というもの、、、

ひいては「目に見えない世界」と「目に見える世界」という、

そういった私たちの中にある、「二元性」、、、

「多次元性」を説明するという目的があってのことだったのだなと。

 

簡単に言ってしまえば、

「目に見える世界」を「悪いもの」と見なすことによって、

そこから脱出したくなる気持ちを煽り、真理に気づかせる。。。みたいな。

 

そういう方法論のように、私には見えました。

 

 

ですので、西洋の伝統的な道には、みんなどこかに、、、

「否定的」な匂いとか「厳しさ」「ストイックさ」が

漂っていたりしますが。。。

 

その「象徴体系」のシステムを、、、その思考法を理解すれば、、、

そこに書いてあることの、「裏の意味」が見えてくるようになり。。。

 

するとそこには、「人類に対する大きな愛」を感じることができる。。。

 

 

本当に悟った人が、、、

本気で「物質的な世界は悪」だなんて思っているわけないのです。

 

むしろ、その逆です。

 

 

ですので、「イエソド」、、、

ペルソナ、フィルター、エゴ。。。

 

呼び名は何でもいいのですが、その「夢の登場人物としての私」も、

それは、抹殺してしまう存在なのではなく、

大切に大切に、育てていってあげるものなのですよと。。。

 

 

生命の樹は、そう伝えているのだと、、、

私には、、、映ります。

 
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生命の樹、マルクートのすぐ上にあるセフィラが「イエソド」です。

 

イエソドもマルクートと同じく、中央の「意識の柱」にあります。

またイエソドは、「基礎」とも言われています。

 

 

占星術でいうと、イエソドには「月」がぴったり来るようです。

 

占星術の「月星座」が示すものは、その人の「感情面」とか、、、

あとは、その人の「インナーチャイルド」(内側にいる子供の部分)

とか言われたりしますが、私的には、、、

 

 

本人があまり意識していない自分、、、

自分自身では気づいていない自分の性質というものを

見事に表しているような気がしているので、

 

月星座はその人の、「無意識的な反応の仕方」をあらわす。。。

 

と言われるのが、個人的には一番しっくりきます。

 

 

ですので、これもまた私見なのですが、

月星座の性質は、その星座の持っているネガティブ面が

出やすいようにも感じます。

 

なぜならそれが、「無意識的」だからです。

 

太陽星座の自分は、「意識的」なのですが、

月星座の自分は、「無意識的」なんですね。

 

 

そして、「自分の中の月の性質」というものは、

自分にはあまりにも当たり前すぎて、ナチュラルすぎて、

自分自身ではなかなか気づきにくかったりしますが、

逆にその人の家族とか親友のような、とても身近な人たちからは、

その人の太陽よりも、月の性質が見えやすいだろうと思います。

 

 

一説では、今生の月星座は、過去生での太陽星座だと言われますが、

おそらく、この月星座が何座であるのか、何ハウスにあるのか、、、

というところに、その人がこれまでの過去生で目指していたもの、

そして、達成してきたもの、、、

 

つまり、これまでの過去生の「総決算としての自分」

今回の人生で展開させるドラマの基礎となるもの。

 

そんなものが、現れているような気もします。

 

 

その「月」が、生命の樹の「イエソド」に対応している。。。

 

これが意味していることはつまり、、、

イエソドが、占星術の月の性質そのものを表すというよりかは、、、

 

「無意識的な意識」

「外界に対して無意識的に反応する意識」

 

そういった部分に対応している。。。

 

・・・という意味なのではないのかと。。。

そういう意味での、「月」なのだと思います。たぶん。

 

 

 

「イエソド」というものは、「自我」を象徴していると言われています。

 

私たちは普段、「私はこんな人」「私はこんなことが好き」、

「私はこれがしたい」とか、そんなことを思ったりしていますが、、、

 

その「私」というものが、この「イエソド」です。

 

この「私」、、、つまりイエソドは、外側への無意識的な反応ですから、

この「私」というものは、常に一般常識に囚われていて、

社会的な価値観によって、あれこれ左右される意識なんですね。

 

 

そしてこのイエソドは、「ペルソナ(仮面)」なんです。

 

私たちの多くが、普段はこの意識で日常生活を送ったりしているのですが、

それは、仮面をかぶって生きている。。。ということです。

 

つまり、ほとんどみんな、無意識的に生きている。。。

 

・・・ということです。

 

 

「目覚めよ!」なんてよく言われますけれども。。。

この、イエソド・レベルの意識だけで生きていることを象徴して、

「眠ったままで生きている」と。。。

 

そういう風に言っているんですね。

 

 

ちなみに、、、

例えば、自分の過去生をいくつか思い出したとします。

 

でも、その「過去生での自分」というものもみんな、

「ペルソナとしての自分」です。

 

つまりそれらもすべて、イエソド・レベルのアイデンティティであり、

これまでに、たくさん被ってきた仮面のうちの一枚に過ぎない。。。

 

・・・ということですね。

 

 

さて、、、今回の人生でのペルソナ、自我、、、

私の生命の樹のイエソドに入るものはと言えば、それは、、、

 

「Lyrica」

 

・・・ですね。

 

 

私は太陽星座が射手座で、月星座が乙女座で、、、

だから私は、こんな性格らしいです。

 

私の好きな食べ物はこれで、好きな映画はこれで。

私の家族は何人で、私のご先祖様はこんな人だったらしく、

私にはこんな守護霊、こんな守護天使がついているみたいです。

 

私は今、こんな仕事をしていて、私にはこんな趣味があります。

私はこんなことをして、こんなところへ行きました。

 

私の哲学はああでこうなので、私はこう思うんです。

そして、私は過去生ではこんな人で、

その時代にはあんなこと、こんなことをしてました。

 

 

こんなことを語っている「私」というものが、

この、イエソド・レベルの意識なのです。

 

 

だから、私の生命の樹では、そこに入るものは「Lyrica」であり。。。

それが、今回また新たに増えた、一枚の仮面。。。

 

・・・ということなんですね。。。

 

 
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生命の樹のお話の途中なのですが。。。

 

生前のダスカロスのお弟子さんだった、

ハラランボスさんからの言葉をシェアしたくなりました。

 

 

 

日本の真理の探求者のみなさん、

新年あけましておめでとうございます。

 

 

2017年が、皆さんの歩んでいるスピリチュアルの道で、

皆さんが更にもう一歩成長できる年となるように願っています。

 

真理の探求者にとって成長する大いなる一歩とは、

私たちが謙虚になることを学んだ時です。

 

謙虚さとはすべての美徳の中でも一番高いところに属しています。

 

 

ですが今の時代、真理の探求者の中でも、

謙虚さを持っている人はとても少ないのです

 

 

日本では謙虚という言葉が誤解されています。

 

例えば謙虚というと、親切、礼儀正しい、優しい、

腰が低いと思っています。

 

しかし、これらのことは誰でもしようと思えばできることです。

本当の謙虚さとは別のものです。

 

 

では本当の謙虚さとはどういうことでしょうか?

 

 

謙虚さとは、私欲のない生活を生きることです。

しかし私欲を持たないということは、

生きる目標を持たないということではありません。

 

 

 

また私たちが謙虚になることを何が邪魔しているのでしょうか?

 

それは私たちの個人的な欲求以外に何もありません。

なぜなら私たちの私欲が神の意志が働くのを妨害するからです。

 

最も進歩した真理の探求者はもはや

個人的な自分の私欲というものがありません。

 

彼らが持っている唯一の欲求は神の意思に従って生きることです。

私達人間はこの宇宙の中で、絶対無限の存在の意志に

抵抗している唯一の存在です。

 

私達の私欲はプライド(自尊心)やエゴイズムを作り上げ、

神への道と神の意志から私たちを遠ざけます。

 

プライドやエゴイズムは謙虚さと反対のものです。

 

神の意志はいつでも私たちの意思よりも賢明です。

そのことをよく理解し、信用しなくてはなりません。

 

 

2017年の私達の目標は、神が私たちに

何を求めているかを探すことです。

 

そしてそれが分かったら、それを抵抗しないで受け入れることです。

そうすれば私たちはさらに謙虚になり、神に近づくことができます。(後略)

 

 

愛をこめて、ハラランボス

 

 

 

もし、「神」という言葉に違和感があるのだとしたら、

それを「宇宙」とか「ファースト・ソース」とか。

 

それとも、ハラランボスさんも使っている、

「絶対無限の存在」とか。

 

そうやって、自分にしっくりくる言葉に変えてみると

いいのかもしれません。

 

 

言葉って、、、めんどくさい。。。いろいろと。

 

 

 

こういうお話を聞いた時に、自分がどういう反応をしているか。

それを観察すれば、そこに今の自分が見えてきます。

 

 

 

今、あなたのマインドはあれやこれやと、

いろんなことを言ってません?(笑)

 

 

 

学生時代の私は、こういう話に拒絶反応を起こしてました。

うっとおしかったし、「あ~もう、うるさい!」って思ってました。

 

人生、楽しいのが一番だ!!と。

声を大にして叫んでました。

 

 

そのうち、、、

 

「こういうのが好きな人もいるよね、こういうのもありだよね。

でもね、私にはこういうのは合わないかも。

だから、私は私でもっと違うやり方で、、、私自身の道を行くの」

 

・・・と思うようになりました。

 

 

 

そして今は、、、

 

こういうお話を聞くと、、、ものすごく心地よくて。

 

とてもとても、癒されるようになりました。。。

 

 

 

人って変わるもんだ。。。と。

しみじみ思います。

 

 

 

ハラランボスさんの言葉の何がこんなに好きなのか。。。

 

それは、、、言葉そのものではなく、、、

行間から感じる、この「静寂さ」です。。。

 

 

 

私はいつも、、、ほとんど無意識なのですけれども、、、

その人が言葉で何を言っているのかではなく、

その言葉の裏から漂ってくるエネルギーを感じてとってしまって。。。

 

それが聴こえてきてしまうのです。。。

 

それで、疲れてしまうことがある。。。

 

 

聴きたくもないことが聴こえたりすることもあるし、、、

見たくもないことが見えたりすることもあるし。

 

 

だから、多くの人が覚えていることを私は忘れていて、

他の人がすっかり忘れていることを、私は覚えていたりする。

 

 

最近では、、、聴こえてもそれをスルーするすべを、、、

だいぶ覚えましたけれども。

 

 

本当にごくたまに、、、

ハラランボスさんのように、真に正直な人の言葉を聞ける時があります。

 

言葉の裏から、、、行間から、、、

余計なおしゃべりが聞こえてこない言葉を聴くと、、、

 

すごく癒されるのです。

 

 

そこに、、、「言葉通りのこと」しかないときは。。。

 

 

 

そして。。。

 

私がもっともっと成長できた頃にはきっと。。。

こんなことをつらつら書くこともさえもせずに。。。

 

ただただここに、ハラランボスさんの言葉だけを、、、

ただ静かに置いておくようになるのでしょう。。。

 

 
 
 

 

 

 

占星術の先生の話によると、、、

やはり、クライアントさんからの「相性占い」の需要は高いようですが、、、

 

例えば、夫婦でも恋人でも友達同士でも親子でもなんでも、、、

そこに「自分以外の人」が関わっている場合は、

どちらか片側だけが占星術的に理解したところでは、

問題解決と言っても、なかなか難しいところがあると。。。

 

当事者同士が一緒に、それを理解しないと。。。と。

 

先生は、そうおっしゃっていました。

 

 

実際は、、、どんな関係性であろうとも、

「気づき」は、お互い同時に起こるものです。。。

 

その気づきが起こるまでは、、、

その縁は、良くも悪くも続くだろうと思います。。。

 

けれども、その「気づき」が、二人とも全く同じ形で起こるというわけでもなく、

今のその人にとって必要な気づきが、必要な形でそれぞれに起こる。。。

・・・ということですので。

 

必ずしも、人間的な感覚が期待していたような

結果になるとは限らないと思いますが。。。

 

 

 

占星術というものは、この世に流れている「ある法則」のようなものを、

占星術的な言葉を使って表現していくものですので、、、

そのツールの使い方さえ学んでしまえば、どんな人でもある程度は、

その法則、そのシステムのようなものが見えてきたりするのです。

 

すると、、、

例えば、自分とパートナーとの間に起こっていることの表面的な

ことばかりではなく、もっと違う次元で起こっている側面が、

かなりクリアに見えてきたりもするのですが、、、

 

どちらか片方だけが、違う次元で起こっている意味を理解したとしても、、、

相手がそこを観ていなければ、結局、お互いの視点の位置が

ずれたままですので、また違った問題が発生したりもします。

 

つまり、、、解っているほうが我慢する率が増えるんですね。

 

そして、、、

理解したほうはそこで、新たな次元のレッスンが始まったりもしますね。

例えば、、、「ハートの美徳の実践」、、、のような。

 

そこに、「一呼吸」が入るようになるのです。

 

 

そんな風にして、波立つ感情、そして過去や未来をさまよう思考を

徐々にマスターしていけるようになるのですが、

大抵はそのあと、おせっかい虫が現れてきますね。

 

「伝えたくなる」のです。

 

これはきっと、、、人のサガですね。。。

 

 

なぜなら、、、思考や感情を超越していくことで人は、、、

心の底に常に平安を抱いて生きていけるようになることを、

心底実感してしまうからです。。。

 

それは、「楽しいな~」とか「嬉しいな~」とかそういうことではなく。。。

 

とてもとても、穏やかな「何か」なのです。。。

 

 

だから私は、、、

ここで、生命の樹の話なんてしようとしているのかもしれません。。。

 

 

 

 

先日お話した「マルクート」というセフィラは、、、

「王国」であり、生命の樹の一番下にあります。

 

そしてこのセフィラのすぐ上に「イエソド」、その上に「ティフェレット」、

そして「ダアト」(これはセフィラではないのですが)を通過してその上に、

「ケテル」があります。

 

これらを通っている一本の柱があるのですが、この柱は、

「意識の柱」と呼ばれています。

 

他には、「バランスの柱」とか「統合の柱」とか。。。

そんな風に言われていたりします。

 

 

生命の樹には縦に3本の柱があり、中央にある「意識の柱」の

右側にある柱。。。

 

つまり、「ホクマ」「ケセッド」「ネッツァー」がある柱は、

「拡大の柱」と言われています。

 

「拡大の柱」はほかには、「男性性の柱」とも呼ばれますが、

これはイメージとすると、「慈愛の心」とか、「イケイケ精神」とか。

そんな感じなのだそうです。

 

ホワホワしていて優しくて。

なんでもありじゃな~い?

 

・・・みたいな、そんなゆるい感じのエネルギーです。

 

 

 

逆に、「意識の柱」の左側。。。

「ビナー」「ゲブラ」「ホッド」がある柱ですが、

ここは、「縮小の柱」と呼ばれていて、

またの名を、「女性性の柱」。

 

こちらは、「峻厳の心」とか「ちょっと待て!の精神」という感じの、

だいぶ厳しいイメージであり、必要なものとそうでないものを

しっかり選別したりする、チェック機構が働くところです。

 

・・・と同時に、しっかりと形作ることをする。。。

そんなエネルギーでもあったりします。

 

 

これは私個人の意見なのですが、、、

 

光というのは、波であり粒であると言われていますよね。。。

 

生命の樹の「拡大の柱」というのはおそらく、波。。。

波動的なエネルギーです。

 

そして、「縮小の柱」は、粒子的。。。

 

波は、、、なんにでもなれる可能性を秘めた粘土。

粒は、その粘土を使って創り上げたある形。

 

波動的なエネルギー(粘土)を粒子状(形)にするためには、

また逆に、一度固めたものをまた波の状態にするためには、

一度創った形を崩して粘土状に戻すためには、

中央にある「意識の柱」を通過する必要があるんだな。。。と。

 

そんなイメージです。。。

 

 

 

カバラの先生(女性)は、「男性性の柱」が優しくて、

「女性性の柱」が厳しいとされていることを知った時、

かなりびっくりして、ちょっとショックだったそうですが、、、

 

私はというと、、、

「生命の樹って、かなり的を得てるなぁ。。。」と。

つい、ニンマリとしてしまったほどでした。

 

 

だって世の中を見渡してみれば、、、

女性のほうはかなりシビアで現実的ですし、

男性はいつまでたっても、夢を追う少年のままですし。。。

 

男女とも、表面的に自分をどう見せているのかはともかく、、、

本質的にはおそらく、、、生命の樹のままです。

 

これは、小学生の授業参観にでも行ってみれば、一目瞭然です。

 

小学生くらいの男子と女子の行動を観察してみれば、

そこに見事に、生命の樹の本質が見て取れますよ。

 

もちろん、男性であっても女性であっても、個人の中にそれぞれの

男性性、女性性というものはありますが。。。

 

人類全体を「ひとりの大きな人」とみなすと、、、

その大きな人の「男性性」を担っているのが男性達。

逆に女性たちはその「女性性」を担っている。

 

そのようにして観察すると、そこにある「生命の樹」が見えてきます。

 

「生命の樹」のシステムというのはこのように、、、

いろんな場所で見つけることができるのです。。。

 

全体の中に、、、自分の中に、、、と。

 

 

「マルクート」は、もともとは生命の樹には現れてさえいなかったものが、

光となり、、、

その光が、樹の一番上のセフィラ、「ケテル」を通って流れ出て、

各セフィラをジグザグに降りてきて、

最後の最後に辿り着いた場所なのです。

 

最終的に出来上がった形。みたいなものですね。

 

神様視点から見たら、それはゴールであり。

人間視点で見たら、そこはスタート地点なのです。

 

 
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昨日、テレビで『千と千尋の神隠し』を観ていました。

 

湯屋があるあの場所、、、どこかで見たことがあるのだけどどこだっけ?

 

・・・と、日本人なら誰でも感じたりするのかな?なんて思いました。

日本人DNAに刻み込まれている原風景。。。みたいな。

 

湯屋のモデルとなった場所は、ひとつではなく色々あるようなので、、、

ちょっと、、、そういう温泉巡りがしたくなってきたような。。。(笑)

 

 

そして、、、

千と千尋を観ていたら、今日と明日、『十戒』の映画が

放送されることを知りました。

 

ユル・ブリンナー、、、懐かしい。。。

あのファラオ役、すごいハマってましたよね。

 

 

私たち世代の少女たちならほとんど誰もが知っている、

『王家の紋章』という古代エジプトの漫画があって。。。

 

私が学生の時に、「エジプト神話」をテーマに論文を書くことにしたのも多分、、、

今にして思えば、この漫画の影響が大きかったのだろうな。と思います。

 

そしてこの漫画は、今日放送される『十戒』の映画とか、あとは、当時日本で

開催されたツタンカーメン展とか。

 

そういったものから多大な影響を受け生まれた作品だと、、、

私はそう感じているのですけれども。

 

 

なんだか、、、ツタンカーメンという、歴史上無名だったファラオのお墓が、

ほとんど無傷、古代のその時から全く変わらぬ姿で発見されたりしたこととか。。。

 

もっと古くは、フランスのナポレオンが学者を率いてエジプトに赴き、、、

そこで、痩せて弱々しい感じだった一兵士のシャンポリオンが、

偶然あの、ロゼッタストーンを発見したこととか。。。

 

そういうところに私は、、、

「大いなる意志」を感じてしまったりもするのです。

 

 

大いなる、イベント・ストリングス。。。

 

 

そして、ちょうどカバラに意識が向いていたところに、古代エジプトや

モーセの十戒に関する映画の放送という現実が起こると、、、

 

「はい、今そこでOK!」

 

・・・と、誰かに言われているような。。。

そんな気持ちにさせられます。。。

 

 

 

前置きがとんでもなく長くなってしまいましたが、、、

 

マルクートを解釈するために結び付けられている惑星は、

「地球」のようです。

 

セフィロトにはそれぞれ、様々な惑星が結び付けられていますが、

その惑星の占星術的な解釈法を理解していると、

各セフィロトの表しているものも、より理解しやすくなります。

 

ここでもこうして、もともとは別々であったであろう

象徴体系がミックスされています。

 

でも、「結び付けられる」、、、ということはそれは、、、

同じエネルギーを、それぞれ違う表現方法を用いて解釈していただけの

ことだった。。。と。

 

そう言えるのかもしれません。。。

 

「おおもとはひとつ」

 

・・・ということですね。

 

 

 

占星術では、「地球」という惑星は使いませんけれども、

マルクートに対応させられている「地球」は、

それを占星術的に解釈する場合は、

「アセンダント」と考えるといいようです。

 

アセンダントは、その人が生まれたぴったりその時間、、、

その生まれた場所から見たときに、東の地平線にあたるところ。

そこが何座だったのか?で決まります。

 

つまり、その人がまるで太陽のように、東の地平線から日の出した。。。

この人生をスタートさせた、その「スタート地点」のことなんですね。

 

ちょうどその時その場所に位置していた星座のサインが、

その人のアセンダント・サインになりますが、アセンダントはその人の、

表面に現れる基本的な性格とか、行動の仕方とか、

あとは、見た目の容姿なんかに現れたりするようです。

 

 

「地球」という言葉は、英語では「Earth」ですけれども、

この言葉には「地球」という意味の他に「土」とか「大地」とか、

あとは、「現世」なんて意味もありますから、

マルクートに結び付けられている「地球」というものはつまり、、、

「目に見えている土台」みたいに考えてみれば、

なんとなく、イメージしやすいかなと思います。

 

 

そこに入るものが、私の今回の人生では、

「家族」であり、「ウイングメーカー」である。。。

ということなんですね。

 

 

ウイングメーカーというものは、私に精神世界というものに、

意識的に目を向けさせるキッカケとなりました。

 

けれどもある意味それは、、、

この人生における「重要なチャプター」の始まりに過ぎなかった。。。

 

・・・とも言えると思います。

 

 

 

今にして思えば、、、

そこに至るまでにすでに、ある程度の「下地」はできていました。

 

人生に起こる様々なことを経験することによって、、、

自然とそういうことを、学ばされてきたからです。

 

 

ですから、「スピリチュアル歴」とかってよく聞きますけど、

そういうのって、意味ないなぁ。。。と思いますよ。

 

スピリチュアル的な本を山ほど読み漁り、こういった世界に関する

知識だけはたくさん持っていたとしても、全くスピリチュアル的に

生きていない人もたくさんいますし、、、

 

その逆で、精神世界の情報なんてまったく知らないのに、

むしろ、そういう世界をうさんくさく思っていたりするのに、

生き方がスピリチュアルそのものの人もいますしね。

 

 

なので私も、、、

ウイングメーカーと出会ったから、自分はスピリチュアル的な

人になりました。というのは、ちょっと違うと思いますが、、、

 

 

けれども、今回の人生における、自分の大きな目的を果たすために、

やはり、ウイングメーカーとの出会いは大きいものでしたし、

多分、、、その出会いによって、自分の中のある「スイッチ」を

起動させられたのだと思いますし。

 

そういう意味でもやはり、ウイングメーカーが私の生命の樹の

マルクートに入る。。。

 

それはとても、しっくりくるんですね。

 

 

 

 

スピリチュアル的なことに意識的に目を向け始めると、、、

誰でも一時、混乱するときってあると思うのです。

 

「私は今まで、本当の人生を生きてなかった」

 

・・・と。

 

 

そういう段階に達した人たちが、離婚する姿を、、、

よく目の当たりにして、混乱しました。

 

私も一瞬、何が正しいのか分からなくなったこともありましたが、

それに関しては、母に感謝しています。

 

私がちょうど高校生の頃、仏教に、、、

そしてある一人の師にハマり始めた母を目の当たりにして、

色んなことを考えさせられました。

 

母親の意識がそういったことに、、、

自分や家族以外の何かに集中してしまうことに、

子供であった私は、ものすごい寂しさを感じました。

 

だから私は、自分の子供たちには、

自分と同じような寂しさは、絶対に感じさせまいと。。。

 

その思いが結局、「アンカー」となりました。

 

フワフワしなくて済んだのです。

 

 

 

ちゃんと地に足をつけたまま、現実から目を背けることなく、

精神的にも安全にこういった世界の探索ができたのはひとえに、

家族がそこにいてくれたおかげなのです。

 

そして、わたしのなかにそういう思いを芽生えさせてくれた母も、

そして、霊感が強くて、幽霊話ばかりして(笑)

おかげで、目に見えない世界の存在というものを、

子供の頃から私に信じさせてくれた父もみんな。。。

 

今の私というものを創るための、土台作りを手伝ってくれた人たち。。。

 

ですので、「家族」もまた、、、

私にとっての「マルクート」なのです。。。

 

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昨年末、、、「自分」というものが一体どうなっているのか。。。

それを、カバラの生命の樹に綺麗に対応させてみることが出来た。。。と。

そんなことを書いたと思います。

 

それについてブログに書いておこうおこうと思いながら、、、

気づけば、だいぶ月日が経ってしまっていました。

 

 

カバラという象徴体系は、ユダヤ教の一部です。

 

私の個人的な感覚では、古代エジプトにあったある秘教体系が

ユダヤ人に伝わり、その後それがユダヤという民族の中で

ユダヤ人らしい思考の中、展開されていったもの。。。

 

そんな風に感じていますが、これもまた、断言できるものではありません。

 

 

カバラの伝統の中では、いくつか説があるようですが、、、

 

カバラは、モーセが神様から授かった知識であるとか、

アブラハムがメルキゼデク王(セーラムの王様)から受け取ったものとか。

 

そんな風に伝えられてきたようです。

 

ちなみに、メルキゼデクは、エノクの転生者なんだそうです。

そしてエノクというのは、生きたまま死んだ人です。

 

今風に言うと、アセンションした人。とでも言えばいいのかな?

 

まぁ、、、こういったお話もまた、、、

すべてが事実というよりかは、

「メタファー」なのかもしれませんけど。

 

 

ユダヤ人らしい、、、と言っても、カバラ自体もまた、歴史の中、

他の象徴体系から影響を受けたり、逆に影響を与えたりと、、、

そうやってあらゆる相互作用を経て、いろいろとミックスされて

今の形に至っているようです。

 

ですからこの先もまた、時代の流れに合わせて、、、

捨てるべきところは捨て、拾うものは拾い、、、

そうやって、変わるべきところは変わっていったり

するのかもしれませんね。

 

もちろん、変わってはいけないところは、、、

永遠に変わらないのでしょうけれども。。。

 

 

 

ゼニスオメガというヒーリング・ツールを地上で使えるようにした、

ウィリアム・ウィルトシャーさんは、キリスト教の教会の牧師さんでした。

 

牧師さん、、、と言っているからには、

カトリックではなく、プロテスタント系なのでしょうね。

 

そして彼のいた教会というのも、普通の教会とはちょっと

趣が違っていたようで、なんでも、

カバラなんかも学べるような感じのところだったようです。

 

伝統的なガチガチの教会というのではなかったのでしょうね。

 

それにしても、、、

キリスト教とかカバラとか、そんな話を聞いた時思いました。

 

「あぁ、、、やっぱり私はこういうところに縁があるんだな」

 

・・・と。

 

 

 

さて、、、昨年の終わり、ライトランゲージをやっていたら、

突然インスピレーションが降りた、、、と書きました。

 

「ウイングメーカーが一番下にある」

 

・・・と。

 

 

その瞬間、私の中にはカバラの「生命の樹」のヴィジョンが浮かび、

「一番下」というのは、生命の樹の「一番下のセフィラ」

という意味なのだな。。。と。。。

 

こういうことが、一瞬にして降ってきた感じでした。

 

考えて答えを導き出したというよりかは、

インスピが一瞬にして降ってきた。

 

そんな感じですね。

 

 

そのあと、思い出したことがありました。

 

ライトランゲージを教えてくれたジェイミー・プライスと、

個人セッションであれこれお話していた時、、、

話の流れでウイングメーカーの話になったのです。

 

そんな中、彼女はハッキリとは言わなかったけど、、、

その対応の仕方で、彼女もやっぱり、ウイングメーカーのことは

知ってるんだな。。。と、そんな印象を受けました。

 

彼女が今の彼女に至るのにもまた、、、

多かれ少なかれ、ウイングメーカーからの影響が

あったのかもしれないな。と。

 

そんな風に感じたりもしました。

 

もちろんこれも、、、

ジェイミーに直接聞いたわけではありません。

 

ただ私が、、、そう思っただけです。。。

 

 

そしてジェイミーはこう言ってました。

 

「ウイングメーカーは、あなたにとっては入口よ。

そこから先にもっと、あなたにはやることがあるわよ」

 

・・・と。

 

実は内心、「ふふふ。。。」と思いながら聞いていました。

 

 

 

この記事のタイトルの「マルクート」とは、、、

生命の樹の一番下にあるセフィラの名前です。

 

マルクートって何?と思ってあれこれ調べると、

いろんな本やサイトに、いろんなことが書いてあると思いますが、、、

そういうものを読んでもきっと、本当のところは解らないと思います。

 

そこに書いてあるのは、「言葉で表せること」だけですし、

例えばウィキには、、、

 

 

第10のセフィラ。物質的世界を表す。数字は10、色はレモン色・オリーブ色・小豆色・黒の四色、宝石は水晶、惑星は地球を象徴する。王座に座った若い女性で表される。神名はアドナイ・メレク。守護天使はサンダルフォンとされるが、シェキナ(メタトロンと対をなす神の女性的顕現)であるとする意見もある。

 

 

と書いてありますが、これをただ暗記しただけでは、

それは単に、情報として知っただけに過ぎませんし、

各セフィラに対応させる色や宝石は、これはあくまでも、、、

最初に誰かが言いだしたことが、そのあとに伝統になっただけなのですし、、、

 

個人的には、、、ですけれども、

これからの時代は、こういうのはもう、

その人の主観でいいのでは?と、そう感じていたりします。

 

必死で暗記して、「そうでなくてはならない」と囚われてしまうよりも、

先人が提示してくれたものはあくまでも「ひとつの例」として捉え、

それを参考にしながらも、最終的には自分独自のユニークな照応表を

作れるようにならないと、意味がないような気もします。

 

 

「象徴」って、、、そういうものです。

 

 

それをただ暗記し、、、ただ言葉通り、額面通りに捉えるだけでは、

本当のところは解らないのです。

 

象徴というものは、、、あくまでも、、、

その「エネルギー」を、物質的な何かに喩えて、

言いあらわしているに過ぎないのですから。。。

 

 

 

マルクートの「キーワード」としては、、、

 

「王国」「地球」「肉体」「現実世界」

 

・・・というようなものがあります。

 

 

このキーワードから、あなたが思い浮かべるものはなんでしょう?

 

 

私は、、、「ホーム」なんです。

 

つまり、家。。。

 

 

今回の人生での自分にとっての「ホーム」。。。

「マルクート」は、「ウイングメーカー」です。

 

そして、もうひとつあります。

 

それは、「今の家族」です。

 

 

今の人生で、自分の基盤となるような場所。。。

旅に出ても、、、いつも帰ってくる場所。。。

 

そんなイメージかな。

 

 

魂にとっては、「肉体」がホームですね。

 

まずは肉体がなければ、この物質世界で何も出来ないですから、、、

ここは、生命の樹の一番下のセフィラでありながら、

とても重要な場所でもあります。。。

 

 

ミシャール、、、私のベリーの先生でしたが、

彼女はこう言っていました。

 

「あなたの身体は、あなたの神殿です」

 

・・・と。

 

 

あなたにとって、これがなかったら、

今の自分は何も始まらなかった。。。

 

と、、、そう感じるもの。。。

 

それは、何でしょうか。。。

 

 

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