運命の出会い 301 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

出口さんには、いろんな時代が

あったけれども。

 

私の中で一番思い入れの深いのは、

やっぱり、グラスバレー時代。。。

 

 

あのバンドがデビューしたのと

同時くらいから、ずっと。

 

関東圏でのライヴはほとんどすべて、

通っていたような気がする。

 

 

ドラムの上領さんが、

グラスバレーから脱退するまでは。。。

 

 

 

上領さんが抜けたあとも、

頭では、ライヴ通いはずっと、

続ける気でいたのに。。。

 

実際には、あの時はあれが、

最後になっていた。

 

 

 

自分の中で何かが切り替わると。

 

以前までは、

たしかにそこにあったものが。

 

意識の中から完全に

消えてしまって。。。

 

 

私の中に、存在しなくなる。。。

 

 

 

自分でもびっくりするほど。

 

昨日の自分と、

今日の自分はもう別人で。

 

 

そういうところが私には、

昔から、よくあった。。。

 

 

ある自分から、別の自分へと

切り替わるまでの間隔が。

 

なんだか。

歳と共に、どんどん

短くなっていって。。。

 

 

最近ではもう。。。

 

一日どころか、数時間。。。

下手をしたら、数分も持たない。

 

・・・みたいになってきていて。

 

 

文字通り。

 

「今を生きる」

「瞬間を生きる」

 

・・・を、体現している

今日この頃(笑)

 

 

 

この「切り替え」って。

 

カルマとも関係しているのだろうから。

 

 

自我では、コントロールできず。

 

だから、そういうのを起こしているのは

やっぱり、魂なのだろうな。。。と。

 

私は、思っていたりする。。。

 

 

 

あの時も多分。

 

そういう「切り替え」が。

 

自分の中で起こったのだろう。。。

 

 

上領さん脱退後、しばらくの間は。。。

 

グラスバレーの。

出口さんの存在は。

 

私の中から消えていた。。。

 

 

その後。。。

 

約10年後に再会するまでの間に、

出口さんが行っていた活動のことは。

 

私は一切、知らなかった。

 

 

10年経った、その時になって。

 

それまでの10年分の、

彼の軌跡を。

 

初めて知ったのだ。。。

 

 

 

グラスバレー時代の最後のほうの、

音楽の路線や雰囲気が急に変わり、

妙に色っぽくなった出口さんは。

 

10年経って、大人になっていた

私にとってはもう、かっこよすぎて(笑)

 

あぁ。。。

 

この頃の出口さんに、

リアルでお会いしたかったよぉ(涙)

 

・・・と、思ったけれども。

 

 

でも。

 

まだまだ子供だった当時の私に、

果たして。

 

グラスバレーの。

出口さんの。

 

ああいう変化を、すんなり

受け入れることが出来たのだろうか?

 

・・・とも思う。

 

 

 

当時の私は。

勝ちゃんが、変わっていった時。

拒絶反応を起こしていたくらいだから。

 

 

あの頃の私はまだまだ。

お子様で。。。

 

 

好きだったものが変わっていくことで。

 

まだまだ、混乱していたから。。。

 

 

 

その後の、「REV」時代の出口さんの

音楽や映像もまた。

 

あとになって初めて観たのだけれども。

 

 

その時代の出口さんと自分が。

当時、まったく交差しなかったのは。

 

なんとなく、解るような気がした。

 

 

あの時代の曲も映像も。。。

すごく好きではあるのだけど。。。

 

ただ。

REV時代の頃の彼からは。

 

「大衆受けする匂い」

 

・・・というか。。。

 

 

どこか、遠くて。。。

 

私からは。。。

 

 

 

「REV」ではなく、「出口雅之」という

名前で活動していた頃のアルバムからは。

 

次への兆しが感じられた。。。

 

 

「REV」から、

「Suicide Sports Car」への

モーフィングの途中。。。

 

・・・みたいな。

 

 

 

10年後に再会した時の

出口さんは。

 

思いきり、「マニアック」に、

落ち着いていた(笑)

 

 

・・・というか。

 

本当に、出口さんが好きなことを

やっているんだろうなぁ。。。と。

 

そんな気がして。

 

 

私はそういうの。

大好きで。。。

 

 

「Suicide Sports Car」も、

「Dandy-D」も。

 

なんだか出口さん、

すごく楽しそうだったし。

 

 

ただあの頃も。。。

 

私の中の「切り替え」が、

やっぱり。

 

ある日突然やってきて。

 

 

また、ピタッと

ライヴ通いをしなくなって

しまったのだけど。

 

 

あれってたしか。

2003年頃だったような気がする。。。

 

 

ウイングメーカーと

出会った年だ。。。

 

 

 

その後、50歳になった出口さんと、

また再会するまでの間の10年は。

 

 

私はなんだか。

精神世界のことに、どっぷりと

浸っていたな。。。

 

 

だからまた。

出口さんの存在が。

 

私の中で消えていた。。。

 

 

 

その間に出口さんは。

 

「ローマとしき」という名で

活動していたようで。

 

 

あとあとになって、その音楽や

映像を知ったけれども。

 

 

「オヤジギャグの暴走」

 

・・・に見えるその時代の出口さん(笑)

 

 

あの時代。。。

どっぷりスピリチュアルにハマっていた

自分とは、全く道が交差しなかったワケが。

 

やっぱり、解ったような気がした。

 

 

決して、

嫌いじゃないのだけどね。

 

ああいうノリも(笑)

 

 

 

そう言えば。

 

「ローマとしき」という名前には、

個人的にものすごくひっかかる

ことがあったので。

 

のちのち、出口さん本人に、

なぜ、この名前にしたのですか?

 

・・・と、訊ねたことがあったのだけど。

 

 

あの時、出口さん。

なんて言ってたっけ?

 

何も言わなかったのだっけ?

 

 

そのあたり。。。

忘れてしまった。。。

 

 

*******

 

 

まぁ、それはともかく。。。

 

そうやって、いろんな道を経て。

 

あの日、

再会した出口さんは。

 

石鹸彫刻をやっている。。。と、

話していて。。。

 

会場のグッズ販売のところでも、

その作品が並べられていた。

 

 

出口さんが石鹸彫刻???

 

・・・と。

 

最初はそれが自分の中で、

うまく結びつかなかったけど。

 

 

でも。。。

 

「ありがとう」

 

・・・と、しみじみ言っていた

今の出口さんが。

 

 

そういうことを始めるのもまた、

どこかでは、解るような気がしたのだ。。。

 

 

 

 

人は、精神性があがっていくと。

「モノづくり」をしたくなる。

 

・・・と。

 

以前、どこかで聞いたことがある。

 

 

それもそうだよね。

 

だって。

 

神様のお仕事が、

「創造」なのだから。

 

 

*******

 

 

つづく