お姉さん先生のやり方に対して、、、
日増しに「不満」は溢れてきていたけれども。
だからと言って私は、、、
それに対して、どうこうしようとは、
まったく思っていなかった。
彼女を変えようとも思わなかったし、
自分が今、この状況を不満に
思っていることも、そのまま認めていた。
表面的には、彼女のやり方に
合わせつつ。。。
ただ、「はい、はい」と笑顔で
要求された通りの自分を演じ。
この流れをただ、見ていた。
これが最終的に、どういう決着を
見せるのか。。。と思いながら。
ただ。
お姉さん先生が、蟹座だったから。
この先、私の不満が消えたり
するようなことは。
おそらく、ないのだろうな。。。と。
そんな風にも思っていた。。。
射手座(火)が先生役で、
蟹座(水)が生徒役だった場合は、
もう少し、うまくいくのだろうと思う。。。
水の人は、、、
とても素直だから。。。
でも、その逆は、、、
ちょっと、無理だろうなぁ。。。と。
そう思っていた。
水が火の上の立った時は。
火が水に、消火されてしまうから。
この人生の中で。。。
私の前にそうやって、
「水」のエネルギーを持った人が、
たくさん登場したけれども。。。
水の人が、私に対して、
「教える側」に立った時。
私はだいたい。
不満を持つようで。
不満。。。というか、
混乱する。。。と言ったほうが、
正しいのかもしれないけど。。。
だからそういう時。
私はいつも、
自分のカルマを感じてきた。。。
私の物語の中で、そういう
関係性が生まれた時、いつも
思い出すのは、母のことで。
母との関係性が、、、
私が水の人と、そういう
「混乱する関係性」を築く時の。
そのすべての「雛型」に
なっているんだな。と。
そう思う。。。
そして。
もっと、若い頃の私だったら、
そこにもう少し「希望」を持って。
「話せば解る」
「努力すれば、いつかは解り合える」
・・・みたいに思っていたけれども。
あの頃の私はもう。。。
これまでの経験から。
「世の中、どうしたって、
解り合えない人もいる」
・・・と。
それを。
認めるようになっていた。
それを認めたうえで。
そういう相手と関りを持った場合は、
それに、どう対応すればいいのか。
・・・みたいなことを、
考えるようになっていた。。。
だから。。。
お姉さん先生のスタジオでの
経験を通して。
あれやこれや起きていた頃は。
私はもう、「混乱」は
していなかった。
自分の中の「ま、いっか」が、
嘘になっていることに気づいた時。
自分の中に、不満があふれ出して
いることに気づいた時。
私はそれに対しても、
もう、「罪悪感」を感じることもなかった。
それはそれ。として、
認めていたし。
そこで、自分の考えが
ブレることもなくなっていた。
だから。
自分を見失うこともなかったし。
相手の在り方を否定することも
なかった。
そのうえで。
ただただ。。。
この状況の行く末を、
見守っていた。。。
*******
なんだかんだ言ったところで。
そこに「磁力」がなければ。
私は、そんなところからは、
さっさと退散していただろうと思う。
めんどくさいことは、ごめんだ。
・・・とでも言わんばかりに(笑)
でも多分、私は。。。
あの、お姉さん先生のこと、
大好きだったのだと思う。。。
どこかで、娘を見るような目で、
彼女のことを見ていたのだと思う。
彼女のほうは、おそらく。
そういう風に見られるのは、
イヤだっただろうな。とも思う。
なにせ、あの頃の彼女は。。。
必死に大人になろうとしていたから。。。
だから私も。。。
彼女を先生として、立てる演技を。。。
ずっと、し続けていた。
そうやって、成長していく彼女の。
まだ、少女だった頃のあの
純粋さを知っていたから。。。
彼女がどんどん、「鎧」を
身に纏って、大人になっていって
しまうのが。。。
変わっていってしまうのが。
私は、寂しかったのだろうな。
・・・とも思う。。。
昔、母が、紀野先生に出会って、
変わっていってしまったこと。
中川勝彦さんが、
ギタリストのCharと出会って、
変わっていってしまったこと。
翻訳者の彼が、
「ウイングメーカー研究者」という
看板を背負うことで、
変わっていってしまったこと。
そして、お姉さん先生が、
自分のお教室を持つことで、
変わっていってしまったこと。。。
水の人というのは本当に。。。
誰に出会うか。
何と出会うか。
・・・によって、こんなに変わって
いくのだなぁ。。。と。
そう思う。
もともとは、透明。。。というか、
真っ白だった自分を。。。
出会ったものの色で、
染めあげていくのだなぁ。。。と。
そして私はいつも。。。
その、染めあがる前の、、、
まだ透明だったその人と出会ってしまう。。。
そして。。。
その、透明さに惹かれる。。。
ただ。。。
私のカルマとして。。。
私はいつも。。。
そういう彼らの変化を。
目の当たりにさせられる。。。
そして、その変化は往々にして、、、
私とは、まったく合わない方向へと
向かっていくのだ。。。
いつも、いつも。。。
彼らのそういう変化に対する
寂しさが。。。
彼らの変化を、どこかで
認められない自分を作っていた。
今までは。
でも、なんだかそのあたりは。
あの、翻訳者の彼との交流を通して、
いい意味で、私の中で、
「諦め」がついた。。。
相手を透明に戻そうとすることは、
私のエゴだったことに気づいた。
だから。
お姉さん先生との交流の頃は、
そのあたりも、かなりクリアになっていて。
だから本当に。。。
不満やら思うことは、
それはそれは、たくさんあったけど。
でも、イライラすることは、
ほとんどなかったな。。。
*******
お姉さん先生の、ワンマンぶりは、
時と共に、どんどん増していって。
レッスンの時に、
しょっちゅう、プリントが配られる
ようになっていった。
そのプリントには、
「今後の規則」や「お願い事」が
びっしりで。。。
その「規則」は。。。
どんどん増えていくし。
締め付けが、どんどん厳しく
なっていくしで。
だいぶ、息苦しくなっていった。
ある時、そこに。。。
「お教室の掛け持ちは、
禁止とさせていただきます」
・・・というルールが出来て。
あぁ。。。
そろそろ、潮時かな。。。と。
そう思ったのを覚えている。。。
その頃は、スタジオ内で、
お姉さん先生の、今のやり方に
不満を持つ古参の人も、
ちらほら出てきていて。
辞めていく人もいた。
・・・と同時に。。。
入れ替わるようにして、
今までにはいなかったような
タイプの。
新しい人たちの入会が
ポツポツ増えてきて。
その新しい人たちがほとんど、
お姉さん先生と同世代の、
「若い人」だったのを見た時。。。
このお教室の流れが、、、
今から、変わっていくだろうと
直観した。。。
そしてそれは。。。
私にとってはどこまでも、
楽しくない方向へと向かうだろう。と。
それが、悪いことだとは、
決して思っていなかった。
むしろ、お姉さん先生にとっては、
明るい未来だったのかもしれない。
ただ、今の私が。
今更また、そういうところを
経験する必要は。。。
もう、ない。。。と。
そう思っていただけだ。
そうやって、私はだんだん。。。
自分の辞め時を、考えるように
なっていった。
*******
その頃もまた、次のイベントに向けて、
練習を重ねていた頃だったけど。
この『Tutuki』の振付が。。。
これがまた。。。
ねえねえ、先生。。。
これは、「ベリネシアン」じゃなくて、
もはや、「タヒチアン・ダンス」に
なってやしない?
・・・みたいな感じで(苦笑)
あの頃は、体力的にもちょっと。
キツさを感じ始めていた。。。
*******
つづく