最近、娘と二人きりの夜を過ごすことが多く。。。
毎夜毎夜、女同士の、本音の話で盛り上がる。
そうしているうちに、、、
自分が本当に求めていたことが、とてもクリアに見えてきました。
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高校生の時、、、そこはミッションスクールだったから、
礼拝の時間や聖書の授業があったりしたけど。。。
いつもいつも、お説教されていた。。。
「隣人を愛しなさい」「奉仕をしなさい」
・・・と。
ちょうどその頃、母も仏教にハマりだし、、、
家でも、似たようなお説教をされていた。。。
あんたは我が強い。。。とか。
こういうものを受け取れないあんたの器が小さい。。。とか。
今になってみれば、なんてひどいことを、
なんて無邪気に言う親なんだ。。。って、呆れますが。
子供にとって親の言葉というのは、、、
なんて重く響くものなのかと。。。
当時、、、母とか先生たちの行動を観察しながら、
私はいつも、心の中でこう感じていた。
「大人って、口で言ってることと、実際にやってることが違う」
・・・って。
奉仕奉仕っていうけど。。。
そんなの、当時の私には偽善にしか見えなかったし、
宗教のこと、偉そうに語る人はみんな、嘘つきだと。
そう思っていました。
悪魔がどうのとか、そういう話をするわりには、、、
私が幽霊を見た話をしても、全然信じてくれないし。
でも私は、、、小さいころから何度も、幽霊に遇ってきたのに。
母にそういう話をしたところで、まったく真剣に取り合ってくれなかったし。
マトモに話を聞いてもくれなかったし。
それなのに、宗教の話を熱く説教されたって、
そんなの、聞く気にはなれないでしょ。。。と。
学校の友達は、ブランドの服のこととか、
芸能人のゴシップとか、人のうわさ話とか。
そんなのばっかりで。
何が面白いのか、、、全然分からなかった。。。
誰と誰が付き合おうが、そんなの私には関係ないし、
なんでいつもいつも掃除をさぼって、、、
ディスコのダンスの練習してるの?って。
そんな、、、ダサいダンスの。。。って。
ホント、イライラしていた。。。
あの頃。。。
高校の卒業式の日を、指折り数えて。。。
春から、新しい学校に通い。
約1年後の春。。。
あの、、、神秘体験をした。。。
その時、宗教の神髄も、一瞬にして分かった。
そして、、、お説教をしていた大人たちが、、、
どれだけその本質からズレたところで頑張っていたのか。
それも分かって、、、ちょっと、哀れになった。。。
・・・と同時に、、、その人たちも、「私」であったことを知った。
あの時、悟ったのです。。。
みんな本当は幸せになりたいのに。
苦しい人が幸せになるために宗教は生まれたはずなのに、、、
人間が、人間であるがゆえに、、、
宗教は結局、、、人を、そことは違った方向へ導いてしまう。。。
ここしばらく、、、スピリチュアル的な世界を旅していたけど、、、
結局、、、スピリチュアルも、同じでした。。。
宗教と。
あの日、、、19歳のあの時、、、
頭で理解するのではなく、聞いただけで知ったつもりになるだけでなく、、、
実際にそれを体験しないことには、絶対に分からない。。。と。
それが解ったのです。
だから、、、どんな人でも一瞬でそれを経験できるような。。。
悟り装置を。。。
お願い!!!誰か作って!!!!
・・・と、、、強く、、、強く、願ったのです。。。
そうじゃなければ、、、人類全体は、、、
何も変わらない。。。
どんな新しいことが生まれても、、、
結末はいつも同じになる。。。と。。。
そう思ったから。。。
そんな思いを長年抱え続けてきたけれども、、、
ここ数年で、、、射手座に土星が入っていたここ数年で、
そういう願いが、自分の中からすっかり消え去った。
人には人の道があるから。
人には人のやりたいことがあるのだから。
そういうことを願うのは結局、
私自身のエゴでしかなかったと。。。
それを、ここ2、3年で、痛いほど実感しました。
だからすっかり、、、気持ちはおばあちゃんになり。。。
自分の中から、「情熱」が消え去り。。。
あとはのんびり、隠居生活を楽しむか。。。みたいな。
そんな気持ちになっていました。
土星が乗っている時は、体力も落ちると聞いたけど。
本当に体力もそうだけど、気力まで落ちていて。
何もやる気が起きなくてね。。。
だからあとは、、、自分のことはもうどうでもいいから、
人を癒すことに、自分の全エネルギーを注げばいいんだな。。。と。
そう思っていました。
でもやっぱり、、、土星が移動するとともに、、、
自分の内側にも少しずつ変化が訪れて。。。
そして、娘と毎夜話しているうちに、気づいたことがありました。
奉仕、奉仕と言われていた高校時代は、、、
奉仕とか、利他の心というものが大嫌いだったし、、、
19歳で神秘体験したあとも、、、
その心は、神としての自分視点からだったら持てるけど、
人間としての自分視点からは、おそらく無理だろうと。
そう信じていました。
それが、、、子供を産んで母となった時、、、
なにも無理することなく、それどころか自然と。。。
そういう気持ちが、自分の中に湧いてくるのを、
体験したのです。
自分の子供に対してだけは、、、
自然と、そういう気持ちを持てたし、
何も無理しなくても、自分を捨てて、子供のために、、、
子供の幸せだけを、心から願えたのです。
子供たちの喜びは、本当に自分の喜びだし、、、
子供たちの悲しみは、本当に、自分の胸が張り裂けるようだし。。。
嘘偽りなく。。。本当に。。。
だから思いました。
本物の「奉仕」、本物の「利他の心」には、、、
自己犠牲の精神なんて、決して伴わない。
何の見返りも求めない。。。
そこに、自分を犠牲にしている感覚などまったくなく、
そこにはただ、、、真の喜びがあるだけだと。。。
そして知ったのです。
こういう感覚を持つことは、、、
人間にとっても、可能なのだ。。。ということを。。。
そしてその時やっと、、、
学校や母から散々言われ、散々拒絶してきた
「他者への奉仕」
・・・というものを、受け入れたのです。
自分の子供たちに感じる愛を、、、
ここに存在するすべての人に対して持つことができたら、、、
それは、どんなに幸せなことなのだろう。。。と。
そういう自分になれたら、、、どんなにいいか。。。と。
こういう思いもまた、、、長年抱えてきましたけれども、、、
いろいろ頑張りましたけど。
でもある時、それは無理なのかもしれない。。。と。
だんだん、そう思うようになってきました。
無理してやってもそれは、、、意味ないですし。
演技になってしまうから。。。
スピリチュアルの世界にハマればハマるほど、、、
演技するようになってしまうのですよ。。。
そんな自分がイヤでね。
だからもう、、、こういう世界からは離れたいと。。。
これもまた、土星期間に思っていたことですが、、、
なぜかどこかで、手放しきれなかったんですね。
子供たちに対する無償の愛を。。。
無条件の愛を。。。
「存在するすべての人」に対して持つ。。。
・・・ということは実はもう、諦めました。。。
いつだったかな。。。
無理。。。と、実感したのです。
それでも、、、私はやっぱり、、、
誰かのことを愛したいのです。
これは、、、エロスの愛ではなくて、
アガペの愛。。。
その思いだけはやっぱり、、、
未だに胸の奥にあるのだな。。。ということが、
最近、ハッキリわかりました。
私は今まで、、、
この人生の中で、自分の子供以外に、、、
そういう風に、人を愛したことはない。。。
でも。。。
この世界中で、たった一人でいいから。。。
それは、男性でも女性でもいいから。。。
年齢も国籍も関係なく、、、
ただ、愛せたら。。。
嘘偽りなく、何も無理することなく。
そうやって、、、人を愛することができたら、、、
どんなに幸せなのだろう。。。と。。。
どんなに、満たされるだろう。。。と。
そう思います。
そんな話を娘にしたら、、、彼女は、、、
「それって、、、ものすごくものすごく難しいことだね」
・・・と言ってました。
本当に、、、これ以上難しいことってないのではないかと。。。
そう思う。。。
難しいけど、、、そのためにあれこれ試行錯誤することが、
きっと私の活力になるのだろう。。。と。
やっぱり、、、射手座って、理想を高く高く持ち。。。
叶えることは不可能かもしれないような夢を抱いて、
その夢を追いかけて。。。
そこに向かって常に全力で駆けていることで、
生き生きできるのだよなぁ。。。と。
そう感じます。
そして、、、人を「本当に」愛するためには、、、
やることはただひとつで。。。
それは、、、自分自身をより成長させること。。。
ここ何年も降りてきていたメッセージ。
「美の体現」もおそらく、
そういうことと繋がっていそうな気がする。。。