シェヘラザードとゼニス | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

 

 

 

アラビアンナイトのシェヘラザードと、、、

あとは、ジェームズの物語、『クォンタスム』に登場するゼニスという女性。

 

その二人が、、、大好きです。

 

ゼニスの代わりに、ミヒャエル・エンデの「モモ」。。。

彼女を挙げることもできるかもしれません。

 

 

シェヘラザードは、ストーリー・テラー。。。

「物語を語る者」

 

そして、ゼニスやモモは、「聴く者」「聴いた者」です。

 

 

 

例えば、ここから先が、ストーリー・テラー的な物の書き方です。。。

 

 

 

 

昔、ある人と話していると、その人が言いました。

 

「自分のことを話しているうちは、まだまだなんだよ・・・」

 

・・・と。。。

 

ここまで言ってその人は、ハッとした表情で口をつぐみました。

 

「え?何?」

 

・・・と、私は何も分からないふりをして、あえて聞き返してみました。

でも彼は、、、

 

「ううん、何でもないよ」

 

・・・と、それ以上のことは言いませんでした。

 

 

あれこれ言い訳や説明を始めることなく、そこで黙った彼を見て、、、

 

さすがだな。と。。。

 

心ひそかに思っていました。

 

 

多分そこには、、、私に対する彼の優しさもあったのでしょう。。。

 

だから私も、それ以上はつっこみませんでした。

 

 

 

 

 

ここから先は、私のマインドが語る形で書いてみます。。。

 

 

 

 

自分の話をする。。。

 

そういう時、人の意識は、イエソド(自我・マインド)のレベルにいます。

大抵は。。。

 

ほとんどの人が、その視点から「自分語り」をしています。

 

「私」の話を聞いて。「私」を見て。「私」を知って。「私」を理解して。

 

それが、、、マインドの欲求。。。

 

 

 

誤解されやすいことですが、、、

私はこういった話をするとき、そこに「批判」の意味を込めて書いてはいません。

 

自分にとっての真実を、ただ淡々と書いているだけで。。。

 

それが良いとか悪いとかではなく、、、

ただただ、そういうものなんだ。。。と。

 

そう思って書いていたりします。

 

 

 

 

マインド的な中に、ちょっとだけストーリー・テラーを入れる。。。

 

 

 

でも、こういうことを書くとよく、、、

とげとげしいエネルギーを、相手からぶつけられることもあり。

 

「マウンティング」とか「マウント・ポジション」とか。

 

なんだか最近、そういう言葉をよく見かけますが、、、

 

こういう話をすると、なぜか相手が攻撃態勢に入るというか、、、

相手、、、というか、「相手のマインド」なのですけれども、

それが、なんとかしてマウント・ポジションをとろうとし始めるのを、

これまでも、たびたび見てきました。

 

 

 

この先、ほとんどマインド的

 

 

 

こういう話は痛いもの。怖いもの。。。

あまり、聞きたくない話なのかもしれません。

 

自分が主体となって人生をコントロールしたがる、、、

そのマインドにとっては。。。

 

それまで自分が持っていた主導権を、この先失ってしまいそうな、、、

そんな予感を、マインドは、薄々感じるからなのでしょう。。。

 

ですから、こういった話をするとよく、そこからの反応として、

攻撃を受けることも、時にはあるのです。

 

マインドは、、、自分の尊厳を守るために、攻撃を始めるのです。。。

 

 

 

そういう時にマインドから出るセリフの代表的なものは、、、

 

「でも」

 

なんですよ。

 

次に多いのは、「自分はそうは思わない」です。

 

 

つまり、、、否定しにかかる。。。ということですね。

 

 

これは、私が自分自身を観察していても、とてもよく見かける、

「マインドの反応」です。。。

 

 

 

ストーリー・テラー。。。

 

 

 

私は、他人に対しても、自分自身に対しても

非常に厳しい人でした。。。ずっと。

 

特に自分に対しては、、、

とことんどこまでも完璧を目指そうとしてしまうところがあり。。。

 

自分がマインドに引きずられると、、、

どこまでも落ち込んだりしていました。。。昔は。。。

 

でも最近、こういったことは、ヒューマン・インストゥルメントを纏っているうちはもう、

仕方のないことなのだ。。。と。

 

潔くそれを認めるようになりました。

そしてそれをそのまま、受け入れることにしたのです。

 

自分自身に対する、ハートの美徳の実践です。

 

 

 

マインド。。。。

 

 

 

何が大切なのかというのは、きっと、、、

気づいているか、気づいていないのか。。。です。

 

その時意識的なのか、それとも、無意識なのか。。。です。

 

 

それを自覚しつつも、、、それでも、理想を目指して頑張る。

ストイックにではなく、ゆるやかに、頑張る(笑)

 

これが私がここでやりたいことなのでしょう、きっと。

 

 

 

 

ストーリー・テラーは、「物語」を語ります。

 

ありとあらゆることを、、、物語にして語ります。

 

自分の日常ですら、「物語」として語るということはつまり、、、

意識を、ティファレトの意識に引き上げた状態で語っているということです。

 

自分のことを、第三者の視点で語っているようなものです。

 

 

一見、感情に巻き込まれたり、思考がグルグルしているように見えるような

書き方をしていたとしても、、、

 

それは、、、「あえて」。。。なんですね。

 

物語として語る。。。というのは、そういうことです。

そこに巻き込まれずに、観察者の視点から、それを語るのです。

 

 

それは、普段、日常会話をしているときでも同じです。。。

常に、「観察者」としての視点を失わないこと。。。

 

 

こういうことを言うと、、、それが「上から目線」と感じる人もいるようですよ。

 

でもそれもまた、マインドの反応。

それは普段、イエソド・レベルから物を見ている人のセリフです。

 

なぜなら、自分の中にそういった「上から目線」的な気持ちがあるから、

相手もまた、そういった気持ちでその言葉を発しているのだろうと、、、

そういう「錯覚」が、そこで起こるのです。

 

そういったものはつまり、、、サバイバルの意識から生じる、

「反応」なんですね。

 

 

日ごろ、イエソド・レベルでしか物を見ていなければ、、、

たとえ相手がティファレト・レベルで話していたとしても、それには気づけません。

 

それは一見、、、同じに見えるからです。

 

人はみな、、、自分のフィルターを通して物を見て、そのフィルターを通して

物を解釈するからです。

 

ジェームズ風に言えば、、、「監獄内」にいるからです。

 

 

イエソドで語っているのか、、、

それとも、ティファレトで語っているのか。。。

 

その区別がつくようになるのは、自分自身がティファレトに登ったときです。

 

下からは上が見えませんが、上からは下がすべて見えます。

 

ですから、自分が監獄内にいるのだということを「本当」に実感するためには、、、

そこから一度、実際に出てみる必要がある。。。ということなんですね。

 

 

これを「本気」でやりたいと思っている人は、、、

私の目から見たら、、、ほんの少数のように見えたりしますが。。。

 

 

でも、、、監獄の外に一度だけでも出てみさえすれば、、、

監獄内も実は、こんなに素晴らしい世界だったんだね。と。

 

恐れるどころか、、、アヌに感謝したくなるかもしれませんよ。。。

 

悪役を買ってでてまでして、こんな体験の場を、、、

こういった表現の場を創ってくれて、ありがとう。。。と。。。

 

 

 

物語、、、神話なども含めて。。。

そこに綴られた「言葉」を、語られた「言葉」を、、、

それをどう解釈していくのかというところに、今のその人が映し出されます。

 

言葉、、、というものは、ある意味「象徴」です。

 

 

ライトランゲージほどではなくても、「言葉」というものはある程度は多次元であり、

例えば、マスターたちの話す言葉というものには、それこそ多重の意味が、

「意図的」に込められていたりします。

 

ですから、マスター(監獄脱出の経験者)がさりげなく投げかけた言葉に対して、

相手はどう反応するのか。。。

 

それを見ていれば、その相手が今、どういった場所から景色を眺めているのかと

いうことが、マスターにはすぐに分かります。

 

そして、その相手が今いる場所にあわせて、、、

マスターは、態度を変えていきます。

 

人は誰でも、その相手によって無意識に態度を変えますが、、、

マスターはそれを、より「意図的」にやります。

 

 

今、その人にはどういった態度で接することが最善か、、、

マスターたちは、そういうことすら瞬時に理解し、自分の次の行動を常に

選択している。。。ということです。

 

だから、彼らの行動って、意味不明なところが多いのでしょうね(笑)

 

 

マスターたちはまず、イエソドの視点から「自分語り」をすることはありませんし、

語るときは、常にティファレト視点からです。

 

怒るときも、感情に巻き込まれて起こるのではなく、、、

怒りを、意識的に「表現」しているのです。

 

 

イエソド・レベルから、どんなに攻撃を受けようとも、、、

勇気をもって、ソウルを表現し続けているのです。

 

体現している。。。

 

生きたお手本として。。。

 

 

 

そして大抵の場合、彼らは「聴いて」いますね。

 

「聞く」ではなく、「聴く」。。。

 

「聴く」とは、ただ単に相手の話す表面的な言葉だけを聞いているのではなく、、、

相手のすべてを聴いているということ。。。

 

相手のエネルギーを、常に感じながら。。。

 

 

 

マインド的語り、ハート的な語り。。。

何がどっち、、、ということをあえて示して書きましたが。。。

 

 

だからマインドも、、、決して悪者ではありません。

 

更に、、、それがもし、一度サレンダーを経験した

マインドからの語りだとしたら。。。

 

きっと、とてもパワフルなものになるでしょう。。。

 

 

でも、人生の舵取りは、、、

ハートにしてもらうほうが平和です。

 

 

そして、、、ハートが語るときは、、、

ストーリー・テラー的になるのだと。。。

 

私は、そう感じています。。。

 

シェヘラザードのように。。。

 

 

 

シェヘラザードはバレエでも、、、

とても好きな演目でした。。。