ちょっと前の映画ですが、DVDで「英国王のスピーチ」を観ました。
何気に見た映画でしたが、思った以上に感じるところあり、ちょっと
「うわっ」と思ったので記しておきます。
吃音である英国王。
映画のセリフによると、「生まれつき吃音の者はいない」のだそうです。
そして、吃音の原因として「無理な矯正を強いられた者に多い」のだと。
利き腕を矯正、脚を矯正、性格を矯正…。
父親から怒鳴られてますます吃音がひどくなるシーンもありました。
なんか、アーユルベーダでいうところの
「ドーシャ(体質)の乱れ」みたいだ!と思ました。
アーユルベーダでは、自分が生まれつき持つドーシャ(体質・本質)に沿って生きてないと、
その乱れが不具合となって病気を引き起こすと言われています。
この5000年前に古代インドで生まれた世界最古の医学は、
アロマテラピーの源流の一つですが、
現代のDNA医学に通じるものがあるそうで。
インド人すごすぎ。
私は独学で勉強してるだけですが、
知れば知るほど好きになります。
例えば、
ガン細胞だって、もともとずっと自分の中に存在している細胞なのでしょう?
通常であれば、気付かないうちにNK細胞の働きでやっつけてもらえるのに、
無理のしすぎなどなんだかんだと変なストレスがかかりすぎると
身体の免疫力が落ちて、
ガン細胞の動きを阻止できなくなるのだ…と聞きました。
やはり自分に合わない、心地よくない状態でいることは、
人間の生き方としてどこかおかしい。
自分を痛めつけてるってことなのだと思います。
「自分を大切に」。
使い古されたセリフだけど、これほど大切で、
実はそんなに簡単なことではなく、一生かける価値のあるものはないかもと思います。
「アナと雪の女王」がこれだけヒットしたのも、
そういうことを、みんなどこかで分かっているんですよね。
あと「世界で一つだけの花」の歌詞もそうでしたよね。
それぞれが自分だけの良さを持っていて、
そのままで完璧なのに、
人と比べて「あれが足りないこれが劣ってる」と
あれこれ悩むなんてナンセンス。
自分の本質を生きることがどれほど幸福なことか!
ありのままでいい。ありのままが自分の完璧な在り方。
自分が好きだと思う事をせっせとやって、
自分の本質に従って生きるのは、幸せにつながる道。
本質って、インナーチャイルドと同じようなことなんじゃないかなとも思います。
自分の中の純な部分。
ホ・オポノポノではウニヒピリと言われていますね。
気をつけなくてはいけないのは、
本質と感情は別のモノってこと。
表に浮かび上がってくる感情のいろいろをとっぱらって、
自分の胸のうちの奥の奥のずーっと奥のコアの部分にあるものが本質。
感情にふりまわされていると、
自分の中の本質の部分になかなか辿り着けなかったりします。
感情にふりまわされないそこは、静かな幸福の世界。
そういえば、
私はクリスチャンではありませんが、
小さいころ、なぜか日曜日は教会に行ってました(何故だったんだろう?)。
子供向けの聖書の本をむさぼり読み、しょっちゅうお祈りのコトバを口にするような
変な小学生でした。
当時は「神さまは本当にいるのだろうか?」とそれはもう真剣に考えまくっておりました。
ある日道を歩いていると、突然「神さまは自分の心の中にいる」という考えが浮かび、
その時はなんか大発見をしたみたいにスゴクうれしかったです!
うれしくてうれしくて、一目散に道を走って帰ったような記憶があります。
中学は浄土真宗の学校に通い、そこではたくさん講和を聞きました。
その時も「仏は自分の中に存在する」とようなことをやはり言われていたと思います。
ブッダも、悟りの境地に達した時、たしかそんなような事を悟ったのではなかったでしたっけ?
(違ってたらすみません。ただ古い自分の記憶を元に何の根拠もなしに書いています)
幸せを自分の外(家柄とか収入とか地位とか名誉とか学歴とか容姿とか諸々の環境)に求めるな。
自分の内側にありますよということですよね。
それを聞いたとき、かなりうれしかったです。
なんだ!キリスト教と仏教って、言ってることは同じやん!と思いました。
親鸞聖人は「ただ念仏を唱えるだけで極楽浄土へ行ける」と言った人。
「知識はいらない。そのまんまでいいよ」と言った人。
その念仏も、キリスト教の祈りのことばや、ホ・オポノポノのクリーニングのことばと通じるものがあります。
DNA。本質。インナーチャイルド。ウニヒピリ。自分の中にいる神さま仏さま。
すべて同じもののような気がします。
近付く方法としては、ただ念仏(クリーニングのことばや祈りのことば)を唱えること。
やっぱり同じ!?
どんな宗教もスピリチュアルの教えも、
みんなみんな、おんなじ事を言っているような気がします。
ただ、表現やアプローチの仕方が違うだけで。
自分を生きる。ただそれだけ。
世界はとってもシンプルな法則で成り立っているのかもしれません。
昨日、夕飯をつくるためにたまたま手にとった料理雑誌に
犬養道子さんのエッセイがあるのが目にとまりました。
するとそこには、
「人は、すべての人は、幸福になるべく創造されているのだ。例外はない」
「幸福とは、自らの解放だ」
の文章が!!
アーユルベーダで言われていることと同じ~。
さすが犬養道子さん。すごいなあ~~。
70年代にもうこんなことを。
いや、70年代だからか?
キチンと宗教を勉強した人が行きつくところは同じってことなのかな。
だけど、家にずっとあった雑誌にこんなエッセイが載っていたなんて、まったく気がついていませんでした。
1978年の「村上信夫のおそうざいフランス料理」(中央公論社)にこんないいエッセイがっ。
長々と妄言をすみませんでした。
「英国王のスピーチ」から妄想が広がりました。
ただの一主婦の戯言なので、学問的にどうこうなどは分かりません~。また、間違ったことを書いているかもしれません。どうぞお許しを。
こんなことをつらつらと書いてしまったのは、たぶん試験勉強からの逃避なんです。アロマセラピスト筆記試験まであと1週間。ああどうしよう。覚えられないよ…。逃げたい…けどこれは自分を生きることに通じる道。楽しみながらガンバリマス!