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八王子・高尾のアロマサロンNOA NOA
セラピストのたけうちあやかです
サロンご紹介↓
今日は私のにわか知識で恐縮ですが
バウンダリーの話をしたいと思います
バウンダリーって何か知ってますか??
人と人との間などにある
見えない境界線
のことです
私も知らなくて、、
以前、私がお世話になっているsama-samaの小山さんが
オンラインスクールで、
バウンダリーの本を読む〜って紹介されていて。
へーなんだろ?と思って、
ちょうどハマっていた笑、図書館で本を借りてみました。
気になったらすぐに本を探せる図書館バンザイ
その本には、
バウンダリーが曖昧だと、
人間関係に様々な問題が生じる
と書いてあって、
問題って一見
トラブルのようなものを想像しがちですけど
「依存」や「支配」の他にも
「尽くし過ぎてしまう」ことも
バウンダリーが曖昧なことによる影響なんだそうです。
やってあげちゃう とか
ついついプレゼントしちゃう とか
バウンダリーには
時間や役割など自分の外側に引くものと
感情や思考など自分の内側に引くものがあって、
外側に引くバウンダリーはなんとなく
皆さん想像しやすいかもです。
例えばセラピストでいうと、
何時までのLINEは返すけどそれ以降は翌日 とか
料金以上のサービスはしない とか
友達だからとかで安易に値引きしない とか
セラピストと言う役割を超えたサービスはしない とか
お客様(相手)との適度な距離を保つために
ここまで👇と言う境界線ですね
一方内側に引くバウンダリーとは、
いくつか種類はあるものの簡単に言うと、
自分の感情に責任を持つ
(怒りや違和感に気がつき、認める)
自分が何者か、自分のニーズは何か?
に気がつき、それを守る行動をとる
と言うこと。本によるとね
私の解釈も入りますが、
全ての人に愛される必要はなくて、
自分のバウンダリー(感情や思考って考えると分かりやすいかも)が
侵害されそうになった時に
そのイヤだな、とか怒りの気持ちに責任を持って
NOを相手に伝えられる
これが健康的なバウンダリーだ、
と言うことなんだとおもいます
要は、、
自分の中の怒りとか、違和感とか、
負の感情って気が付かないフリをしたり
押さえつけたりしがちじゃないですか?
でもそれは自分のニーズなんですよ
だからその感情を認める
その感情に責任を持って対応する
なかったことにはできないんです
また、この自分のニーズは
他者によって達成されるものではない
とも書かれていて。
まさに〜〜と思いました。
例えば、自分の居場所がない、、
と感じている人がいて、あなたに相談をする。
どんな気持ちか、どんな問題が起こってるか
何が理想か、、、
色々聞いてあたなはどうにかして
その人が孤独を感じないように手を尽くしたくなる。
それによって、その人はあなたが自分のニーズを叶えてくれるのだと思い込み(本人は気がついてないかも)、あなたに依存する。
→あなたのバウンダリーが侵害される
聞いてあげること、自体に問題はないと
私は思いますが、
自分の居場所を確保する(できたと思う)のは
自分なんですよね
あなたが手を尽くすことではないし
それ自体がバウンダリーを侵害してるとも言うのかなあとも思います
ちょっと話変わりますが、
子どもが転んで怪我をした時
親が、
「痛くない、痛くない」
って言う場面想像できません?
これも、です。
痛くないか痛いか、子どもが決めること
子どもが痛い〜と言うなら
それを認める必要があるんですよね〜
健康的なバウンダリーとは
自分のニーズに責任を持つことであると同時に
相手のそれを認めることでもあると
思いました
たとえそれが自分とは異なる考えでも
あなたはそう思うのね
と認めることが大切なんだなあーと。
セラピストとして大事なのかなっと思って
読んだ本でしたが、
子育てや人間関係にもめちゃくちゃ関係していて、
この言葉を知れてよかったなあと
思いました
一段と寒くなってきましたね
メンタルにも不調が出やすい時期です
ご自愛ください〜