お豆腐レシピ
母伝授のレシピに
ヨウ素をプラスした
簡単でお財布にも優しいレシピ
◆材料◆
• 木綿豆腐 1丁
• 人参 1/2本程
• 干し椎茸 4枚程
• ひじき 大さじ1ほど
• 出汁
• 椎茸戻し汁
• 酒
• みりん
• 醤油
• 砂糖
• 卵 1個
• 白ゴマ
枝豆やインゲンなどの
緑者がいると~
マスマスGOOD
千切りの人参、椎茸とひじきを
炒め煮にする
(出汁+椎茸戻し汁+酒+みりん+醤油)
約
分…
お豆腐はキッチンペーパーで
水気をフキフキ~
テフロンフライパンなどで
水気を無くす迄炒る
水分無くなったお豆腐に
煮た3品を加え~
煮汁も少々加える
炒め合わせ
汁気が無くなったら
溶き卵を加え~
マゼマゼ
ゴマをフリフリ
完成
放射能対策
連日…ヨウ素摂取メニューを
増やしていま~す
ワカメ•のり•昆布•ひじき•モズク•めかぶ•青のりなど
毎食たべまショ
iPhoneからの投稿
ヨウ素をプラスした
簡単でお財布にも優しいレシピ

◆材料◆
• 木綿豆腐 1丁
• 人参 1/2本程
• 干し椎茸 4枚程
• ひじき 大さじ1ほど
• 出汁
• 椎茸戻し汁
• 酒
• みりん
• 醤油
• 砂糖
• 卵 1個
• 白ゴマ
枝豆やインゲンなどの
緑者がいると~
マスマスGOOD

千切りの人参、椎茸とひじきを
炒め煮にする

(出汁+椎茸戻し汁+酒+みりん+醤油)
約

分…お豆腐はキッチンペーパーで
水気をフキフキ~
テフロンフライパンなどで
水気を無くす迄炒る
水分無くなったお豆腐に
煮た3品を加え~
煮汁も少々加える
炒め合わせ
汁気が無くなったら
溶き卵を加え~
マゼマゼ
ゴマをフリフリ
完成

放射能対策

連日…ヨウ素摂取メニューを増やしていま~す

ワカメ•のり•昆布•ひじき•モズク•めかぶ•青のりなど

毎食たべまショ
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福島原発〜裏事情のひとつ…
こんな時に
政府の批判など
言っている場合では無いのですが…
twitterを見ていて
悔しい内容発見
日本人政府に
税金を払っている方々にお知らせしたい!と…
若い人々の将来の為に
お知らせしたい!と…
◆◆◆◆◆◆◆
ロシアの原子力専門家、アスモロフ氏が政府に行った最も重要な提言
http://goo.gl/UkJ0E
◆◆◆◆◆◆◆
日本の複雑で硬直的な
官僚的運営モデルによって、
事故への対応が遅れてしまった!と…
TV局全社が
同時に、しかも何度も
放送していた放水作業が
最初から
無駄な作業だった!と…
もっと早く
正確な対処をしていたら
こんな惨事にならなかった!と…
福島県の住人の方々の
悲惨な日々…
金銭に余裕の無い国民までが
義援金、物資供給に協力している日々…
我が身構わず、被災地のボランティア活動をしている方々が居る日々…
危険な中、現場で作業している方々が居る日々…
放射能散布の次から次へと
数知れない被害の日々…
税金払っている国民は
救済.復興の為
皆一つになり
大きな力へ変えようと団結
しているのに…
残念な政府…
難しい事は分かりませんが、
一刻を争う惨事です!
原発を抑え無い限り…
復興どころか災害増え続けます!
支援者数より
被害者数が増えたら
どうなるのでしょうか?
このままだと
義援金や救援物資が
いくらあっても追い付きません!
プライドや形式にとらわれている場合では無いと思います!
今まで、何度も
政府が変わるのは無理!
政府を変えるのは無理!
と思ってきました…
でも
今回は無理ではいけない事態です!
国のこの姿勢は
暴動起きないと変わらないのでしょうか?…
iPhoneからの投稿
被災地ボランティアの現地情報
mixiのマイミクさん
(昔の職場の同期)
の日記でコピペ拡散希望
との事ですので
記載させて頂きます!
↓↓↓↓↓
北海道に住む友人が、ボランティアに行ってきた。
神戸の出身で、阪神大震災の時、避難所で活動した経験がある。
以下、日記の全文です。
コピペして、発信してください。
【日記内容】
予定を少し早めて逃げるように山田町を離れてただいまかえってきました。映像や報道が伝えることは限られており真実は我々の想像をはるかに超えています。とにかくまずは現場のご報告を。
17日、苫小牧からバスでフェリー乗り場へ。時化で到着が遅れ、折り返しは2時間遅れの出発。待合室は自衛隊さんであふれ、ほぼ貸し切り状態。道新記者につかまる。つまらない質問の連続にぐったりする。
2時間遅れで出発も到着は10分遅れの7:55。新日本フェリーさんやるね。出口でヒッチを行うが、たよりのトラックは皆無。自衛隊はまず秋田駐屯地に入り、行き先分けが行われるのでヒッチできず。「福島方面にいきたくないですね」とつぶやいていた自衛官さんが印象的。さてさてどうしたもんだか。
早くも「招かざる客」ですか。
でも冷静に考えると、被災地を一刻も早く復興させるにはお金を落とすことも大切なファクターです。後ろには太っ腹なリフォレのタニマチ衆がひかえていることもあり、もってきたお金はどっと使っていくことにする。
ようやくつかまえたタクシーで秋田駅へ。今日から一日4往復動いた新幹線こまちに飛び乗る。被災後再開第一号だったこともあり、ホームにはテレビクルーと新聞記者があふれていた。車内にもどかどか入ってきてマイクを三つも突きつけられるのには閉口する。すべて断るが、一社だけなぜインタビューしたいかを切々と訴えたディレクターさんにのみ一分ほどしゃべる。二次加工しないように釘を刺しておいたが、ちゃんと伝えたことは流れたのか?
しかし2時間弱乗って3990円なり。秋田駅までのタクシー代より安いのはお得?
車内はガラガラ。一車両に10人ほどで準貸し切り状態。盛岡駅ではラジオが岩手県の避難所の数を「少なくとも」347個所とながしている。この「少なくとも」にこの震災のすごさが表れていようか。
盛岡から動いているバスは一日5便の宮古と一便の釜石行き。ともにこの日から再開した様だ。本数の多い宮古行きの列に並ぶことにする。
フェリーに乗る前は、陸前高田に住む連絡の取れない親友の親友を目指すことを第一に考えていたが、陸前高田はあまりに遠すぎた。車がほとんどは知っていないのでヒッチをあきらめ、足の確保を重要視することにする。一人ではいるにはまだまだリスクがありすぎるので、時には冷静に考えることも必要か。
バスは二時間待ちで長蛇の列。並んでいる人同士が『義勇軍』の様に熱く語り合う。バスに乗ることで詳細な話しを聞けたのは大きな収穫だ。乗客は、安否を確認に現地に帰る家族が多い様だ。
多くの人が被害がひどいのは山田町と大槻町と口々に言う。大槌町にはバスで入れないが、山田まではこの日から一日5便バスが再開。縁を感じる山田町にはいることに決める。
盛岡駅はコンビニに物がない以外は被害はほぼ無いようだ。駅で食べた立ち食いそばはメニューが三つだけ。でも食べられるだけありがたい。
しかし盛岡ー宮古は緊急車両以外にほとんど車が走っていない。ガソリンがないせいか。秋田では20リットル制限。盛岡は10リットル。盛岡ー宮古の間は「油なし」の看板が。途中休憩した道の駅ふるさと館はあいているが、自販機はすべて売り切れランプ。
宮古からの山田行きバスは15人ほど。
バスが走り出すと津波の跡に唖然とし、言葉が出ない。山田町中心部は瓦礫の山で、バスが入れないので町外で降ろされる。まずは役場を目指すことに。30キロの物資が肩に食い込むが頑張り30分ほど歩く。山田町は介護ボランティアと一般ボランティアを募集しているが、町外からは私が第一号とのこと。さっそく物資をおろし、手続き。
人口2万人弱の山田町の避難所に避難者は17日現在31個所で5677人、山田高校の1277人が最大。人口の半数近くが死者、行方不明者とのこと。
しかし役場が少しだけ離れた高台にあったので生きていたのがラッキー。救援活動の中心として機能していた。
役場に隣接するコミュニティーセンター(略してコミセン)の談話室の片隅でシュラフをひいてねかせてもらう。ここには40人ほどが避難生活をされていたが、この日の夕食は炊いたご飯+マカロニサラダ+みそ汁。山田で最も恵まれている避難所だそうだ。避難者が協力して炊き出しを開始していたのには驚いた。
水はでないが自衛隊の充電器で役場は二日前から電気がついたそうだ。ありがたい。しかしフェリーの揺れ残り、余震、夜中に出ていく人、咳き込む人、お腹をこわしトイレに行く人など。横にはなったがほとんど眠れず。
5:30に起きて軽く建物の周りを回る。臨時電話は5台あり使い放題。水は積んであり、すきなだけ持って帰れるようだ。
犬を散歩されてる方と立ち話。この方は一階を流されたそうだが、家で生活中とのこと。
山田町は8mあるという防波堤がそこら中で壊れ津波が町を飲み込み、その後起こった火災で町の半分以上が焼け野原である。役場から海側を見てただただ呆然とする。揺れによる被害はほとんどないが、津波と火災が町をズタズタにしてしまった。
朝食前に役場の一階を職員のお姉ちゃんと軽く掃除。掃除機は使えないし、トイレ掃除をする道具もない。
7:00に避難者の方といっしょに簡単な朝食をいただく。申し訳ない限りだ。
7:30より物資の積みおろしを手伝う。町職員約十名、岩手県職員十二名、自衛隊数名、ボランティア三人、総勢三十人ほど。最大時でも五十人しかいない。軽トラ5便体制で31個所の避難所に荷物を送り出す。
朝は牛乳、パン、おにぎりなど。
昼はブルーシート、キャベツ、米、ジャガイモ、リンゴなど。
午後は、水、ティッシュペーパー、衣類、カップラーメンなどを送り出す。
この日は宮古港に初めて自衛隊の船が入り、7トンの物資が届く。送り出しとともに搬入もあり、とにかく忙しく休みがない。
千人収容のホールの一階ステージに食料、三階倉庫に食料以外のものを置く。ラインを作っての手渡しが出来るところが少なく、ホールの階段を何百往復したことだろうか。
1時前に一息。イスに座って水を飲むと、すぐにトラックが横付け。中でも20キロの米と毛布が三枚はいった段ボールが重たすぎ。しかしみんなただもくもくと物資の出し入れを行う。ぼやきもない規律正しさには驚きを隠せない。
5時前にこの日の出し入れがすべて終わる。10時間以上も水以外のものを口にせずに働くのは生まれて初めてかもしれない。
とにかく人出が少なすぎる。職員の方々が倒れるのも時間の問題だ。マンパワーを至急入れないと大変なことになりそうだ。
宮古までは東京から夜行バスも動きだし、盛岡から山田までは一回の乗り換えでバスで入れます。日帰りでもいいから、出来れば集団で入って職員の方を助けてあげて下さい。役場には張り紙がありますが、まずは一階の保健衛生課ボランティア係へ。
物資の仕分けをして思ったのは、役に立たないものは送らない方がいいこと。真っ黒になったバナナには笑ってしまった。果物なら日持ちするリンゴかオレンジか。
山田町では水や毛布はまずまず足りている。生きていく上で最低限のものはあるが、役場から避難所にものを送り出せていないのが現実だ。しかし人が揃えばこれは動き出すだろう。
やがて仮設の風呂が出来れば、シャンプーやリンス、ひげそり、石鹸、タオル、バスタオルもいるだろう。水道が回復すれば、台所用品や歯ブラシや歯磨きも入用であろう。
自分の持っているものが一瞬ですべて無くなった人が町の約半数なので、落ち着いてくれば何でも欲しいではないかと思う。しかし今はまだ食べるもの中心か。
また、これはある意味非難になってしまうのだが、せっかく朝に積み込んだリンゴや毛布の一部が午後便で帰ってきたりする。そうするとまた人出が必要になる。
避難所が必要とするものと送り出せる配送所のミスマッチをなくして効率よく送り出せるシステムも早急に必要か。
山田町はテレビ難視聴地域のため、コミセンの避難所にはテレビがない。ラジオが一晩中かかっていたが、テレビの映像があれば家族と何らかのコンタクトがとれた可能性があったのではないか。携帯(18日にドコモはつながる)を含め、情報インフラの必要性は強く感じる。情報の飢えは悪い噂を生んでしまいますから。
とにかく一番強く感じたのはマンパワーの必要性です。
阪神大震災は大阪に出れば食事も出来るし風呂も入れるし、避難所に寿司の差し入れもありました。しかし今回は海岸線だけでも約350キロと言われています。これだけ広い面に自衛隊が入ってもゴマのようでしかありません。
18日現在山田町には440人の自衛隊が入っていますが、自衛隊だけではあまりに手薄です。
重機を入れて瓦礫をどけて道をあけるだけでも約一ヶ月、ライフラインの復旧には2~8ヶ月、仮設に入れるのが3ヶ月~1年後として、生活が元通りになるには最低3年はかかるでしょうか(元通りにならない人の方がが多いかも)。
今現在は、避難所の維持にどこの市町村も精一杯で、一にも二にもまずは人出です。
志の高い方、ぜひシュラフと食料持参で山田町に入られたし。
金のある人は金を出し
体力のある人は体力を提供し
知恵のある人は知恵を出しましょう
何も出来ない人は一人でも多くの人の命が救われることをただただ祈りましょう。これから避難所で亡くなられる人を一人でも減らす為に。
マイミクの皆様、ぜひ知人や友人に内容を添付されたし。
<追記>
山田町から出る20日は大きな変化が見られました。宮古港に初めて船が入り自衛隊の大型車両が朝から3台走り回っていました。
山田町と宮古の間にあるGSに見たことのない長蛇の列。ざっと数えましたが500台。とにかく油に飢えた車車車。これから被災地に一般車両が入り出すと救助活動に支障が出てくるかもしれない。物資輸送の円滑化のために、バスを増便して一般車両の出入りの制限をかけるべきかもしれない。
以上。
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(昔の職場の同期)
の日記でコピペ拡散希望
との事ですので
記載させて頂きます!
↓↓↓↓↓
北海道に住む友人が、ボランティアに行ってきた。
神戸の出身で、阪神大震災の時、避難所で活動した経験がある。
以下、日記の全文です。
コピペして、発信してください。
【日記内容】
予定を少し早めて逃げるように山田町を離れてただいまかえってきました。映像や報道が伝えることは限られており真実は我々の想像をはるかに超えています。とにかくまずは現場のご報告を。
17日、苫小牧からバスでフェリー乗り場へ。時化で到着が遅れ、折り返しは2時間遅れの出発。待合室は自衛隊さんであふれ、ほぼ貸し切り状態。道新記者につかまる。つまらない質問の連続にぐったりする。
2時間遅れで出発も到着は10分遅れの7:55。新日本フェリーさんやるね。出口でヒッチを行うが、たよりのトラックは皆無。自衛隊はまず秋田駐屯地に入り、行き先分けが行われるのでヒッチできず。「福島方面にいきたくないですね」とつぶやいていた自衛官さんが印象的。さてさてどうしたもんだか。
早くも「招かざる客」ですか。
でも冷静に考えると、被災地を一刻も早く復興させるにはお金を落とすことも大切なファクターです。後ろには太っ腹なリフォレのタニマチ衆がひかえていることもあり、もってきたお金はどっと使っていくことにする。
ようやくつかまえたタクシーで秋田駅へ。今日から一日4往復動いた新幹線こまちに飛び乗る。被災後再開第一号だったこともあり、ホームにはテレビクルーと新聞記者があふれていた。車内にもどかどか入ってきてマイクを三つも突きつけられるのには閉口する。すべて断るが、一社だけなぜインタビューしたいかを切々と訴えたディレクターさんにのみ一分ほどしゃべる。二次加工しないように釘を刺しておいたが、ちゃんと伝えたことは流れたのか?
しかし2時間弱乗って3990円なり。秋田駅までのタクシー代より安いのはお得?
車内はガラガラ。一車両に10人ほどで準貸し切り状態。盛岡駅ではラジオが岩手県の避難所の数を「少なくとも」347個所とながしている。この「少なくとも」にこの震災のすごさが表れていようか。
盛岡から動いているバスは一日5便の宮古と一便の釜石行き。ともにこの日から再開した様だ。本数の多い宮古行きの列に並ぶことにする。
フェリーに乗る前は、陸前高田に住む連絡の取れない親友の親友を目指すことを第一に考えていたが、陸前高田はあまりに遠すぎた。車がほとんどは知っていないのでヒッチをあきらめ、足の確保を重要視することにする。一人ではいるにはまだまだリスクがありすぎるので、時には冷静に考えることも必要か。
バスは二時間待ちで長蛇の列。並んでいる人同士が『義勇軍』の様に熱く語り合う。バスに乗ることで詳細な話しを聞けたのは大きな収穫だ。乗客は、安否を確認に現地に帰る家族が多い様だ。
多くの人が被害がひどいのは山田町と大槻町と口々に言う。大槌町にはバスで入れないが、山田まではこの日から一日5便バスが再開。縁を感じる山田町にはいることに決める。
盛岡駅はコンビニに物がない以外は被害はほぼ無いようだ。駅で食べた立ち食いそばはメニューが三つだけ。でも食べられるだけありがたい。
しかし盛岡ー宮古は緊急車両以外にほとんど車が走っていない。ガソリンがないせいか。秋田では20リットル制限。盛岡は10リットル。盛岡ー宮古の間は「油なし」の看板が。途中休憩した道の駅ふるさと館はあいているが、自販機はすべて売り切れランプ。
宮古からの山田行きバスは15人ほど。
バスが走り出すと津波の跡に唖然とし、言葉が出ない。山田町中心部は瓦礫の山で、バスが入れないので町外で降ろされる。まずは役場を目指すことに。30キロの物資が肩に食い込むが頑張り30分ほど歩く。山田町は介護ボランティアと一般ボランティアを募集しているが、町外からは私が第一号とのこと。さっそく物資をおろし、手続き。
人口2万人弱の山田町の避難所に避難者は17日現在31個所で5677人、山田高校の1277人が最大。人口の半数近くが死者、行方不明者とのこと。
しかし役場が少しだけ離れた高台にあったので生きていたのがラッキー。救援活動の中心として機能していた。
役場に隣接するコミュニティーセンター(略してコミセン)の談話室の片隅でシュラフをひいてねかせてもらう。ここには40人ほどが避難生活をされていたが、この日の夕食は炊いたご飯+マカロニサラダ+みそ汁。山田で最も恵まれている避難所だそうだ。避難者が協力して炊き出しを開始していたのには驚いた。
水はでないが自衛隊の充電器で役場は二日前から電気がついたそうだ。ありがたい。しかしフェリーの揺れ残り、余震、夜中に出ていく人、咳き込む人、お腹をこわしトイレに行く人など。横にはなったがほとんど眠れず。
5:30に起きて軽く建物の周りを回る。臨時電話は5台あり使い放題。水は積んであり、すきなだけ持って帰れるようだ。
犬を散歩されてる方と立ち話。この方は一階を流されたそうだが、家で生活中とのこと。
山田町は8mあるという防波堤がそこら中で壊れ津波が町を飲み込み、その後起こった火災で町の半分以上が焼け野原である。役場から海側を見てただただ呆然とする。揺れによる被害はほとんどないが、津波と火災が町をズタズタにしてしまった。
朝食前に役場の一階を職員のお姉ちゃんと軽く掃除。掃除機は使えないし、トイレ掃除をする道具もない。
7:00に避難者の方といっしょに簡単な朝食をいただく。申し訳ない限りだ。
7:30より物資の積みおろしを手伝う。町職員約十名、岩手県職員十二名、自衛隊数名、ボランティア三人、総勢三十人ほど。最大時でも五十人しかいない。軽トラ5便体制で31個所の避難所に荷物を送り出す。
朝は牛乳、パン、おにぎりなど。
昼はブルーシート、キャベツ、米、ジャガイモ、リンゴなど。
午後は、水、ティッシュペーパー、衣類、カップラーメンなどを送り出す。
この日は宮古港に初めて自衛隊の船が入り、7トンの物資が届く。送り出しとともに搬入もあり、とにかく忙しく休みがない。
千人収容のホールの一階ステージに食料、三階倉庫に食料以外のものを置く。ラインを作っての手渡しが出来るところが少なく、ホールの階段を何百往復したことだろうか。
1時前に一息。イスに座って水を飲むと、すぐにトラックが横付け。中でも20キロの米と毛布が三枚はいった段ボールが重たすぎ。しかしみんなただもくもくと物資の出し入れを行う。ぼやきもない規律正しさには驚きを隠せない。
5時前にこの日の出し入れがすべて終わる。10時間以上も水以外のものを口にせずに働くのは生まれて初めてかもしれない。
とにかく人出が少なすぎる。職員の方々が倒れるのも時間の問題だ。マンパワーを至急入れないと大変なことになりそうだ。
宮古までは東京から夜行バスも動きだし、盛岡から山田までは一回の乗り換えでバスで入れます。日帰りでもいいから、出来れば集団で入って職員の方を助けてあげて下さい。役場には張り紙がありますが、まずは一階の保健衛生課ボランティア係へ。
物資の仕分けをして思ったのは、役に立たないものは送らない方がいいこと。真っ黒になったバナナには笑ってしまった。果物なら日持ちするリンゴかオレンジか。
山田町では水や毛布はまずまず足りている。生きていく上で最低限のものはあるが、役場から避難所にものを送り出せていないのが現実だ。しかし人が揃えばこれは動き出すだろう。
やがて仮設の風呂が出来れば、シャンプーやリンス、ひげそり、石鹸、タオル、バスタオルもいるだろう。水道が回復すれば、台所用品や歯ブラシや歯磨きも入用であろう。
自分の持っているものが一瞬ですべて無くなった人が町の約半数なので、落ち着いてくれば何でも欲しいではないかと思う。しかし今はまだ食べるもの中心か。
また、これはある意味非難になってしまうのだが、せっかく朝に積み込んだリンゴや毛布の一部が午後便で帰ってきたりする。そうするとまた人出が必要になる。
避難所が必要とするものと送り出せる配送所のミスマッチをなくして効率よく送り出せるシステムも早急に必要か。
山田町はテレビ難視聴地域のため、コミセンの避難所にはテレビがない。ラジオが一晩中かかっていたが、テレビの映像があれば家族と何らかのコンタクトがとれた可能性があったのではないか。携帯(18日にドコモはつながる)を含め、情報インフラの必要性は強く感じる。情報の飢えは悪い噂を生んでしまいますから。
とにかく一番強く感じたのはマンパワーの必要性です。
阪神大震災は大阪に出れば食事も出来るし風呂も入れるし、避難所に寿司の差し入れもありました。しかし今回は海岸線だけでも約350キロと言われています。これだけ広い面に自衛隊が入ってもゴマのようでしかありません。
18日現在山田町には440人の自衛隊が入っていますが、自衛隊だけではあまりに手薄です。
重機を入れて瓦礫をどけて道をあけるだけでも約一ヶ月、ライフラインの復旧には2~8ヶ月、仮設に入れるのが3ヶ月~1年後として、生活が元通りになるには最低3年はかかるでしょうか(元通りにならない人の方がが多いかも)。
今現在は、避難所の維持にどこの市町村も精一杯で、一にも二にもまずは人出です。
志の高い方、ぜひシュラフと食料持参で山田町に入られたし。
金のある人は金を出し
体力のある人は体力を提供し
知恵のある人は知恵を出しましょう
何も出来ない人は一人でも多くの人の命が救われることをただただ祈りましょう。これから避難所で亡くなられる人を一人でも減らす為に。
マイミクの皆様、ぜひ知人や友人に内容を添付されたし。
<追記>
山田町から出る20日は大きな変化が見られました。宮古港に初めて船が入り自衛隊の大型車両が朝から3台走り回っていました。
山田町と宮古の間にあるGSに見たことのない長蛇の列。ざっと数えましたが500台。とにかく油に飢えた車車車。これから被災地に一般車両が入り出すと救助活動に支障が出てくるかもしれない。物資輸送の円滑化のために、バスを増便して一般車両の出入りの制限をかけるべきかもしれない。
以上。
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