「シャボン玉ジャーニー 」。 | aroma relax -haru. ~町田市相原のプライベートサロン~

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オールハンドでのオイルトリートメントと植物の力で頑張る女性の心と体をじんわりほぐしていくサロンです



どんなふうに書けば、あの日のことを濁りなく、澱みなく伝えることができるだろう。


『あぶくのファンタジー』谷内六郎絵


あの日を
「YAMANEKO ✕ haru」で企画にしましょう、とお話をいただいてからずっと。


こぼれ落ちそうな記憶と。
鮮明に焼きついている記憶。


掬うように、染み入るように辿っています。


畏れ多くもアンカーの大任を賜ったのですが。
YAMANEKOのお三方のを読んでから書くと、
きっと舞い上がって目も当てられないものしかできないだろうから。


まだ読んでいない今。


あの日の。
雨と雨のあいだにやわらかな風が吹いた、あの清らかな時間を。


目を閉じて、耳を澄ませて、書いてみます。


『シャボン玉ジャーニー』haruとヤマネコ。


文章だけ、しかも長いけれど
haruバージョンも楽しんで読んで頂けたらうれしいです♪



  ©夏色インコ



ひょんなことから。


YAMANEKOのお三方にいっぺんにお会いできるという機会に恵まれました。


それは、ほんとうに「ひょん♪」と降ってきた天からの恵みのような報せで。


同時に「この機会を逃してはならぬぞ」とお告げのような声も聞こえた気がしました。


そもそもそれは急に思い立ってuguisuさんにお声掛けしたところから始まったのですが。


お誘いしておいてわたしは計画にはノータッチで、全ておまかせ。


けれどそれが大正解で。
想像をはるかに越えるuguisuさんの細やかな配慮、綿密な計画、天性の引き寄せの数々を
目の当たりにすることができ、深々恐れ入ることとなりました。


色んな計画が二転三転したものの
その渦の中は、ふかふかで心地よく、ラッタッタと踊りたくなるような楽しさで。


最終的に「4人でドライブ」という内容が決まったのは確か約束の2日前のことでした。


心の準備も儘ならない中迎えた当日。
総じて、その日は終始。


uguisuさんがキラキラの杖をくるくるっと振って
わたしは「すてき!」と手を叩いて仰ぎ見
りーさんはファインダーに映るものすべてに愛を注ぎ
インコさんは深いまなざしで皆を包む。


そんな一日だったように思います。


あの横須賀美術館での午後の一幕は、特に。


「このロケーションでシャボン玉したくって、みんなの分持ってきたから」


うれしそうに話すuguisuさん越しには、どんよりとした雨空。


無理、じゃないかなぁ。


だって雨がざんざんと降りしきる中ここに到着したのですから。
内心は皆、そう思ったのではないでしょうか。


でも誰も「無理」って言葉には出さなかった。
まるでuguisuさんの杖の力を知る、旅の仲間みたいに。


食事を終え外に出ると、果たして雨はあがり。


「シャボン玉、しよう!しよう!」
と、ずんずんと前を歩く背中は
「雨をやますくらいお茶のこサイサイよ♪」
と、言わんばかりに頼もしい。


なのに久しぶりに吹くシャボン玉に
悪戦苦闘する様があまりにかわいくて。
「あれー??なんでー?」
と言いながら
シャボン玉を飛ばせないでいるその様子に
わたしは隣で笑いを堪えるのに必死でした。


目の前には芝生と、シロツメクサと、さらに先に広がる海。
そして、シャボン玉。


つくづく残念なのは、鈍色の空。


けれどりーさんのファインダーを通せば
現実より数段美しく光景が切り取られます。


カメラや写真に無知なわたしが言うのもおこがましいのですが、それはたぶん。


りーさんがその身に湛える無意識の愛によるのではないかな、と思うのです。


ファインダー越しに見るものへ注がれる
無意識で無頓着で無量の。


それは押しつけがましくなくて、気配がない。
空気に愛を溶かすようにしてカメラを構えられてしまうと…


被写体たちは為す術なく
「あなたなら仕方ない」とばかりに
取り繕うことをやめるのでしょう。


撮って頂いた自分の姿を見て
「ああ、わたしってほんとに生きて、立って、居るんだ」
と泣きそうになりました。


46年も生きてきておかしな話だけれど、
生きている実感を写真からもらえたような。
そんな不思議な感動を覚えました。


さて、その時インコさんは。


わたしたちがシャボン玉を飛ばしている後ろで
今この刻の空気、色、人、風をいかにして生かせるか。


それをじっと考えながら見ているような。
そんな気配をわたしは背中で感じていました。


どんな時間であったとしても、何も考えずに流れに身を任せるのではなく。
意思をもって手ずから折りあげていく。


インコさんの前に流れくる膨大な時間は、
そのいちいちが作品として完成しているのではないかとさえ思ってしまう。


それを人に見せる見せないに拘わらず。
あるいは仕事かプライベートかにも拘わらず。
まるで生まれもった思考の癖であるかのように。


「uguisuさん、こっち」
「あ、haruさんはそこにいて」
「風が変わったから移動しよう」
「これこれ!このシャボン玉撮ってりーさん!」


時おり、ほんとうに時おり。
傍へ来て、インコさんが声を掛けます。


それが的確であることをYAMANEKOのメンバーは知っているから当然のように従います。


わたしも倣って、言われるがままになりました。


するとそこには自分の意思を超えた、
居心地の良い建設的な時間が在って。


それは以前、大磯のsaraさんでのこと。
uguisuさんから瞳の写真を撮って頂いたあの時間と似ているなぁと振り返って思いました。


YAMANEKOメンバーに共通する
『より、良いものをつくる。写す。表現する。』という


一見シンプルな、
けれど私心がいくらでも入り込む余地のある
創作という世界。


作品と、唯、対峙する。
そこのみにシンプルに徹することは、きっと誰でもができることではありません。


けれどお三方は、たぶん自然に当然のようにそれを成しておられるのではないかな、と。


わたしなんかが推し量れることではないかもしれないけれど、そう感じました。


目指したい、こう在りたいと思うに充分過ぎるほど素敵な三人と同じ時間を過ごせたことは
やっぱり天からの恵みのような奇跡で。


ありきたりだけれど、ほんとうにしあわせな時間でした。


わたしにはまだまだ手が届かないけれど
いつかまた "一緒に何かやりたい" と思って頂けるような自分になれるよう。


あの清らかな時間を抱きしめて


『唯、より、良いものを書く。』


を、これからこはるで実現していけたらと思います。


そして。
ここからは皆さんのを読んで書いています。


あの日のことを素敵な企画にしてくださったこと。
わたしをヤマネコに溶けこむよう綴ってくださったことへ、改めて心からの感謝を。


コンプレックスと劣等感の塊だから、
ほんとうはお会いするのがこわかった。
楽しみでワクワクだけど、こわかった。


だから緊張で、何を話したか、時系列とか、
正直ちゃんと覚えていないのです。


結果、時間を経てわたしの中に残った記憶は
ここに書いたように皆さんの空気や気配や想いのようなものばかりで。


それはまさに七色に滲む透きとおったシャボン玉そのもののような美しさを纏っていました。


自信はないけれど、それを書きたかった。


すこしでも伝わったらうれしいです。


YAMANEKO。


それぞれがそれぞれに魅力あふれる大人たち。


今後、個々でもグループでも
益々愛されることをつよく信じて。


『シャボン玉ジャーニー』haruとヤマネコ。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました♡︎ʾʾ


おしまい。






第3話   りーさん









『タネを吹く子』「谷内六郎コレクション120」より





先日の豪雨で被災された皆様の
心身の回復と
地域一帯の回復が
速やかになされますように。