91歳の祖母



農家に嫁ぎ、まだ機械化が進む前の

歩き、担ぎ、とにかく体を使い大変な時期の農業を経てきた祖母



熊本地震で家屋全壊、私の実家に移るまで祖父との二人暮らしで身の回りの事は

自分でこなしていた



85歳に届こうか、という時にも

納屋の屋根裏?に子猫かなんか

おるかもしれん、、と梯子を昇る人だった



地震で暮らしが一変




母屋と納屋全壊



これまで真面目に働いて生きてきたのに

こんなことになるなんて…と嘆いていた祖母



祖父と一緒に父と母(当時は妹も)がいる

私の実家で住むことに



住んでいた地域の人がまだたくさん

避難所で暮らす中

息子がいる一軒家で暮らせるのは

ありがたい…と言いつつも

嫁である母に遠慮はあるだろうし



なにより、これまで一人でこなしていた

家事炊事が『出来なくなる状況』になる



キッチンはそもそも他所のお宅の台所

ってイメージがあるだろうし

必要以上には近付かない

ガスからIHということで使い方が

わからない、と敬遠もしてたけど



炊事、洗濯、それに加えて

農作業が一切なくなる生活は

祖母の老化を早めた



幸いというか

認知症になり、それが進むに連れて

自分が出来ないことが増えてるのが

あまり認識していない様子



体調など尋ねると

『どっこも悪はなか(悪くはない)』




とのこと

祖父が神経痛なのか原因がよく

分からない手足の痛みを抱えていたので

そう言うのは無いし年は取ったけど

健康、と本人の弁



当初、全く興味を示さなかった

デイサービスも地元の知人に会えると

喜んで行っていた

動くのはその時くらい



そのデイサービスで

祖父が転倒して骨折して入院と

自分もいつの間にか尾てい骨を骨折して

入院…



あぁ、祖母の場合は

入院で体力、筋力が低下するのはもちろん

認知症が進んでしまうな…と

懸念




実際、2ヶ月くらい?の入院の後の

認知症の進み具合が目立っていた



というより、病院で世話を焼かれすぎて

自動で流す病院のトイレに慣れて

自宅のトイレを流さない、とか



デイサービスの曜日を忘れるとか

これは良かったことだけど必ず飲んでいた睡眠薬(導眠剤というのか)自体を忘れた



そして、退院してすぐに会いに行ったら

私は祖母の姪っ子の名前で呼ばれて

違うよ、◯◯だよと訂正したら

しばらくして、思い出してくれていたのが夏の事かな



今日、久しぶりに会って話したら









私は完全に姪っ子の名前で把握されていた




違うよ、◯◯だよ

と訂正するも



一瞬、あぁ!そうだった

と言うもすぐに△△(姪の名前)だろ?




違うよ、父の娘の◯◯だよ


いや違う、△△だ



いやいや、◯◯だよ



嘘を言ってる

じゃあ名字は?   



と祖母





…あぁ、完全に私の名前も

私が誰かも忘れたんだな




そんな日が来るとは思ってたけど



認知症の人に対して

正解を押し付けるのは意味がないと思っており

今回のことも、△△でいいや、とは

思わなかったけど◯◯だよ、とは

押し付けなくていいかな



問答が続いていたときに

農作業から戻った父から車の入れ換えを

言われたので祖母とのやり取りはそこで終わり





帰り道、運転しながら

この日が来たか

私が祖母の中から消えた日




悲しいとか

ショックとか

あまり分からず

ただ、受け入れないとなぁ…

と言う思いがあって自分が思っていたより静かな心境の家路





おそらくそれは、祖母はまだ生きてるし

足腰弱って認知症も進んでるけど

会話が出来るから、見た目にはあまり

変化がないから冷静にいられたのかも




もしかしたら体調や日によっては

私が分かるかもしれないけど

私が慣れていけばいいこと




また、祖母に会いに行こう