児相での娘の話を記録していなかったので今日はそのお話をしたいと思います。


まず、虐待されてると話した件。

娘は保護されたとき、

「虐待されてるから帰りたくない」とは言わなかった。

帰りたくないとは言ったが、虐待されてるとはいっていない。

ただ、ママにされて嫌だったことは全部話した。

警察が勝手に虐待と思ったんだと思うと言っていた。


保護されてすぐに、保護施設に連れて行かれて、着替えをさせられ、今日は遅いからと少し話をして個室に入れられた。


そこは外から鍵がかけられ、窓も開かない部屋だった。


翌日、帰りたいとお願いしたけど、この施設にしばらくいることになると言われ、決まり事を色々と聞かされた。


ママが心配していること、返してほしいと言っていることなんて全く聞かされてなく、親の話は一切されなかった。


帰りたくて泣いてたけど、

何日かたって、泣いてても帰れないのがわかったから、割り切ることにした。そしたら大部屋に移された。


大部屋では同い年くらいの子がいて、最初はルールを守っていい子にしてた。

でも、色んな子の話を聞くと、親に虐待を受けてた子、親が育児放棄して、迎えに来ず、何ヶ月もいる子、もっと言えば、保護期限を過ぎても親が引き取りに来なくて何年も施設を転々としてる子もいた。


職員がまったく親の話をしないのは、自分も周りの子たちと同じように親に捨てられたんだと思い始めた。

その頃から、ヤケになって

もう施設からでれないなら、もうどうでもいいから、暴れて好きなことして、いい子になる必要はないと思った。


だから、話してはいけない自分のことを色々話したら、トー横から保護された子もたくさんいることを知ってその子達とつるむようになった。


ギャーギャー騒ぐ小さな子がうざくて、死ね!ボケ!クズ!とか罵声を浴びせたりした。


「紙を飲んだのは?」


ツイッターのIDを書いて渡そうとしたときに見つかって、叱られた。

相手の子が、

「これくらい、のんでくれてもいいじゃん」といったから、

飲み込んでくれって言われたのかと思って飲んだ。

「のむ」の意味を間違えてただけ。


しばらくして、急に洋服と荷物を渡された。

暴れまくってたから、別の施設に行かされるかと思った。

まさか、帰れるなんて考えてもみなかった。


施設にいる間はずっと、親に捨てられた。終わった。とおもって死ぬことばかり考えてた。生きてても仕方ないと思った。


。。。。

私たちは、保護された日から会いたい、話したいと言い続けてきた。

捨てたんじゃない。どうすることもできず、犯罪に巻き込まれたり、補導されたりしたら、将来に響くとおもって、補導される前に保護してもらった。

補導と保護はちがうから。

あなたの、将来を考えて、死ぬほど悩んでパパと出した結果だった。

会いたくて会いたくて、取り戻すためだけに色んな人に相談したり、方法を考えていた事をつたえた。


虐待の疑いがあるとはいえ、

対応に大きな疑問を感じた。