この記事は昨年アップしたものですが、私のこの記事を読んでビビっと来て、自分がやりたいと思っていたことを実現されて今では毎日がとーっても楽しそうな方が何人もいらっしゃいます。

今、様々な理由でお悩みの方のお助けに少しでもなればいいな~と思って再々アップします!!

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断捨離のやましたひでこさんのメルマガより転載。

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それにしても、思うこと。

 

私たちは、諸々様々なことの被害者であると。

私たちは、無自覚無意識でいると、容易に被害者に成り果てると。

 

これは、なにか事件犯罪の被害者というい意味ではなくて。

 

そうですね、敢て、誤解を怖れずに言うならば、

 

私たちは、観念の被害者。

私たちは、その観念・価値観に基づいた思考の被害者。

私たちは、その思考にともなう感情の被害者。

 

たとえば、「せっかく」という観念の被害者。

たとえば、「もったいない」という価値観の被害者。

たとえば、「めんどくさい」という感情の被害者。

 

言いかえれば、「こうあるべき」「こうあらねば」という、

「べき」と「ねば」の被害者。

 

私たちは、「べき」と「ねば」を、他者に期待して、

それから外れる他者の被害者として自分を位置づける。

 

「だって、あの人のせいで・・・」と他者を責めるづける私たち。

 

私たちは、「べき」と「ねば」を、自らに強いて、

そこから外れる自分を、自分の被害者におとしめる。

 

「だって、私はダメ人間だから・・・」と自分を責め続ける私たち。

 

そう、「責める」ということは、自分の被害者意識のなせる技。

そう、自分を被害者として位置づけるからこそ、責めることができるのです。

 

でもね、その「べき」と「ねば」は、どこからやってくるのかしらね。

だからね、この「べき」と「ねば」の拠り所を、あきらかにしておいたほうがよさそう。

 

それは言うまでもなく、自分が取り込んでいる観念・価値観から。

 

断捨離は、「観念」自体にはジャッジは加えはしないけれど。

 

けれど、断捨離は、「観念」に、こう問いかける。

 

この観念は、今の私をごきげんにしているかしらと。

この観念は、今の私に制限を加えてはいないかしらと。

この観念は、今の私にどんなふうに「機能」しているのかしらと。

 

断捨離が、焦点を当てるのは、常に「関係性」

 

それは、モノとの関係を自らに問いかけていくのと同じように、

断捨離とは、自分と観念の関係も、ひたすら問い直していくのです。

 

いかがでしょう。

 

有難うございます。

 

あなたとのご縁にいっぱいの感謝を。


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・ 良い母親でならなければならない
・ 良い妻でなければならない
・ 専業主婦で特に取り柄がないから、パートしか出来ない
・ 専業主婦だから、夫が稼いだお金で高いランチを食べる価値はない
・ 子どもには毎食手作りの美味しいごはんを食べさせなければいけない
・ 子どもは一流の学校に入るべきだ
・ 子どもの成績は良くなければいけない
・ 子どもは一流企業に入社させなければいけない
・ 子どもがいるから自分のやりたいことは我慢すべきだ
・ 子どもがいるから夜は外出してはいけない
・ 子どもを怒ってはいけない  などなど・・・

あなたが、「〇〇だから〇〇は出来ない、〇〇でなければいけない」と思っていることは誰が決めたんですか?

それは、あなたの「観念=思い込み」に過ぎません。

観念をどんどん取っ払って行くと、今よりももっともっと生きやすくなるはずですグッド!

私も観念どんどん取っ払い中ですよ~音譜

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